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たまに、「性別」という概念が気持ち悪くなるんだよね。

私の体は、出生時「女性」と定義された。
性器は女性器を有していて、今のところ卵巣もある。遺伝子的なところは、よく分からんが。

そして、性自認も時たま「どっちも違和感」と感じることが増えたけど、比率で言えば「女性」と認識している日が多い。ので、まぁここも「女性」でいい。

だから、わたしはいわゆる「シスジェンダー」とされるひとで、今までの交際経験も異性のみなので、今のところ「ヘテロセクシュアル」とされるひとだ。

いわゆる性的マジョリティに分類される場面が多い訳だが、「性別」という概念を捨て去りたくなることがままある。

そのきっかけは、本当に些細なことだったりする。

「性別」が制約をかける場面に遭遇した時とか、わたしの「性別」だけにフォーカスされた時とか、「性別」だけで何かを判断されて、差別やそれに近しいものを受けた時とか、性的暴行にあったから、といった少なくともわたしにとっては大きな出来事だけじゃない。  

「性別」が違うというだけで、頼んでもないのに、勝手に恋愛の土俵に引っ張り出された時とか、
「性別」が違うというだけで、「素敵だな」と感じた人と友達になりきれなかった時とか、
「性別」が違うというだけで、関係性が同性の人のそれとは違うものに感じられた時とか、
「性別」が違うというだけで、過剰に気を配られすぎた時とか、
同性だったらそんなこと言わないでしょ?と思う言葉を投げかけられた時。

そんな時々で、「『性別』という概念そのものが消え去ればいいのに」と、絶対にありえない別世界を切望してしまうのだ。

この時の気持ち悪さというか、不快感は、身体的な性と性自認が一致しないことへの違和感とかではなく、この体に「性別」が否応無しに付与されていることへの拒絶感に近い。

拒絶したところで、「性別」はわたしの体から綺麗さっぱりなくなる訳ではないし、「性別」はわたしの体だけではなく、わたし自身の中にも、社会の中にも、文化の中にも存在する。その全部を消し去ることなんて不可能なんだよ。わかってる。

でもね、たまにどうしようもなく嫌になるよねって話。

こんな旨のツイートをしたら、結構たくさんのいいねがきて、やっぱりみんなそういう風に感じる時ってあるよね?と少し安心したりした。