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イランではどういう人物が「支配正当性」を得るのか

 共同体というものは概して、自分たちの「トップのあるべき姿の文脈」を独自に持っています。

それは血縁だったり思想や宗教的連続性だったりするのですが、これをちゃんと持っとかないと絶対に納得しない奴が出てくる。揉めて共同体がまとまらない。下手すりゃ内乱にもなる。
なので「こういう理由でオレがトップなのである。分かったね」と言う必要があります。

日本の天皇も含め、正当性などは結局は神話でしかないのですが。

今回は最も歴史が古い国の一つである、イランの支配正当性についてまとめます。


1. 王者に付帯される「クワルナフ」

Photo by Photo Ginolerhino 2002

イランの王は必ず「クワルナフ」というものを宿しているとされます。
クワルナフは日本語に訳すと「光輪」みたいな意味なのですが、時には目に見える形で現れるし、目に見えない場合もある。上記の写真だと、2人の人物が互いに持つ「輪っか」のような形で表現されています。
物語の中では、失脚寸前の王の側から「鳥の形をしたクワルナフが飛び去った」など輪だけでなく様々な姿形に変わります。
クワルナフは神から地上の王に与えられた「地上統治権」を具現化したもので、これがないと王と名乗ることは許されません。

ただし、いったんクワルナフを授かり王になったとしても、暴政を行って民心の離反が起こった時には「クワルナフは離れる」と考えられます。
それゆえ、王権の交替はこの「クワルナフが付いたか / 離れたか」で説明されます。
絶対主義のヨーロッパみたいに物理的な王冠の形をしておらず、クワルナフの有り無しは傍目からは絶対分かりません。

クワルナフが無くなった、というのはおそらく「世間の空気」とか「場の雰囲気」みたいな感じで、みんなが「あ、こいつもうアカンわ」と思ったらクワルナフは離れるし、「◯◯様!最高!」ってなったらクワルナフが付くんでしょう。 

2. アケメネス朝ダレイオス1世の王権獲得神話

ダレイオス1世は東はインド、北は南ロシア(スキタイ)、西はギリシアに遠征し、帝国の領土を拡大。首都スーサとサルデスを結ぶ「王の道」を整備し、また商業を促進したことでも有名。アケメネス朝を代表する名君とされます。
ダレイオスは実は正統な王の血ではなくて実は傍流の出身。にもかかわらず「アフラ・マズダの意志によって」王座に継いだとされます。 

偉大なキュロス大王の死後、息子のカンビュセスが王位にあったが、彼は弟のバルディヤを自分の脅威と恐れ密かに殺害してしまいます。
カンビュセスがエジプト遠征に行った後、ガウマータという名の祭司が「自分がバルディヤである」と詐称して王位を乗っ取ってしまいました。
バルディヤの正体に疑問を持った貴族オタネスは、王のハレムにいる自分の娘に命じて正体を探らせ偽物である証拠をつかみとりました。

オタネスとその仲間たち7人(その中にダレイオスもいた)は王位簒奪者ガウマータを殺害。そして民主制を望んだオタネスを除く6人が、自分が王位につくことを主張しました。
そのやり方は「一同騎乗して城外に遠乗りをし、日の出とともに最初にいなないた馬の主が王位に就く」というもの。
戦いの前夜、ダレイオスは馬丁に命じ自分の馬を城外につれていき、お気に入りの雌馬とつがわせました。
夜の白む頃、6人は約束通り馬にまたがって現れます。一行は昨日馬が雌馬とつがった場所にさしかかりました。雌馬はまだそこに繋がれており、それを見たダレイオスの馬は雌馬に駆け寄っていなないきました

次の瞬間、雲1つない空から稲妻が閃き雷鳴が轟いたとされます。
他の者たちは馬から飛び降り、ダレイオスの前にひれ伏しました。

日の出は契約の神であるミスラ神と関連があります。
ミスラ神は暁の初光の神であり、ここで馬がいなないたことは、ダレイオスがミスラ神と王になる契約を交わしたことを意味します。そして起こった稲妻と雷鳴は、ミスラ神の武器であるワズラ(雷の杖)を思わせます。この瞬間、ダレイオスはミスラ神からクワルナフを与えられ、王となったのでした。

王になったダレイオスはキュロス大王の2人の娘アトッサとアルテュストネを娶りました。
この婚姻によってダレイオスの子孫はキュロス大王の血が受け継がれていることになりました。もっと言うとキュロス大王は前王朝のメディア最後の王アステュアゲスの娘マンダネとカンビュセスの間に出来た子でした。

ダレイオスは過去の偉大なペルシアの「高貴な血統」を受け継ぎ、支配の正当性を確実なものとしたわけです。

このように、イランの王家はメディア、アケメネス朝、パルティア、ササン朝…と支配者が変わってもその血が連綿と受け継がれていくとされます。
この連続性が他の国とは違う独特なところです。

3. ササン朝アルダシール1世の王権獲得神話

Photo licence: Classical Numismatic Group

 ササン朝を創設したアルタシール1世も同じような神話が伝わっています。
アルタシール1世の父ササンは、アケメネス朝最後の王ダリウス3世の末裔でしたが、身分を隠してパールスの総督バーバグという男の牧夫として仕えていました。バーバグは跡を継がせる男子がいませんでした。あるときバーバグは、夢でササンの頭上から太陽が昇っている夢を3回も見ました。

