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紅白まんじゅう的 素朴な記憶

赤字、赤っ恥、真っ赤な嘘、赤裸々など「赤」がつく言葉にはネガティヴ要素が含まれることなどから「紅」と表記するらしい。プラス純白の「白」。めでたいお菓子といえば「紅白まんじゅう」。


楽天的で抽象的な「めでたさ」

あってもなくてもどっちでもいいものなんだけど、卒業式などで手のひらに重量を感じる小さくて白い紙箱をもらうと、なんとなくうれしかった。

進学や将来に不満や不安を抱えて卒業する場合でも、「とにかくめでたいのじゃよ饅頭でもまあクエクエ」と『楽天的』に祝う感じが好きだった。

近頃、ご意見やクレームを慎重に聞き入れる傾向が高い学校側は、予算の論議、O157などの食品衛生問題、そしてアレルギーに配慮して紅白まんじゅうさえ配れないとどこかで読んだ。『楽天的』な物事がどんどんなくなるなあとさびしく思う。工夫の結果、中身がバームクーヘンだったりもするというから、それはちょっと意味が違うのよね、結婚式じゃないんだからと思ったり。(ちなみに青春の学校は紅白まんじゅういただける、わい!)

なんとなく諸葛孔明の饅頭語源が好き!⇒「饅頭」wikipedia参照


素朴で抽象的な「めでたさ」

そうそう、なにも紅白まんじゅうは卒業時でなくてもいいのだ。ヘッダー写真の紅白まんじゅうは、おととい内覧会にうかがった「新保育園開園記念」でいただいたもの。「ゆめの樹保育園なりたにし」 社会福祉法人フィロス

以前、保育園のアートワークの仕事で知り合った経営者さまからお誘いいただいた内覧会。若手人気建築家さんもご紹介いただき、建築作品としても堪能させていただいた。モダンでありながら温かみあるダークな木の内装と、いただいた記念品「紅白まんじゅう」のイメージがぴたりと重なった。

子どもが生きる上で大切な記憶や空間とは、けっして華美でなく、足りないくらいが良いと思っている(当園はデザインされているという意味では豪華だがが華美ではない)。ベビーや子どもを観察していると、事物あふれていると気が散って目が定まらないが、簡素であるほど自分を取り戻し、天井や床をボンヤリ、時にニヤッと見つめていたりする。だから木の節目や天井のしみを覚えていたりする。そんなことが期待できそうな園だった。

「饅頭でもまあクエクエ」なお祝いの仕方も、私的推奨「ボンヤリ教育」も、楽天的で抽象的で、素朴な記憶のひとつかもしれない。華美でない素朴な「めでたさ」を自身の作品においても、もっと大切にしたいな。

ヘッダー写真「紅白まんじゅうと春の畑」(小判皿/半磁土)

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