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700万の右手

「選ばれたでー」

昨日の出来事。
学校から帰宅するなり、小6の息子がヌッと廊下から一枚の紙を引っさげて登場。

わたしは何に選ばれたの検討もつかず…その時何をしていたかと言うと
仕事後、疲れたなー。やけに疲れたと思いながら、
夕飯のお買い物に出なくてはいけないけど、でも行きたくない。その狭間で揺れ動く心を一旦布団に丸まることで現実逃避している所だった。

もう、今日は足が1歩たりとも歩きたくないと言っている。だけど絶対にあと2000歩は動く必要のあるあれこれを考えて気が重い…。


息子の弾む声できっと朗報に違い無いことは丸まりながらでも察知。何となくそうしているのが申し訳ないような気になってくる。
元気を装って、さっきまで動かないと思い込んでいたはずの両足で勢いよく布団を蹴っ飛ばして
「何に?」なんて、明るく返してみた。

聞くと、何やら夏休みに書いた
国際なんちゃら絵画コンクール的な平和ポスターの絵が学校代表に選ばれたのだ。


「すごいやん!」
普段は適当な母親でも子どもの功績は、やっぱり嬉しい。


そして、何がすごいってその先の展開に夢があるのだ。
学校→地方→全国→世界へとその審査が続いていくらしいのだ。


最後の1人に選ばれた暁には、世界一の称号とともに、ハワイだかフランスでの表彰式に家族2名までご招待! そして、なんとおおよそ700万が送られることになっている。

それを聞いたら、一歩も動きたくない足が軽やかに動くからあら、不思議。今度は息子と階段を一気に駆け上がる。

二階のリビングへと移動して、ネットで早速、過去の世界一に選ばれた歴代の作品を見てみようと家族みんなの目線がiPhoneへと集中する。


見なきゃよかったか……。
そっと画面を一回閉じたくなるほど圧巻のアートがそこに並ぶ。


世界!おーー!
なんて浮かれた心の温度が一気に➖10度ぐらい下がる感じがした。


まじで…。ほんまに?子どもが描いた?のかと…。
芸術に長けてる親だか、アートをかじってる親族だかの手によって加筆修正がされたのではないか? 邪な疑いを抱いてしまうほどあまりにも芸術的レベルが高すぎた。


世界一の覇者たちの絵がエベレストとしたら、うちの子の絵は六甲山じゃね?ぐらいに感じるほどだ。


それでもアホみたいに夢を見るのは我々の自由だ。

誰が家族の引率者として、フランスまでいくか?(開催国は決まってないけど勝手にフランスになっている)

「そこはほら、やっぱり母でしょーよ。そういう時は母親が1番しっくりくるやん。」
生みの親の特権を振りかざす。

つかさず長女がいや、「ここは姉弟だけで海外にいく経験を今から積んでおく方がいいと思う。これからは国際社会やしな。」

なんてプレゼンが始まる。
被せて、
「ママは忙しいくて仕事も休めないやろ?妹の世話もあるし中々家あけれないんちゃう?」ときた。

正論だよ。ド正論。

母親だって負けない。
子どもはスマホもパスポートもカードもお金も持ってないからあかんやろ。大人のパワーワードを武器に自分が適任であることを再度推す。
結局、誰が付き添うか曖昧なまま、
その後は賞金の使い道や作品についてへの協議がまだまだ続く。

700万何に使おう?
内訳どうしょっか?

絵のコンセプトを聞かれたら何と答えよう?
作品の名前なかったくない?
何か決めといた方が箔が付くんちゃう?


夢は広がる。どこまでも……どごまでも。
気分は、片足は既にINパリ。


実際のところ、その壁の高さはわかっている。
だけど、デジタルの技がどこかしら匂うエベレスト級のあまりにも完成の高い絵にビビりつつ、親バカだけど右腕1本アナログの手書きで描きあげた荒削りな息子の絵がわたしは好きだと思った。


息子はいつも、いつも絵を描いている。

夕飯の後、1人そこかしらで背中を丸めて妖怪みたいになりながら、そこまで毎日書くものがあるのかねーと呆れるほど描いている。


息子が書き溜めてきた絵がもしかしたら初期の作品として立派なアートとして日の目をあびるかもしれない。なんて話にまで派生する欲深い我が家のメンツ。
ついには700万の右腕が描いた絵だからねー。
「この前、祖父の誕生日に送ったほらGTRのあの絵も価値があるわ!」
と盛り上がりは止まない。

妄想でごちゃごちゃ言ってる時間もまた見えない賞を授与したんだと思える楽しい夜だった。


このできごとが自信になって、彼の小さいな胸にとまり希望になればそれは何によりも価値のある称号なのだ。


褒められたり、認められたりする経験があるとないとではこの先の生きやすさが随分と違ってくると思う。

人生のどこかで打ちのめされたとき土壇場でその経験がギリギリでものをいう時がくるさ!

息子を思いながら眠る夜、700万の右手かもしれない息子の手を最後につないだのはいつだっただろうか…?ふとそんなことを考えた。

子どもの成長や活躍が嬉しくもあり、ちょっぴり切ない母なのでした。





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