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食べることを初に知り 最期に忘るる

このところ、フレッシュな人の生と、大事な人とのお別れが入り混じり、そして立てつづきました。

さようならのシーンなんて冗談だよと信じてやまなかった肉親は、水木しげる氏やデビッド・ボウイと一緒に宇宙に旅立ったので、きっと今ごろ、地上では考えられないエキサイティングな日々を送っているに違いありません。

ぼくら器の中から、より小さな仲間が選ばれて、毎日、宇宙に向けて少しだけ夕食を運ぶのだけれど、彼ら宇宙の饗宴に本当にこの食事がいるのかいらないのか、ふと考えるのです。

(ヘッダーの写真「お食い初めの器と子羊」※小さいけどよーく見て!)

(写真:アイルランド・ダブリン郊外の羊たち)

羊水のなかで栄養を摂って育った人間は、外界に出てくるとお乳を飲むことを知ります。ちなみに「養」という字には「羊」と「食」が潜んでいますね。栄養ある食物として羊を食べるといいよみたいな語源だったと記憶しています。

だからこそ、“生まれて初めて食べることを知る瞬間”を大切にしたいと思うのです。そして願いを込めてお食い初めの器をつくります。形式ばった儀式こそしなくても、子どもたちが自らその器の存在に気づいたとき、器の重さや形、ホンモノの形を手で触って知って欲しいのです。割れることも覚悟です。その事実も、ケガのない範囲で必然です。

(写真「お食い初めの器」: 彼女の家は実際に一度割れてこちらは2つ目。離乳食を終えた幼児期も使ってくださっているイタリアの地でのモデルケース)


【育てる NUTRIRE】

「育てる」という言葉は、ラテン語の【NUTRIERE(乳を飲ませる)】が語源であり、同じつづりの伊単語【NUTRIRE (育てる・養う)】を使うたび、聴くたび、瞬間的に「乳を飲ませる図」を想像して、なぜだか滋味深い気持ちになるのよとアトリエの中のひとは天を仰ぎながら言うのです。

大切な人が旅立って、その単語はさらに深みを増して沁みているようなんですよ、じわじわと。なぜならば…。


派生語には【NURSERY(育児所、種苗を育てて販売する所)】【NURSE(看護師/看護する、世話する】などがあり、「NURSING HOME」といえば介護施設。

このように派生語を眺めていると、「育てる」ための栄養とは「乳」から「食物」、「人の手や心」と変わっていくわけです。そして人が人としての「育み」を終えるとき、それは食べるということを忘れ、従って栄養の摂取を完全に終えるとき。そして次なるステージでは、人生という栄養を要するのかなと。

さて、宇宙では何を栄養としているんだろうな?

そんなことを、ぼくらはアトリエの中のひととよく語り合います。食を入れるだけに留まらず「すべての栄養を入れる器」になれるといいねと。



NUTRIRE IL PIANETA(地球に食料を)

昨年の「ミラノ万博」のテーマにもこの単語【NUTRIERE】が使われていました。現地では政治汚職や市民が望まぬ計画や遅々とした準備などなど、我らの東京オリンピック同様、賛否両論あった万博でしたが、コンセプトに好きなあの言葉が入っていたことには悦びを感じました。

"NUTRIRE IL PIANETA, ENERGIA PER LA VITA!" "FEEDING THE PLANET, ENERGY FOR LIFE!" (地球に食料を、生命にエネルギーを!)

(上写真:ミラノ万博2015年:現地の友人の案内でこの稲穂の道を歩きました)

(下動画:ミラノ万博のPRムービーです)

アトリエ名 Cocciorino(コッチョリーノ)は地球のかけらという意味です。

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