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クローン病のボクが社会保険労務士になるまで                                              

はじめまして


社会保険労務士の木藤大輔と申します。

2023年11月に東京都日野市で多摩平あおぞら社労士事務所を開業いたしました。

日本では、まだあまり浸透していない分野ですが、難病患者の病気の治療と仕事の両立支援、就労支援、創業支援を行っていく予定です。


なぜ、僕がこのような聞き慣れないマイナーな仕事に取り組もうと思ったかというと、僕自身が難病患者であるからです。
 

僕は23歳で難病のクローン病と診断され、入退院をずっと繰り返してきました。

発症初期の20代は長期の経腸栄養療法などが必要で、1年のうち2分の1以上を病院で過ごし、長期の入院生活をずっと余儀なくされてきました。

当時はまだスマホも携帯ゲーム機もなく、入院中の時間を持て余しがちでした。

桜が鮮やかに散るのも、雪が深々と降るのも、いつも病室の窓から眺めていたことが思い返されます。


浦島太郎だった30代


クローン病の治療に抗体製剤が使用されることが一般的になったことにより、療養生活の質も改善され、僕も長期の入院を必要としなくなりました。

ただ、20代の大半を入院生活に費やし、クローン病を患った現実と向き合えず、将来のこともあまり考えず、ぼ~っと過ごしてきてしまったため、社会経験のない僕に就職先はありませんでした。

今まで病気に苦しんできたとは言え、同世代の社会人と比べると、コミュニケーション力もなく、ビジネスマナーもわからなかったですから、世間からはただのニートとしか映らないのは仕方のないことなのかもしれません。

そこで白紙の経歴を埋めるために、独学で行政書士の勉強をし、合格しました。
その資格を土台にしてようやく就職をすることができました。 

つらかった障害者雇用の2年間


小腸の機能不全で身体障害者手帳の4級も持っていましたので、障害者の枠での就職となりました。

誰にも迷惑をかけず、細々と自分一人で生きていけたらと思っていたのですが、現実は甘くありませんでした。甘くなかった。

合理的配慮とは名ばかりで、病気を抱えながら働くには優しくない環境でした。
障害者雇用の法定雇用の人数さえ揃えばいいという職場です。

パートの同僚からは「障害者はバカだ」と日頃から熾烈な言葉を受けたり、通院日に有給休暇を取得するのを邪魔されたりしました。

僕自身は障害者雇用であっても、会社に貢献したいという思いでスキルアップやキャリア形成に前向きだったのですが、上司からは「障害者は障害者らしくしたほうがいい」と否定され、障害者が活躍すると劣等感を覚える人がいるから、障害者はあまりガツガツと仕事をしないでほしいと言われてきました。

僕も譲れないことがあると言い返してしまう性格のため、最終的にパートの同僚とハラスメントで争う形になり、ほぼ僕の言い分が通る形で決着しました。

助けてくれる人たちも多くいたのですが、そういった閉鎖的な職場の雰囲気に嫌気が差してしまい、退職することにしました。


あきらめた再就職


無理が続いたせいか、退職後、持病のクローン病が大腸全摘の手術を要するほどに悪化していました。

手術後、再び就職しようと以前利用した障害者専門の転職会社を訪れました。

しかし。
その転職会社にハラスメントで揉めた職務経歴書の内容が恐ろしすぎるから、正直に経歴を書かないでもらえないか、被害者であっても自分にも落ち度があって辞めたと謝ってもらえないかという趣旨のことを言われ、困惑しました。

また、常から障害者雇用の低賃金である労働条件にもすこし不満を持っていたので、自分の収入をあげたいこと、士業の勉強をしながら働きたいことを伝えると「障害者に高度の技術はいらない」と担当の方がすこし怒っているような反応をされてしまいました。

高望みの要求だと受け取られたのかもしれません。

その後、その転職会社に求人の申し込みをしても、メールは無視され返信も来ず、電話をかけても担当者は外出中でつなげないとのことで、何度メールをしても、電話をしても、梨のつぶてでした。

