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西洋美術で学ぶ聖書の物語(新約聖書編)

「聖書の物語を知ると絵画はもっと楽しい」
をモットーに、西洋絵画の題材によく取り上げられる聖書のエピソードをまとめていきます。前回は旧約聖書の物語を紹介しましたが、今回から新約聖書、 イエス・キリストの受難の物語です。非常に有名なエピソードばっかりなので、みなさんよくご存知のものばかりかとは思います。


13.  受胎告知

大工のヨセフと婚約していたマリアのもとに大天使ガブリエルが現れ、精霊による神の子の懐胎を告げた。まだ結婚もしてないのに、と驚くマリアに、ガブリエルは生まれる男児は神からの贈り物であることと、名をイエスと名付けるように告げて消えた。
この逸話を書いた絵は星の数ほどあり、有名な画家のものもたくさんあります。
ダ・ヴィンチの受胎告知は、彼の初期の頃の作品ですが、一点透視図法や天使の羽のリアルさなどすでにダ・ヴィンチらしさが出ています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」1472〜1475年ごろ

修道士であったフラ・アンジェリコは、生涯でこのテーマの作品を数多く描いています。中でも傑作とされるのが以下で、色合いといい構図といい、全体を包む神秘的な雰囲気は何と表現したらいいでしょう。マリア様は人間というより何か神様然としています。

フラ・アンジェリコ「受胎告知」1440年代後半

一方、エル・グレコの受胎告知はかなり漫画チックです。今でもこういうポスターありそうですよね。ちなみに、ガブリエルの手元にある百合と鳩はマリアの純潔の象徴です。

エル・グレコ「受胎告知」16世紀後半

14. イエスの誕生

ナザレに住んでいたヨセフとマリアは、ローマ帝国の住民登録のため故郷であるベツレヘムに戻ることになった。同じような人でベツレヘムはごった返しており、宿が取れなかった夫婦は馬小屋を借りた。イエスはそこで生まれた。

ルネサンス期の画家コレッジョが描いた「イエスの誕生」は、光と影の対比を使って登場人物の重要な順に目が写るように計算されています。「マリア&イエス→手前の羊飼い→天使→画面奥の父ヨセフ」とぐるりと視点が一周します。

コレッジョ「聖夜」1529〜1530年

15. 羊飼いへのお告げ

ルカの福音書によると、イエスが誕生した夜、羊の番をしていた羊飼いの前に「主の御使い」が現れ「メシアの誕生」を告げた。羊飼いたちはあわてて周囲を探し始め、生まれたばかりのイエスに謁見した。
ファン・デル・フースの描いた「羊飼いの礼拝」では、中央右上で3人の羊飼いがイエスに謁見しています。イエスは床に寝かせられており、光り輝いている。なお、左右には身長のバランスの悪い人たちが描かれていますが、デカイのは聖人で、小さいのはこの絵を依頼した家族の姿だそうです。

ファン・デル・フース「羊飼いの礼拝」1475〜1476年

16. 東方の三博士の来訪

マタイによる福音書には、東方から占星術の博士3人がイエスの誕生を知りやって来た。3人はヘロデ王に謁見し「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどちらにおられますか?」と尋ねた。3人はその後、星を追って進み、マリアとともにいる幼子を見つけてひれ伏し、黄金、乳香、没薬を捧げた。
3人の博士は、ヨーロッパ、アジア、アフリカを代表しており、また捧げ物は黄金=青年、乳香=壮年、没薬=老人を現しており、それぞれの年代を代表した姿でも描かれます。
ファブリアーノの描いた絵は、地域と年代の代表の姿を忠実に描いています。ゴシックから初期ルネサンスに至る過渡期に描かれたもので、人物の表情や動きなど、人間らしさが見て取れます。

ファブリアーノ「東方三博士の礼拝」1423年

ファン・デル・ウェイデンが描く「東方三博士の礼拝」は、三連祭壇画になっており、中央に位置します。イエスの真上にある壁には「磔刑像」が架けられており、その後の運命を示唆しています。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン「東方三博士の礼拝」1455〜1460年

