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【東京の夜】03 #新宿の先輩

人は、関係性に名前をつけたがる。

1恋愛にしろ、友情にしろ、とにかくだ。


しかし、過去を振り返った時、

わたしは、自分の記憶の〝曖昧フォルダ〟にある思い出ほど、

よりノスタルジックな気持ちにさせられる。


わたしが彼と出会ったのは、

新卒で入った会社の先輩の、人数合わせとして呼ばれた会だった。


仕事上、遅れて参加したわたしの席はもう決められており、

必然的に隣の男性と話す機会が多くなるような形となった。

彼は30歳で、わたしより8歳年上だった。

「好きな料理注文してね。俺らは飲むだけでお腹いっぱいだから」

自嘲気味にそう言うと、彼はわたしにメニューを渡してきた。

そしてそのまま、わたしの空いたグラスにお酒を注ぐ。

大人ってすごいな。がその会の感想だった。


場は盛り上がっており、2軒目に選ばれたのは、銀座近辺のカラオケ。

そこでも、先ほどと同様、彼とわたしは近くに座っていた。

カラオケの場は言うまでもなく悲惨。

多分、東京じゃなくても、金曜日はそんな感じだろう。

5日分の就業からやっと解き放たれ、週末に向けて発散する。

それがわたしの金曜日の夜のイメージ。

先輩達はマイクを離さないので、

わたしは彼と一緒に、お酒を注文したり注ぐ係を引き受ける。

人は同じ行動を取っていると、その人に親近感を覚えやすくなると思う。

その理論が働いたのか、それとも彼の雰囲気が

上京してくる前に振った先輩に似ていたから、なのかは分からないが、

「もっとお話したい」

と言われたのにも、わたしは何の疑問も抱かなかった。


3軒目、彼とわたしは二人で新宿にあるバーへと向かった。

通い慣れているのか、挨拶をしていた。

わたしは我慢していたたばこを吸う。彼はたばこをやめたようだった。

「俺が前付き合っていた子に似てる」

呟くようにそう言われる。

「奇遇ですね。わたしもあなたに似た人と出会ったことがあります」

「俺、実は離婚してるんだよね。子供はいないんだけど」

「そうなんですか」

「だから、恋愛が怖くなっちゃって…」

と話す彼の表情はもう今となっては思い出せない。

その気持ちが理解できるまで大人にはなれていなかったが、

何か彼の救いになるのならばと寄り添うことならできると思った。

「たばこ1本もらってもいい?」

「どうぞ」

人はお酒が入ると、どうも語り口調になるらしい。

結論がない話。そこに深い意味はない話。感情がこもっている話。

何かを遠く見つめるような目で話す人だった。


「ごめんね。朝まで付き合わせちゃって」

「楽しかったので、謝らないでください」

「ねぇ、また会える、かな?」

「そう願ってるときっと会えますよ。では、ここで」

「そっか。じゃあ、またね」


わたしたちは一晩中一緒にいたのに、下の名前以外は何も知らない。

彼の連絡先も、もちろん知らない。

正直、話の内容はほとんど覚えていない。

でもたった一つ、先輩に似ていたことだけは覚えている。


彼の願いはわたしに向けてなのか、元奥様に向けられた言葉なのか、

今はもう知る由もないが、

東京の、ある金曜日、新宿のバーで

歳の離れた大人が、学生を卒業して間もない小娘に

吐き出す夜があったという話。


友人でもない、恋愛に発展することもない、

会社の先輩でも、知り合いでもない、

わたしの〝曖昧フォルダ〟に残されている人。

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