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月曜日、そして火曜日

今日は曇り。昨日もその前も。雨や曇りの日がつづくときもちも塞ぎがちになる。からっと晴れた日が得意ではないわりには、どんよりした日も得意ではない。うすい晴れ間に風がきもちいい日が一番いい。

そうして今日は月曜日。仕事なんてできたもんじゃない。PCの前に座りたくない。こういう塞いだ気分のときは本来仕事をしている時間に仕事をしていないと罪悪感にかられる。どうせどこかで時間を見つけてやるのだから、誰に怒られるでもないのに、なんだかずっと後ろめたいきもちになる。

本も読めない。映画も見れない。バラエティがうるさく感じる。なにをしていても目がすべり、耳がばらばらに音をひろう。とにかく集中力がない。ベッドに潜っているとなおさらきもちが塞いでいく。切り札の漫画さえ読めない。心が動かない。

そういう日、人はどうしているのだろうか。と思いながらこうして日記を書いていて、あ、わたしはこういうとき書けるんだなあと気づく。ただ思うことを取り留めもなくツラツラ書くのは落ち着く。あとは猫をひたすら愛でるのみ。カーテンは猫のために開ける。

同居人は一週間タイ出張へ行き、2日間帰ってきて、また今日からアメリカ出張へ一週間。行くまでは駄々をこねるのに、帰ってくると毎回大量のお土産を携えてくるので、なにやら楽しんでいたようでほっとする。

家に人の気配がないと、こんなに時間があるのかと驚く。なんでもやり放題。なのに何もできないので、もったいない。明日には仕事もなにもかもできますように。



追記.

数日ぶりにうすい晴れ間が見えて、窓を開けようと思える。猫のためにではなく、自分のために。

洗濯物を干す。ついでにシーツも洗い、きもちも晴れ晴れしてくる。

徐々に徐々に気がつきましたの
不安が心を覆い尽くしそうな時は
身体を先に前に進めてしまって
想像の産物を只の出来事としての事実に
変えてしまう方がどれ程楽かと

先々週くらいに読み直していた『涙雨とセレナーデ』のなかで、雛子が言っていた言葉を思い出す。覚えておきたくてメモに書き留めていたものを眺める。昨日思い出しておけばよかっただろうに、身体が動き出してはじめて言葉が自分にすとんと入ってきた。だめなときは、わかっていてもだめなのだし、わかることもできないものだな、と思う。

さあ、仕事をしよう。スーパーにも行こう。

身体を前へ、前へ。

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