夢占いによると、ササンの子孫こそが世界を支配するというお告げであるいいます。そこでバーバグはササンにその出自を問いただし、自分の娘と結婚させました。この時に生まれたのがアルタシール1世であるとされます。

さて、アルタシールは体躯は並はずれ、頭は抜群に切れ、武芸も抜きんでた超絶イケメンな男に成長しました。その評判を聞きつけた国王アルダワーンは、アルタシールを宮廷に召し寄せました。

ところが弓の腕はアルダワーンの長男よりも勝っていたため、嫉妬した長男は策略をめぐらし、アルタシールは宮廷で窮地に陥りました。進退窮まったアルタシールは、占い師の助言「本日より3日間の間に主人の元から逃げる家来は誰でも勝利者となる」のお告げを信じ、アルタシールに惚れていた宮女と一緒に逃げ出しました。 

アルダシールは翌日、2人が消えていることを知り、軍勢を率い彼らを追いかけます。正午にパールスに向かう道で、人々に2人の行方を尋ねたところ彼らは口々にこう言いました。

「それより美しいものはないというような、屈強な雄羊が一頭、2人のあとから走っていました」

もともとアルダワーンの元にあったフワルナフが、いまアルタシールに移りつつある。アルダワーンは殺害が不可能なことを悟り、群を引き換えざるを得ませんでした。

アルタシールの物語では、フワルナフは雄羊の形で表現されています。
また、夢で出てきた太陽はゾロアスター教のミスラ神の象徴でしょうし、アルタシールがアケメネス朝の血を受け継ぐことも述べられています。
物語の内容は全然違いますが、この2点が踏襲されているのはテンプレですね。

4. シーア派初代イマーム、アリーの神話

ゾロアスター教を信仰するササン朝の次にイランを支配したのはイスラムでありますが、ご存知のようにイランはシーア派がその大半を占めます。
より正確に言うと、十二イマーム・シーア派で、12人のイマームを認めています。この12人は1人を除いてみな非業の死を遂げており(1人は「お隠れ」になっている)、初代イマーム・アリーも「裏切者」のウマイヤ朝のヤジードによって殉教しています。

イラン人が理想の君主とするイマーム・アリーは、「カーバ神殿の中で生まれ、誕生の瞬間に既に礼拝の姿をしていた」とか、「死者をよみがえらせた」とか、様々な伝説があります。
アリーの妻はムハンマドの娘ファーティマであり、アリーの血統こそ預言者ムハンマドの血脈を正しく受け継いでいる、ということになるのですが、
イランの歴史によると、アリーの息子フサイン・イブン・アリーの妻は、ササン朝最後の王ヤズデギルド3世の娘シャフルバヌーであるとされ、3代イマーム、アリー・ザイヌルアービディーンの母であるとされています。

これは事実としてはかなり疑わしいようなのですが、この文脈によりアリー一家は「高貴な王家の血」と「預言者の血」の2つを併せ持つ存在になったのです。

アリーが死んだとき、「まだ日が高いのに空が暗くなり星が見えた」とか、「アリーの首から光が発した」とか、「首を入れた壺から光が発し、その周りを白い鳥が舞った」とか、いろんな伝説があります。
「光輪」である「フワルナフ」の文脈を受け継いでいるのが分かりますね。 

5. イマームとしてのホメイニ

十二イマーム・シーア派の信者たちは、「お隠れになった」第十二代のイマーム・マフディーの再臨を待ち望んでいるとされます。
姿を消したイマームが再び民衆の前に現れ、偽の為政者の支配で苦しむ民衆を解放し、この世に「神による正しい統治」をもたらしてくれる。

1979年に起こったイラン・イスラム革命で、指導者となったホメイニ師は民衆に「マフディーの再来」を予感させました。実際に、マフディーが次に現れるとされたイスラム暦1400年でした。
レザー・シャーの強権的な政治で世は乱れ、人心は離れつつある。「フワルナフ」はレザー・シャーからホメイニに移動しようとしている

ホメイニ師はカシミールの出身で高貴な血脈ではなく、政府は「ホメイニはインド人である」として「ホメイニ=イマーム」の火消しにやっきになりましたが、人々は「マフディーの再来であるホメイニ師は高貴な血統に違いない」と考えました。

ホメイニはマフディーであるから、すはなちアリーの血を引いており、つまり過去の偉大なペルシア王朝の血をも引いた人物である

実際にホメイニを描いた肖像には、彼の顔の後ろに朝日の後光が指したものが多く配布されていたのでした。

まとめ

物語やその上の要素は変わっても、基本的な文脈が古代から全く変わっていないのは大変興味深いですね。
高貴な血統の系譜と、王者の証である「光輪」フワルナフ。
日本のように比較的閉じている国なら分かりますが、イランのように古来から様々な民族が行き来したような場所で、このような連続性のある文脈がずっと受け継がれているのは興味深いです。

もし現在の体制が行き詰まったら、誰か「光り輝く高貴な人物」が現れ、人々はその周りに集って再度イランは結集していくのかもしれません。

参考文献
「シリーズ世界史への問い7 権威と権力」 第8章 イランの諸王朝ーアケメネスからホメイニーまでー 上岡弘二

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