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「好き」なものをどう扱うか

 「好きなこと」を仕事にしたら幸せだと思っていた。「将来は英語を使った仕事に就きたい」と多くの生徒が言う。この「英語を使った」という漠然としたテーマの幅がいかに広いかを私自身、就職をしてから気づいたのだ。もちろん、私も生徒たちと同じように、将来は英語を使って仕事をしたいと思っていた。


 中学生の頃から英語が好きだった。別に英語が得意だったわけではなく、映画が好きで洋楽が好きだから英語が必要だった。昔は洋楽のCDはすぐには発売されず、米軍放送で聞こえた洋楽のCDはディスクユニオンやHMVなどの大手のCDショップで輸入盤を買うしか方法がなく、輸入盤には歌詞カードが付いていなかった。だから、聞き取った歌をカタカナで紙に書いて歌って覚えた。
 中学に入って英語を習うとカタカナだった歌詞に英単語がはまるようになり、他のカタカナの部分はどの単語なのか、一体どういう意味の歌なのかと、私の英語学習は洋楽を中心に進んだと言っても過言ではない。
 まぁそんなだから学校の勉強とはかけ離れていて、教科書に出てくる定型文の退屈さに向き合うほど真面目ではなかったので学校での成績はさほど振るわなかった。けれど、大学でも英語を学びたい、英語を使いたいと思う気持ちに揺らぎはなかった。
 進路選択の時に部活の顧問から音大への推薦を受けたが、私には音楽よりも英語の方が、奥行があるように感じられ外国語学科に進学した。
 幸い大学は、1年時は全員が全学科の全分野の入門を学習せねばならず、2年進学時に専門を選ぶことができるため、「英語を」学ぶのではなく、「英語で」何かを学びたいのだということに気づき、文学専攻に進んだ。
 だから就職の時も「英語で」働くことを優先し、教職を取らずに一般企業を受けて銀行の海外部門で働いた。


 ところが、ビジネス英語は実に狭い世界だ。専門用語という幅はあるものの、使う文体はほぼ定型でそこには学ぶ楽しさはなかった。単純に銀行業務が退屈だったのかもしれないが、そこに私の好きな英語はなかった。
私は「英語で」何かをしたかったけれど、英語を毎日どう扱うかまでの想像が決定的に足りなかった。
 結局、就職氷河期の最後の苦しい就職活動で、やっと得た堅い銀行員という肩書を手放し、大学院で教職を取った。私はどこまでも英語の学習者でありたい、そしてその過程で得たことを社会の役に立てたいということにようやく気付いたのだ。


 大学で教職を取らなかったこと、銀行に就職してしまったこと、20代前半に全力を傾けたこと全てがガラガラと音を立てて崩れるような転換だったが、不思議と後悔はなく、その時点でもすでに必要な失敗だったと感じていた。ものの見方の角度が甘かった自分の視野が大きく開けたような瞬間だったのだ。


 その後、教員となり生徒と同じ学習者として英語について生徒と語り合う幸せをたくさん嚙み締めた。そして生徒の進路選択では、自分の失敗談を伝え、「好きなこと」と毎日どのように付き合いたいのかを考え、調べ、具体的にイメージするようアドバイスをした。学校の現場を離れてしまったが、卒業生が高校の頃に向き合った自分たちの「好き」に邁進している姿を見るととても嬉しくなる。

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