17. エジプト逃避

ある日父ヨセフは夢で天使からのお告げを聞き「ヘロデ王がイエスを探しだし殺そうとしている」ことを知る。ヨセフはマリアとイエスにしばらくエジプトへ避難するように命じた。マリアはロバに乗り1000キロにも渡り歩いた。
ジョットの作品の右側にいて後光が指している男は父ヨセフ。彼はどこか不安そうだが、マリアは毅然としています。 

ジョット「エジプトへの逃避」1304〜1305年

ドイツ・ロマン主義のルンゲは、旅の途上のマリアとヨセフを描いています。
後ろの背景にわずかにナイル川とピラミッドが見え、旅の終わりが近いことが分かります。ヨセフが典型的なドイツ人顔をしてますね。

フィリップ・オットー・ルンゲ「エジプト逃避途上の休息」1805〜1806年

18. ヘロデ王の嬰児殺し

東方三博士の言葉を聞き、自分を脅かす存在の登場に激怒したヘロデ王は、ベツレヘムと周辺にいる2歳以下の男児を全て殺すように命じた。
ニコラ・プッサンの作品では、1人の兵士が子どもに剣を振りかざし、母が必死で抵抗しようとしているシーン。背後には子を連れて逃げようとする母親が描かれ、阿鼻叫喚感が伝わります。

ニコラ・プッサン「嬰児虐殺」1630〜1631年

ブリューゲルがこのシーンを描くとこんな感じになります。
パッと見はオランダの冬の風景なのですが、よく見ると兵たちが農村に押し入り赤ん坊を殺しまくる凄惨なシーンです。ブリューゲルは当時オランダを支配していたスペインの圧政を、ヘロデ王の嬰児殺しに例えて批判したのでした。

ブリューゲル「ベツレヘムの嬰児殺し」1567年

19. イエスの洗礼

イエスはヨルダン川で洗礼教団を開くヨハネの元を訪ね、多くの洗礼希望者の列に並んだ。ヨハネは「自分こそあなたに洗礼させてもらうべき」とためらったが、イエスはヨハネを促し洗礼を受けた。すると天が開き、精霊がイエスの元に舞い降りてきた。こうしてイエスはメシア(救世主)として生きることとなった。
ヴェロッキョの作品では、中世以降一般的となった「頭の上から水をかける」方式の洗礼図で描かれています。

ヴェロッキョ「キリストの洗礼」1472〜1475年
Photo by Livioandronico2013

上記の絵はイエスは足首しか水に浸かっていません。
マタイによる福音書には「イエスはパブテスマを受けるとすぐ、水から上がられた」とあり、中世以前は腰や胸までしっかり水に浸かった洗礼のイメージが一般的だったようです。

イタリア・ラヴェンナ アリウス派洗礼堂の天井モザイク
Photo by Petar Milošević

20. 荒野の誘惑

洗礼を受けたイエスは、ユダの荒野に赴き40日間の断食を行う。
断食最後の日、悪魔が3回もイエスを誘惑してきた。3回目の誘惑の時、悪魔はイエスを非常に高い山の上に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて「もしお前が私にひれ伏すなら、この世界をお前に与えよう」と言った。イエスは「だた神のみを拝み、主に仕えよ」と言って悪魔を退けた。
ドゥッチョが描くシーンは、この逸話を分かっていないと、ウルトラマン級にデカくなったイエスが悪魔と漫才をしているようにしか見えません。
ちなみに、描かれた都市は彼の故郷シエナがモデルだとされています。

ドゥッチョ「山上の誘惑」1311年

21. カナの婚礼

イエスはある時、母マリアと共にカナという村の結婚式に出席した。宴もたけなわの頃、ワインが足らなくなってしまった。イエスは女たちに命じて、3つの瓶いっぱいに水を入れさせた。そしてそれを宴会の世話役のところに持って行かせた。世話役が瓶の中の水を飲むと、それはワインに変化していた。
これはイエスが起こした最初の奇跡であり、全体的に陰鬱な話が続く聖書に出てくる数少ない愉快でおめでたいシーンなので、多くの画家がこのシーンを描いています。なお、この結婚式が誰の結婚なのか聖書には書かれておらず、実はこれはイエス自身の結婚式であり、相手はマグダラのマリアではないか、という説もあります。

