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調査、報告作成、発表、認知、、情報、、

2024年新年早々事件や事故や災害やと、多くの方々が大変な正月を迎えておりますが、特に日航機の事故調査、原因解明には多くの方々が注意し待っているんじゃないでしょうか?

人間社会は人が生きていくために、多くの意思が働いて稼働しています。

例えば、医者は人命を救うために存在しています。診察結果を真正直に淡々と100%明確に患者や家族に公表することで、患者自身、家族負担がひどくなると思った場合、医者は正確な診察結果を公表するでしょうか?人間として患者の負担を和らげる、家族負担を軽減してあげたいと医者は考えるでしょう。人を救うために存在している医者が、患者を苦しめたり家族を苦しめたりする事は、なかなかできないでしょう。つまり言い方が悪いですが「オブラートに包んだ表現」「ある程度の開示、嘘とは言えないが、100%事実でもない」そう言った会話を患者やその家族たちに繰り広げていると思います。
そして、この事実を多くの人間は受容しています。

刑事事件なども同様です。警察は社会秩序を保ち多くの国民が安心安全に過ごせるように、犯罪や犯罪者を管理するわけでです。刑事捜査の結果を100%公表することで、もし被害者の汚点が暴露され、被害者が更ななる社会的制裁を受けかけない、被害者家族などにも多大な影響を及ぼすとなれば、きっと警察も100%開示、明白な調査結果など言わないでしょう。又、加害者の酌量部分の証拠が出てこなくても、状況証拠にて十分に加害者の酌量部分が見受けられるのであれば、自然と報告書も影響を受けた結果となるでしょう。

事故調査も然りです。客観的な事故調査を100%開示、客観的事実を曝け出すことにより、もし大企業などが倒産し何万人もの労働者が無職になり、生活が一変するようなことになるとなれば、その調査結果は自ずと最大限影響が少なく済むような調査結果が公表されるでしょう。余程の悪意が見受けられなければ、事故などで亡くなった方より、生きている人間の更生を望む調査報告がなされてもおかしくはありません。

人間社会に於いて、殆どの人間は「最悪の結論」「不都合な事実」は避けようとします。そしてそれは「善意」による操作が多いのです。

事実を明確に!客観的事実を!透明性ある調査結果を!などと色んな事件や事故が起きた後に社会は叫びますが、実はその一方で個々の人間は、悪い方向への調査結果は極力避けようと生きています。悪い結果、悪い影響を真正直に公表する意味はどこにあるのか?多少誤魔化しても、多くの人間への悪影響を抑え、多くの人間が希望や平穏を保ているような調査結果を伝えた方が良い、と言うのが現代社会の結論です。つまり全ての調査結果やレポートは、結論ありきの作成されたものが表に出ているのです。

会社などの報告書も然りです。問題発生、100%事実を上や社外に報告しても単に騒ぐだけの結果となるなら、ある程度の情報操作を行い問題改善後の前向きな報告書を提出した方が良いと実社会では起きている。
家庭内でも同様。家族や身内に余計な心配をかけるよりもと、一人一人が小さな情報操作を行いながら、家庭の平穏を守っているわけですから、社会の中で起きている様々な事件事故の報告も、全く同様の事が起きていると認知した方が宜しいかと思います。

単に、事実を!正確な!明確な!嘘のない報告を!と叫ぶより、情報の捉え方を工夫して、騒ぎ立てたり誰かを責め立てたりする様な言動は謹んで欲しいものです。そしてこの「善意の情報操作」にも、必ず影が存在します。
「善意の情報操作」を良しとするなら「悪意の情報操作」も容認しなければいけません。もし「悪意の情報操作」を認めないと言うなら、同時に「善意の情報操作」も改めなければいけません。情報を取り扱うのは人間です。人間がどの様に使いこなすかで、情報は希望の光にもなるし、疑心暗鬼の影にもなります。

もし、人間が情報を使いこなせないとなれば、全ての情報操作を認めず、客観的且つ無機質なものへと情報を変えた方が良いでしょう。闇や影を落とさず済む様になります。悪意を持った情報操作ができなくなる環境が構築できるようになります。そしてその副作用として、希望の光となる情報も自ずと減っていくことになります。どちらをその時代の人間たちが望むのか?影だけを切り取り、光だけを取り入れるなんて、絶対にできないし、それは人間の傲慢さが生み出す妄想です。光あればそこには必ず影があり、影があると言う頃は、必ずそばに光は指しているのです。見えるかどうかは、あなた次第なんです。

もう一つ情報に関して言えば、情報の多様性をもう少し再考した方が良いかもしれません。震災などの情報合戦は、どの情報を見ても被災地が被災者が大変だ大変だばかりの情報のみ。そんなものは、TVやネットで観なくても容易に想像が可能です。今までに無数の被災地などの悲惨な情景を嫌になる程観てきています。今更報道されなくても、どんなに大変かは、十分理解できます。
そんな旧態依然のコピー情報の垂れ流しより、被災が発生した時点で、被災地へ向けての必要な情報や、被害者が少しでもホッとできる情報を公共設備で展開した方が良いのではないでしょうか?大変なのは被災地であり、被災者たちです。暖かい炬燵に入って、野次馬視線で見ている人間たちの視聴率を稼ぐ事が、マスコミの使命なんでしょうか?全ての番組をキャンセルしてまでも、被災地が必要としている情報展開をしてあげた方が、いろんな意味で多くの方々の救済になると思います。忖度を無くす事は困難でも、困っている人たちの救済という使命で情報展開する事は、容易に改善できるんじゃないでしょうか?

元旦早々様々な悲しい事件や事故が発生していますが、情報というものは出す側の忖度はつきもの、見る側の欲求が認識を左右します。全ては個々の人間が、その情報をどのように使いこなすのか?そこが最も重要になってきます。調査を行う人間、報告書を作る人間、報告を提供する人間、発表する人間、全体利益を望む人間、個々の利益を望む人間、冷静さを求める人間、問題提起を望む人間、無数の人間が絡み合い、様々な忖度が起きている中での、結果が表面に現れています。そこをきちんと理解した上で、情報と言うものを自分なりに使いこなしていただきたいと願います。

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