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ラオウより強い父 【続編】


こどもの時、父が怖かった。

怖かった理由はこれ

我が家では父の存在が絶対で、父を中心に全てが回っていた。
小学生になるまで、こどもは圧倒的に家庭で過ごす時間が多い。

こどものわたしには、家族が世界で、世界が家族だった。

だから全世界のお父さんなるものは怖いものだと思っていた。
比べる対象があまりないので、そう信じていた。

成長するにつれて、その考えがそうではないと知った。
小学生ぐらいになると友達のお父さんと出会う機会が増える。

お父さんが優しいことに驚いた。

お父さんにそんな話し方していいの?
お父さん車で迎えに来てくれるの?
お父さんが…お父さんに…お父さんは…

どうやら父が怖いのは我が家の基準だったようだ。
父をトップにピラミッド型のヒラルキー。
みんなで父を大切な人として扱わなくてはいけない暗黙のルールがあった。

出勤時と、帰宅時の父はいつも手ぶらだった。
カバンや、コートやらを車に積み込んだり下すのは母。

梅田に家族で買い物に行っても父は手ぶら。

買いもの袋をいつも両手に引っ提げてるのは母。
買い物途中で熱くなって脱いだ父のコートも母。
梅田の買い物に絶対必要ないハット…案の定毎回じゃまになる。
それも毎回、母。

テレビのチャンネル・ボリュームの全権利は父。
ソファーの席もダイニングの席も一番いい場所が父の場所
おかずの量もタオルも全て父は特別なもの。

母とわたしたちは、父の家に住まわせてもらっている居候のよう。

大きな声で会話すると
「うるさい」と一喝!
階段の上り下りの足音も静かでなければならなかった。

旅行や家族のおでかけでのどが渇いたなどと車内で騒ぐことはご法度。
車もキレイに乗らないといけなかった。

車内も車外はいつもピカピカ。
父の部屋に忍び込んでデスクの引き出しの中をそっと覗くとペンや文具がドレミファソラシドみたいにならんでいた。

怖い父。絶対の父。几帳面な父。

だけど不思議と怖い父も、絶対の父も、荷物を持たない父も、几帳面な父も、嫌いだと思ったことが無かった。

これみよがしな優しさどころか、
目に見えての優しさもないのになぜ好きだったのだろう?

ずっとそれを不思議に思いながら…その答えがこどものうちはわからなかった。

答え合わせができたのは、自分が大人になって、家族をもって、人の親になってから。


子どものころ母に聞いてみたことがあった。
「お母さんは、お父さんがこわい?」

母は、
「お父さん、あんまり表現が上手くないから分かりにいやろ?? 全然怖くないで。」

「お母さんね、お父さんに困らせれたことは1度もないねん」

その時は困らせない?当たり前じゃなの?と思った。
子どもにはよくわかんなかった。

でも確かにそうなのだ。
絶対的な権力を誇示しながらそれに見合うだけのものを家族に示してくれてきた。
経済的にも物理的にも心理的にも母と同じく困るを経験したことがなかった。

それがどれほど、幸せなことわかるのはやはりずっーと先のこと。

父が怖かったけど、好きだったのは、愛情がそこにあったからだ。


中学最後の引退試合にグランドのはしにスーツ姿の無言の父がいた。

結婚式の前日、三つ指をついて今まで育てくれたお礼を伝えたとき無言で大泣きした父。

6歳差で妹が生まれたとき嬉しかった。だけどみんなが妹に注目するのが面白くなかった。

自分だって赤ちゃんがかわいい。妹ができてうれしい。
でも、妹が来た日から誰も自分を見てくれない悲しさは込み上げる。

かわいいけど…だけど…だけど…6歳の胸の中に正反対の感情が行き来してどうしていいわからなかった。

縁側のベビーベットで眠る妹。
かわいいよ。
わたしは?もうかわいくなくなっちゃったの?
小さな顔を覗き込むと目から涙がこぼれた。

ベビー布団をめくって、小さなおなかに手を当てる。
呼吸に合わて動くやわらかいおなか。
そのまま少し手に圧を加えておなかを押しかえした。
ほんの一瞬のできごと…怖くなってすぐに手をパッと離した。

なんてことしてしまったのだろう。
後悔がすぐに押し寄せる。

みんなのかわいい妹になんてことをしてしまったのか。

6歳の小さな心に黒いしこりがどんどん大きくなる。苦しい。

その場でどうしていい分からなくなってお腹を押しても泣かずにスヤスヤ寝ている妹にごめんねを心の中で何回もくりかえした。

そのとき、父が無言ですスーとかつぎ上げてくれた。山の不動みたいに。


不動のまま玄関をでて、外に出ると肩車に変えてくれた。
そのままファミリーマートでアイスを買ってくれた。

父はその間ずっと無言だった。

妹ができてさみしいか?
みんなにとられた気分になったか?
ファミリーマートに行こか?
アイスでも買うか?
妹のおなかに何かしたか?

そのどれも言わなかった。

社会人ラグビーをしてた父の肩からは湿布の匂いがした。

父は最後まで何もいわなかったけど
母も兄も祖母もだれも気がつかなかった
わたしのさみしさに一番に気がついてそこから連れ出してくれた。

ただ肩車でアイスを買ってもらい帰ってきた。たったそれだけのこと。
アイスを食べ終えるころに妹への感情に憎らしさが挟まらなくなった。

わたしも大事にされてる。
それが伝わった。

愛情を感じると人はほどけたように優しき気持ちになるのだ。子どもでも大人でも。

ラオウより強い父との数々の無言のやり取り。

断片的に覚えているのはいつだって言葉ではなく思いなのだ。

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