ジョットの描いたカナの婚礼は、水をワインに変えた瞬間を描いたもの。非常にシンプルな構図と描写です。基本的に登場人物は無表情で、奇跡が起こったファクト(?)に焦点が当たっているように思えます。

ジョット「カナの婚礼」1304〜1306年

ティントレットの描いた絵は、会場のザワザワした雰囲気がよくわかり、声まで聞こえてきそうです。手前のオレンジの服を着た人物が世話役ですね。横の男が「どうだ?どうだ?」と聞いています。

ティントレット「カナの婚礼」1561年

ヤン・コルネス・ベルメヤンの絵には、もはや世話役や瓶に入ったワインすら出てきません。皆の目線の先で世話役がワインを飲んで「おい!ワインになってるぞ!」と言って、イエスの周辺の人たちがざわつき始めています。

ヤン・コルネルス・ベルメヤン「カナの婚礼」16世紀半

22. イエスの変容

ある日、イエスと弟子のペドロとヤコブとヨハネは山へ登った。すると、イエスの姿が突然代わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。イエスの両脇には、モーセと預言者エリヤが現れイエスと話し合った。弟子たちが畏れおののいていると、雲の中から声がして「これはわたしの愛する子。彼に耳を傾けよ」と聞こえてきた。
ラファエロは聖書の記述に忠実に描いています。光るイエス、白い服、両脇の預言者、畏れる弟子たち。下の取り巻き達はよく分かりませんが、「何だアレは!」「どうなっているんだ!?」「私にも見えるわ!」みたいに驚きおののいている様子が鮮やかに描かれています。

ラファエロ「キリストの変容」1518〜1520年

23. ラザロの蘇生

ベタニアの町に住むマルタとマリアの姉妹、弟のラザロは、深くイエスに帰依していた。ところがラザロが病気にかかってしまい、イエスが駆けつける4日前に死んでしまった。イエスは墓に行くと、墓石を取り除き、ラザロに呼びかけた。すると死んだはずのラザロが生き返って出てきた。
ジョットが描くシーンでは、ミイラのようにぐるぐる巻きにされたラザロが描かれ、これを見る限りは生き返っているようには見えません。よほど臭いのか、右の人物は鼻を抑えています。イエスにひざまずいているのは、マルタとマリアの姉妹。

ジョット「ラザロの蘇生」1303〜1305年

24. エルサレム入城

ガリラヤを出た一行は、途中でラバを捕まえてエルサレムに向かった。旧約聖書「ゼカリヤ書」でロバに乗ったユダヤの王の来訪は予言されていたため、人々はイエスを熱狂的に出迎えた。
ドゥッチョの「エルサレム入城」は彼の最高傑作とも称される作品。シュロの葉や自分の服を敷いてイエスを歓迎する人々が門前に大量に詰めかけ、興奮が伝わってきます。

ドゥッチョ「エルサレム入城」1311年

ファン・ダイクの描く「エルサレム入城」はより接写の構図。奥には興奮した群衆が詰めかけているのが見えます。濃いカラーが左から、「黄→青→赤→黄→青→赤」と並んでおりその目に入る大きさが、左側に対象物が進んでいくように見せています。非常に科学的な絵ですね。 

ファン・ダイク「エルサレム入城」1617年

エルサレムの神殿に入ったキリストは、神聖な神殿内で肉や生け贄を売ったり、両替商をしている商人たちを見て激怒する。そしてテーブルをや物売りの腰掛けなどをひっくり返してしまった。こうした行為を容認していた祭司長や律法学者はイエスを恨み殺そうとするが、人々が熱狂的にイエスを迎えるために、手が出せなかった。 
エル・グレコの作品では、毅然とテーブルをひっくり返すイエスと、左側に悪徳商人が描かれ、商人たちは陽の光を浴びた吸血鬼みたいにもだえてグニャグニャになっています。

