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旅する土鍋2018 −つくりたかった景色–

2018 07/19 Bologna ボローニャ(ボローニャ山間部)

ー生きるものとしてーよりつづき

弟子業を終えてイタリアを離れ日本で窯をかまえてから、”つくりたい作品”とか ”目指すべき作品” ”理想の作品” という縛りのある思考がなかったように思う。それ故なのかとても気持ちが自由であった。20年を振り返ると、自らをワクワクさせたいという感情が先立っていたと内観する。

ボローニャの彼女のうちには大きな「旅する土鍋」がドンと暖炉のそばに座っている。2年前ミラノで師匠と行った展覧会にもきてくれて白い土鍋も仲間入りしている。それらは作家として感動に値する「景色」である。

先にも述べたように、わたし自身には”つくりたい作品”の終着点はなく、その代わり「見たい景色」が夢のようにぼうっとある。それはなんであるか自身でもわからない。わからないからものづくりはおもしろい。

彼女が古いテラコッタの鍋(上写真)を見つけたそうで、これでお肉料理をしようということになった。「旅する土鍋」(白土鍋)には全粒粉のパン生地を入れ、「旅する大土鍋」(黒土鍋)には豚肉にハーブを添えて入れた。もうひとつ水瓶のような形状のこれまた古いテラコッタの鍋には豆を入れた。それらを全て薪窯に入れごちそうを待った。このような古代の人が考えた容器との共演という景色、そして火がなめて色づけた景色。このようなものがわたしの「つくりた景色」のひとつなんだと思う。



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