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ただ、ただ。ただ、その事実を目にするだけ。

2泊3日で陸前高田に行ってきました🚗
車で行ったのでかなりの弾丸です。笑
(いつも弾丸、どこへでも弾丸。もはやそれが私だな)

昨年の8月以降、自分自身の行動範囲が劇的にひろがりました。
意識していたわけではありませんが、これまでの行動範囲はほとんどが西。

そんな中でこれまたご縁で出逢った方々に会いに陸前高田へ行ってきました。

すごく、よかった。
人も、場所も、空気も。

結局、陸前高田へは1泊2日だけでしたが、もっといたかった。足りなかったです。だからまた行きます。

それは一旦おいといて。

今回、陸前高田に行った目的は人に会うこと。
その方が、たくさんの仲間たちに会わせてくださり、本当に濃い時間を過ごすことができました。

昨夜、複数人で話をしていた時のこと。
3.11の話になりました。


私自身、3.11の時は小学4年生。
関東にいるので私が住んでいるところも揺れました。震度5弱(5強だった説もあるらしい)。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えています。

被災地の方々に比べると、微々たるものだと思います。
それでも当時の私にとっては衝撃的すぎる体験でした。

自分自身も体感した震災。
その被災地をひょんなことから訪れることになった。

初めて見ました。奇跡の1本松。
想像以上に背が高くて、想像以上に閑散としていて。
正直、なんだかぞわっとしました。そう、ぞわっと。

常磐道で行きましたが、
福島県を通ったとき、「放射線濃度」の電光掲示板がありました。
被災地各地の道に「津波浸水区間」の標識がありました。
震災から13年経った今でも、街にでればあの日のことがいつでも蘇ってくるように感じました。

そして。
せっかく陸前高田に行ったことだし、自家用車だし。
福島第一原発の影響を受けた地区も見に行きたくなり、下道におりて国道6号線沿いを走りました。
『帰宅困難区域』の標識があちこちにある場所です。

街なのですが、街ではなく。
当時のまんま、お店が看板がついたまま残っていたり、市役所の看板が蔓だらけになっていたり。

現実世界なのですが、フィクションにも見える世界でした。


胸がぎゅっとつかまれるとか、そういう感覚は一切なく、
ここで起こったこと、起こる前の生活。
それが、そのまま残っているようで残っていない。
ただただその事実を目にしました。


きっと、これは、今の私だから感じることができたし、直視することができました。
(少し前以降の私はいけなかった。見られなかった。そう思う。)


やはり、自分の目で見ること、肌で感じることが一番ですし、これからもそういう風に生きていきたいと思いました。


とにかく、あれは、自分で見た方がいい。
ある程度、受け入れられるキャパがある状態がおすすめです。


まだまだ知らないことだらけ。
それを全て追いたいとは思わない。
でも、何かのご縁で繋がった場所、人のところへは、時間やお金を惜しまず出向き続けます。
私はそういう人間です。

皆さん、今日も1日お疲れさまでした🍀

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