エル・グレコ「神殿から商人を追うキリスト」1595〜1600年ごろ

25. ユダの裏切り、最後の晩餐

過ぎ越しの祭のためにエルサレムに入ったイエスは、祭を祝う食事の用意をさせる。
その間、裏切り者ユダが祭司長の所に行き、「あの男をあなたたちに引き渡せばいくらくれるか」問う。銀貨30枚を払う、と彼らは言った。
ドゥッチョの作品には、銀貨を受け取るユダが描かれています。

ドゥッチョ「ユダの契約」1311年

そうして過ぎ越しの祭の晩餐のテーブルに付いたキリストと12人の弟子たち。
この場でイエスは「お前たちの1人が私を裏切ろうとしている」と言い、自らパンを手で分け「とって食べなさい、これは私の体である」、次にぶどう酒を注ぎ「この杯で飲みなさい、これは私の血、契約の血である」と述べた。ユダにパンを渡すとき、イエスは「しようとしていることを、今すぐしなさい」と言った。ユダは1人で外に出て行った。
最後の晩餐といえば、ダ・ヴィンチの言わずと知れた大傑作を思い浮かべる人も多いでしょう。イエスの生涯を象徴する最も劇的な場面であり、小説「ダ・ヴィンチ・コード」のようにこの絵にはメッセージが隠されている、と深読みまでされるほどです。

この絵の特徴的なところは、他の画家の「最後の晩餐」では区別されて描かれるユダを列席の中の一員に描いていること。イエスの神秘性も強調されず、窓の外からの光で自然に際立つものになっています。

レオナルド・ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」1495〜1498年ごろ

デル・カスターニョの作品では、ユダはイエスと弟子たちと向かい側のテーブルに座っています。真っ黒な髪のユダは妙な孤独感を出しており、何ともいえない気分になります。 

デル・カスターニョ「最後の晩餐」1447年

26. オリーブ山上での祈り、イエスの捕縛

晩餐を終えた一行は、祈りを捧げるためにオリーブ山の中腹にあるゲッセマネの園に向かった。イエスは弟子たちを置いて1人で祈りをはじめた。しばらくして戻ってみると、弟子たちは皆寝ていた。2回目も、3回目も弟子たちは寝ていた。 
イエスは「まだ眠っているのか。時が近づいた。人の子は罪びとたちの手に引き渡される。行こう」とつぶやいた。

マンテーニャの作品には、祈るイエス、眠りこける3人の弟子たちの背後に、ユダを先頭にした兵士たちがやってくるのが見えます。いよいよクライマックスが近づいてきました。

アンドレア・マンテーニャ「ゲッセマネの園の苦悩」1460年ごろ

ユダが大勢の兵士を引き連れてやってきた。ユダは事前に「わたしが口づけをするのがその人だ。その人をつかまえるのだ」と兵士たちに言っていた。ユダは言った。「先生、こんばんは」そうして口づけをした。それを合図に、兵士たちは一斉にイエスを取り押さえにかかった。弟子たちは驚き、みな逃げ出してしまった。ユダはその後、裏切りを後悔して銀貨30枚を神殿に投げ捨てた後、首を吊って自殺した。

ジョットの「ユダの接吻」は、まさにユダが接吻をし、兵たちがイエスを取り押さえようとする直前を描いたもの。ユダの複雑な心の葛藤、そしてそれを全て理解し受け入れるイエス。非常にドラマチックな一枚です。

ジョット「ユダの接吻」1304〜1305年

27.  ピラト謁見、この人を見よ(エッセ・ホモ)

兵たちはイエスを捕らえ、大司祭カヤパの元へ連れてきた。カヤパはイエスを死刑にしようと様々な証言者を連れてくるが、みんな言うことはバラバラで立証できなかった。そこでこう質問した。「お前はメシアなのか」イエスは答えた。「あなたの言う通りである。あなた方は間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。カヤパは「神を汚した」と叫び、周囲の者も「死刑にすべきだ」と答えた。大司祭カヤパは、ユダヤ総督ピラトの前にイエスを連れて行った。
ピラトはイエスが無罪であることを理解しており、群衆に問いかければイエスを救い出せると思った。そこで群衆の前にイエスを連れだし、「この人を見よ(エッセ・ホモ)」と叫んだ。ピラトの予想に反し、群衆はイエスの死刑を望んだ。

