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8月15日に思った、戦争を伝えるということ

オリーブの花言葉は「平和」なのだそうです。

今年も8月15日を迎えました。

テレビで終戦をテーマにした番組が流れると、4歳の息子は「むずかしいから(テレビを)消す。」と言っておもちゃで遊び始めました。まだ『戦争』は分からないだろうからな、とその時は何気なく思いました。

その後夜ひとりになった時、ふと、「自分が『戦争』というものを認識したのは何歳ぐらいだったかな。」と疑問が浮かび、考えてみると、「あ、あれは5歳のときだ。」とすぐに思い出しました。

何故それが5歳のときだったのか。どうしてそのことをはっきりと覚えているのか。

それは、私が祖母から、当時5歳だった彼女の息子(私の叔父にあたる人)を戦争で亡くしたという話を聞いたから。そして、その時「自分と同い年なのに戦争で死んじゃったなんて、かわいそう!」と幼いながら衝撃を受けたからです。まだ『戦争』というものが何なのかを具体的に理解していなかったと思いますが、私が戦争というものを認識し、記憶に残っている初めての瞬間であったことは間違いありません。

そう思うと、私は、戦争を実際に体験した祖母の、大切な長男を戦争で亡くしたという話を直接聞くことによって、戦争というものを知ることができたのです。

そして、4歳の息子を育てている今、そのことがいかに貴重なことだったかを実感しています。息子の周りには、直接戦争を体験し、それを語ってくれる人はいません。『戦争』というものを彼が知るには、直接戦争を知らない私や周りの大人がそれを伝えなければならないでしょう。でも、果たして自分にそれができるかというと、正直全く自信がありません。

もちろん、歴史の流れを説明することはできるでしょう。学生時代、世界史は得意でしたし、興味もあったのでたくさん本も読んでいます。でも、そういう知識を教えられたとしても、私が祖母から知り得た『戦争』というものを、同じように息子に伝えるのは難しいと感じています。

戦争というものを知識として知ることと、体験した人から話を聞くことには、大きな違いがあるからです。

たとえば、祖母が戦争を語る時、彼女はいつも、大して深刻なそぶりもなく、悲しそうな顔もせず、さらりと「ああ、○○ちゃんは終戦のちょっと前、5歳の時に赤痢で死んじゃったのよ。」というように語り、「○○ちゃんのお顔、色白でとってもきれいでしょう。」と赤ちゃんの頃の写真を楽しそうに見せてくれました。その後、私がもう少し大きくなってからは、空襲の中を走り回って逃げたことを面白おかしく話してくれたこともありました。「焼けた遺体がごろごろ転がっててねえ。おほほほほ。もう踏んづけちゃいそうになって、大変でしたよ。」と、いうように。字に書いてみると少し不謹慎なようにも読めますが、祖母はいつも朗らかに、何事もないように、笑いながらそういう話をする人でした。それを聞きながら、私はいつも、日常に戦争ってものがあるとそんな風に感覚がマヒしちゃうなんて嫌だな、と思いました。そういう感覚は、実体験を伝え聞いたからこそ、得られた教訓だったように思います。同時に、「おばあちゃんは体は小さいけど、心がずいぶん強いな。」とも思いました。戦争を生き抜いた祖母に対して、知らず知らずのうちに大きな尊敬の念を抱くようになっていたのです。

祖母が亡くなってからもう20年以上経ちますが、祖母から聞いた戦争の話はどれも私の記憶の中に強く残っています。あっさりした、ありのままの体験記です。先ほど、「自分には自信がない」と言ってしまいましたが、やはり、祖母からたくさんの話を伝えてもらった以上、それを息子や娘に伝えていくことが、私の務めのようにも感じています。

どうやって伝えていこうか、ということについて、まだ自分の中でもはっきりと答えも出ていませんが、そう感じた1日でした。

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