現在でも、その会社の登録はそのままにしておいて会員情報は生きているのですが、僕は一切の連絡がつきません。


このことを2ちゃんねるやTwitterで調べると障害者雇用の転職会社で求職者がブラックリスト入りをすると行われる対応のようです。
場合によっては、障害者の転職会社同士でそのブラックリストの情報の共有が行われているのではないかということが書かれていました。

障害者専門の転職会社のすべてがそうであるとは思ってはいないのですが、事実はどうであれ、困っている人に優劣をつけ、人を選り好んで支援するような就労支援のやり方は今でも疑問に思っています。

このような事情から、就職は絶望的な状況だと判断し、背水の陣の決意で自活のために新たな道を模索することにしました。

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある


就職ができないとなると収入源がありません。
生活保護になるのではないかという不安がずっとありました。

ひとりで生きていくにしても、せめて、どうぶつと暮らす生活がしたい夢が僕にはあったので、生活保護は絶対に受けたくないと考えていました。


過去の就労で自分の健康状態では働くチャンスそのものが今後もあまりないことは自覚していたので、就職をした2年間の給料とその後の求職者給付10ヵ月分をできるだけ貯蓄に回し、幸いにも、ある程度の元手をつくることができていました。

そのお金でイチかバチか、伸るか反るかの大勝負でスキルアップを目指すことにしました。

ブラックリストで就職はできない、何もしなければ貯金は目減りしていく、自分で仕事を立ち上げなければ生計の手段がないと思ったからです。


そして。
なぜ社会保険労務士を目指したかというと、働くことに寄り添う仕事であるからこそ、就職での失敗や難病で思うように働けなかった苦労を他士業より経験として生かせるのではないかと藁にもすがるような想いでこの資格に一縷の望みを託したからです。

社会保障の仕事は、社会経験よりも、難病患者の経験が生かせる仕事であると信じています。


独学で4年の時間がかかりましたが、試験に合格し、ようやく社会保険労務士として仕事ができるようになりました。


「すべての難病患者さんの顧問社労士になる」が目標


僕は長期の経腸栄養療法の治療があり、たまたま身体障害者手帳の4級を持っていました。

そのため、障害者としての公的支援はありました。

しかし。

2024年現在、日本では障害者手帳を持たない難病患者の就労への公的支援がほとんどないことは大きな課題です。

難病患者の多くは日常生活にも困難を抱えています。

僕自身、社会保険労務士の資格を手にするまで難病患者としての支援はなく、仕事へ就くまでの研鑽はすべてひとりで積んできたので痛感するところです。

されど、同じ病気であっても、難病の症状は個人差が大きく、治療の副作用や合併症などにより、就労能力や労働条件が変化しやすいため、一律の支援では職業選択や職場適応が難しいのが、難病患者支援の現状だと思います。


それでも。
個人の社労士事務所なら、ひとりひとりの状況に応じたオーダーメイドの柔軟な支援ができるのではないかと考えています。

自分らしく働くことは難しい


病気や障害があったら、どんなに努力をしても、結果を出しても、評価をされない現実があります。

僕もかつては障害者ということだけで、スキルアップやキャリア形成を否定されました。
「障害者らしくない」と言われ、自分らしくいることを許されなかったり、仕事で活躍することも嫌がられたりしました。
難病患者にも同じことが言えると思っています。

だからこそ。
難病患者であるクローン病の僕が社会保険労務士の資格をどうしても手に入れたかった。

不運な境遇であっても、努力している人たちの努力が報われてほしい。

がんばっている人たちを応援したい。

難病患者の支援があまりない中、自分がその相談先の1つになれたら光栄なことだと思います。

微力ながら、社労士として難病患者が社会で働くことを支えていく仕事がしたい。

自分ひとりでは、できることが限られているかもしれませんが、皆さんと一緒にこの状況を少しずつ変えていきたいと考えています。

開業1年目で社会保険労務士として、まだまだ未熟で勉強することばかりですが、どうぞよろしくお願い致します。

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