ピエロ・デラの作品では、ピラトの目の前でイエスが鞭打たれていますが、登場人物は無表情で、遠近法で描かれており、あまり緊張感がない不思議な絵になっています。

ピエロ・デラ「キリストの鞭打ち」1455年

ティントレットの作品でピラトの前にたつイエスは、白い衣をまとっており、熱狂的にイエスの死刑を望む興奮した人々に取り囲まれている。ピラトは顔をそむけ、死刑が決まったことに複雑な感情があることがわかります。

ティントレット「ピラトの前のキリスト」1566〜1567年

クエンティン・マサイスの「この人を見よ」では、手前のピラトが群衆に冷静に語りかける一方、群衆は殺気に満ちた異様な興奮状態にあり、今にもイエスをなぶり殺しにするんじゃないか、と思えるほど。

クエンティン・マサイス「この人を見よ」1515年ごろ

29. 十字架運び

 捕縛した翌日にイエスは死刑となる。イエスの罪状は「ユダヤの王の自称」であったので、イエスは罪になぞらえられて王の色である紫の衣を着せられ、月桂樹の冠ではなく、茨の冠を被せられた。十字架を担がされてゴルゴダの丘を目指して歩き始める。
ジャン・フーケの作品では、聖書の記述通り紫の衣をまとって十字架を担ぐイエス。その向こうには、首を吊って死んでいるユダが見えます。

ジャン・フーケ「十字架を担うキリスト」1450年代

 ボスの描く「十字架を担ぐキリスト」の周囲にいる者はみな醜く憎悪に満ちており、ディズニー映画に出てくる悪役みたいです。画面の左下にいて目を下に向けているのは聖ヴェロニカ。彼女はイエスの額についた汗を布で拭った。すると奇跡が起きて、布にイエスの顔が浮かんだ。

ヒエロニムス・ボス「十字架を担うキリスト」1515〜1516年

ティッツァーノの作品はもっとシンプルで、1人の老人がイエスに食って掛かっている。「テメエ!オレたちを騙そうとしたな!」とでも言いたげです。イエスは達観した表情で、もはや老人の声すら耳に届いていないようです。

ティッツァーノ「十字架を担うキリスト」1505年

30. 磔刑

とうとう十字架に磔になったイエス。十字架の上には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と罪状を書いた板が掲げられている。この時、イエスと他に2人の強盗が十字架にかけられた。金曜日の朝9時に刑が執行された。異変が起こったのは12時頃。昼間なのにあたり一面が暗闇に覆われ、そのままの状態が3時間も続いた。午後3時過ぎ、イエスは行きを引きとった。すると突然、エルサレムの神殿が真二つに割れ、地震が起こり、岩は裂け、墓が開いた。兵士たちはこのときになって、自分たちは神の子を殺したのだ、と気づいたのだった。
 ミケランジェロの作品では、イエスが気を失う前、「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ぶシーン。後ろにいる天使はずいぶんノンビリしてますが、イエスが死ぬのを待っているのでしょうか。イエスに上に掲げられた板の「INRI」は、Iesus Nazarenus Rex Iudemorum(ナザレのイエス、ユダヤ人の王)の略です。

ミケランジェロ「キリストの磔刑」1540年

アンドレア・マンテーニャの作品では、イエスの他の2人の強盗も描かれています。下では兵がゲームをしており、ゲームでイエスの衣を誰がもらえるかを争っている。

アンドレア・マンテーニャ「キリストの磔刑」1457~1460年

31. 十字架降架

イエスが息を引き取ったその夕方、アリマタヤのヨセフという金持ちの信者がイエスの遺体を引き取ると申し出てきた。ヨセフは遺体を降ろし亜麻布に包んで、イエスと親しかった議員ニコデモや、マグダラのマリア、最期を看取った女性たちとイエスを墓に葬った。次の日、パリサイ派の人たちが総督ピサロに「あの男は生前自分は3日後に復活すると言っていたので見張りをおくように命令してください」と言う。ピサロは同意した。
名作「フランダースの犬」でネロ少年が見たいと熱望し、最期に愛犬パトラッシュと共に死ぬのは、このルーベンスの「十字架降架」の前でした。

イエスの亡骸の重量感が感じられます。ジイサンが右手を離したら、仰向けにドサッと落ちてしまいそう。バロック期らしい重厚な絵です。

ルーベンス「十字架降架」1612年

ラファエロの描く「十字架降架」では、ゴルゴダの丘を降り下の方まで亡骸を運び出しているシーンです。左側のイエスを運ぶ人たち、右側の気絶したマリアを運ぶ人たち、奥のゴルゴダの丘、奥の遠景のバランスの均衡がよく取れています。

ラフェエロ「十字架降架」1507年

一風変わった少女漫画のような「十字架降架」は、ポントルモの作品。マニエリスムの手法で描くとこうなるのかあという感じです。色もパステルカラーだし、全体的にフワフワしています。右側のオッサンすら可愛く見えてくる。 

ヤコポ・ダ・ポントルモ「十字架降架」1525〜1528年

32. ピエタ

ピエタとはイタリア語で「慈悲、敬虔」のような意味で、イエスの遺体を抱き悲しむマリアのことを言います。このシーンは聖書にはないので、画家たちが「きっとこうだったに違いない」と想像を膨らませて描いたテーマです。
「ピエタ」の基本は、マリアが膝の上にイエスの遺体を載せている姿。あとは、上から眺めて泣く、抱きしめる、手を合わせるなど、画家たちは思い思いのシーンを切り取って絵にしています。ヴァン・デル・ワイデンの「ピエタ」は、十字架から降ろした直後のようです。マリアが膝の上に遺体を載せて慟哭している様子が描かれています。

ヴァン・デル・ワイデン「ピエタ」1441年

一方で、ピエトロ・ペルジーノの描く「ピエタ」は、登場人物が全員無表情。イエスを膝の上に載せるマリアの姿はお決まりですが、まるで物でも見るかのようなマリアの表情はどうしたことでしょう。完全なシンメトリーで描かれているのでバランスはいいのですが、ちょっと不気味です。

ピエトロ・ペルジーノ「ピエタ」1483〜1493年

33. イエスの復活

死後3日たってイエスは復活します。詳細な記述は聖書にはないので、このシーンもまた画家たちの想像力に委ねられているのですが、お決まりは総督ピラトの命令で墓を見張っていた兵たちが眠っている時に、イエスが墓の中から立ち上がる、というもの。
フランチェスカの作品は、石棺の中から身を起こすイエス、手前に眠りこける兵士。背景の木は、左は枯れていますが右は青々としており、死と再生を表しています。 

ピエロ・デッラ・フランチェスカ「復活」1406年ごろ

一方、ラファエロの描く「復活」は、復活し宙に浮くイエス、舞う天使、畏れおののく兵士たち、という構図になっています。後ろの女性はマグダラのマリアでしょうか。左の兵士の足元にいるヘビは「悪徳」を現し兵たちと紐付かれており、イエスに紐づく天使と対比されています。

ラファエロ「復活」1499〜1502年

このテーマをルーベンスが描くと「ムクリ」という擬音が付きそうな感じでイエスが起き上がっている様子になっています。兵たちは描かれず、イエスの神々しさが強調された大胆な構図です。

ルーベンス「復活」1616年

34. 我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)

 さて、墓にイエスの遺体がなくなっていることに気付いたマグダラのマリア。嘆き悲しんでいると天使が現れ、話をしていると、そこにイエスが現れた。始めマリアは気づかず、園の管理人か誰かだと思い「あの方をどこに運んだのですか?教えて下さい。私が引き取ります」と頼んだ。イエスが「マリア」と声をかけると、マリアはそれがイエスだと気づき体に触れようとする。するとイエスは「わたしに触れてはなりません。また神のもとに上がっていないのだから」と答えた。

この「我に触れるな(ノリ・メ・タンゲレ)」は登場人物がイエスとマリアだけであり、画家の自由な想像力が効くため人気のあるテーマです。
ティッツァーノが描いた作品のイエスは鋤を持っており、マリアが園の人だと間違えた様子を示唆していますが、まさか全裸の園の人もいないでしょうに。

ティッツァーノ「我に触れるな」1511〜1512年

35. エマオの晩餐

 イエスが復活した日、二人の弟子がエマオ村を歩いていると1人の男が歩いてきた。男はイエスの復活を知らなかったようなので、弟子2人は説明しながら宿屋に連れて行き食事をする。男が祈りながらパンを2人に分け与えたため、弟子2人はこの男がイエスだと気付いた。しかし次の瞬間イエスは姿を消した。

カラバッジオの「エマオの晩餐」では、これはきっとパンを受け取り2人がイエスだと気付いた直後でしょう。右の男は「せ、先生かよ!?本当かよ?」とでも言っているような驚きのポーズをしています。左の男は驚きのあまり言葉すら出ない様子です。

カラバッジオ「エマオの晩餐」1602〜1603年

36. 聖霊降臨(ペンテコステ)

 イエスは復活後、再び弟子たちの前に現れ神の国について話して聞かせた。その後、改めて弟子の中から12人を選び使徒とし、40日後に使徒たちの前で天に上がり、やがて見えなくなった。

エル・グレコの作品では、聖霊が降臨し弟子たちに異国の言葉を話す能力を与えたシーンを描かれています。その後使徒たちは、ヨーロッパ、中東、インドにまで布教の旅に出かけ、目覚ましい成果を上げていくことになるのでした。 

エル・グレコ「聖霊降臨」1605〜1610年

37. 最後の審判

世界の終末が訪れたとき、キリストと殉教者たちが支配する「千年王国」がこの世に現れる。そこにサタン(アンチ・キリスト)が現れて人々を惑わすが、神によって滅ぼされ、その後「最後の審判」が行われる。

裁きを行うために天使たちを引き連れ、キリストは栄光の玉座に座る。そして全ての民族がその前に集められる。羊飼いが羊と山羊を分け、羊を右に、山羊を左に振り分ける。右の羊は「神に祝福された人たち」で、「神が用意した永遠の楽園、エデンの園」に再び入ることを許される。左の山羊は「呪われた者ども」で、「悪魔のために用意した地獄」に入り永遠の罰を受ける。

「最後の審判」と言えば、ミケランジェロの絵を思い浮かべる人も多いでしょう。中央にいる体格の良いイエス、祝福された人たちが上空に引っ張りあげられる一方で、悪人どもは地獄に落とされている。右下には炎が見え、悪人どもは今からここに投げ込まれるのでしょう。

ミケランジェロ「最後の審判」1536〜1541年

一方で、聖書の記述通りに規則正しい姿で配置されているのがフラ・アンジェリコの作品。中央の玉座に腰掛けたイエス、それを取り囲む天使と殉教者たち、右には祝福された人たち、左には呪われた者ども。遠近法は地上のみに用いられています。神の国は宇宙の物理が通用しないということでしょうか。

フラ・アンジェリコ「最後の審判」1425〜1430年ごろ

もっと露骨に「天国」と「地獄」を描き分けているのがステファン・ロッホナーの「最後の審判」。右側の祝福された人たちはエデンの園に通じる扉に天使に導かれて入っていく。一方で呪われた人たちは、すでに悪魔たちになぶり殺しにされている。 

ステファン・ロッホナー「最後の審判」1435年

 まとめ

聖書の物語を簡単にまとめてまいりました。

これ以外にも、細かなサイドストーリーや、聖書以外の聖人たちに逸話など、色々な題材があります。全部をまとめると大変なことになるのでやめておきますが、これくらい知っておけば絵画の楽しみ方も拡がるのではないかと思います。すでに知っていた逸話でも、実は知らなかった話やお決まりの形があることもお分かりいただけたと思います。

ヨーロッパに旅行に行った時でも、あるいは最寄りの美術館の展示を見に行くときでも、メモがてら本記事を参考いただけますと幸いです。

参考文献
西洋美術で読み解くキリスト教の謎 田中久美子監修 宝島社

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