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トマトのコンポート

「食べられないもの、ある?」
「パクチー」
私は即答して、匂いがだめです、と付け足した。「貴方は?」
「俺は、トマト」
彼は即答して、なんでだめかは分からない、と笑った。

そうか、なんでだめかは分からないのか。私も、トマトが好きではないが、好きではない理由はなんとなく分かる。ぶちゅっとした触感、トロっとした中身、酸味、後味。幼いころから、ミートソースやケチャップは大好きなのに、野菜のトマトはそのまま食べる気にはならなかった。食べようと思えば食べられるけれど、進んで食べたくはなかった。

だが、実家の祖母が作り置きしていたトマトのコンポートだけは別だった。
私が小学生のころ、おなかすいたと祖母に言ったら、おやつにそれを出してくれた日のことをいまでも思い出す。
透明なグラスの中に、皮をむいて砂糖漬けにされたミニトマトがふんだんに入っていた。てらてらと美しく、宝石みたいなそれは、透明なシロップの層に沈んでいた。見た目だけでなく味もまた格別だった。酸味は抜けきってひたすら甘く上書きされていた。キンキンに冷えた一口大の真っ赤なそれはアイスボールみたいに口の中で溶けた。私は「あれ、作って」といつも祖母にせがむようになった。私は、砂糖漬けされていれば、ミニトマト1パックや、大きなトマトを2個ほどでも、一気に食すようになった。
「こうやってトマトを湯剥きして、砂糖を適当にまぶして、冷やしておくんだよ。」
祖母はキッチンで後ろからそわそわと見守る私に教えてくれた。
あれもまた加工されたトマトであることには違いないが、少なくとも私の中で、トマトが好きだ、と思ったのは、トマトのコンポートだけだ。

それから十年が経った。

いま、一人暮らしをしている私の冷蔵庫には、ほぼ安定的にトマトが存在しているのだから不思議だ。私は今ではトマトをけっこう好きなのだろうか。いや、大して好きではないはずだ。ぶちゅっとした触感もトロっとした中身も酸味も後味も、依然として好きではないはずだ。だが、卵と炒めたり、豚汁の出汁に使ったり、カレーやスープに入れたりするし、生でも進んで食べる。
ストックがなくなったら買い足しに行く。食事に行くとトマトの入ったサラダを頼むことも多い。依存なのだろうか?いや、なんとなく買ってしまうというだけだ。トマトが世界から消滅したら、私は悲しむのかといえば、ノーだ。ケチャップがなくなるよりはおそらくましである。だがトマトが消滅したらケチャップも消滅するので、この思考に意味はない。

さて、昨日、彼と最後の食事をして気づいたことがある。彼は、自分は食べられないのに、何故かトマト入りのサラダを頼む…そして、トマトはすべて私の取り皿に綺麗に取り分けて、残りのレタスやらチーズやらクルトンやらを自分の取り皿に取り分ける。だから私はひたすら角切りのトマトを頬張ることになった。オリーブオイルが美味しかったのでぺろりと平らげたが。
彼は、トマトが私の好物だとでも思っていたのだろうか。それとも、たんに料理をシェアしたいだけだったのだろうか…分からない。だが私はトマトを頬張りながら、まあトマトってわるくはないよな、と思ったことだけは確かだ。

彼はそうして北国へ赴任した。
もう一生会うことはない。そう考えると不思議な気持ちだ。喪失感を抱くほどにはまだ実感が無い。
私は休暇に入り、久方ぶりに実家に帰っている。

祖母と、数年ぶりに、一緒にスーパーに行く。そこには見慣れた、熟れたトマトがある。私はそれを手に取る。
さらに年をとっても、トマトそのものを美味しいと思うことは、砂糖漬けされていない限り、ないだろう。それなのに私は、甘くコーティングしたそれを自分でつくって食べることは一度もしなかった。

「おばあちゃん。トマトのコンポートを作ってくれる?」
そう聞いたら、「あんたは本当に好きねえ」と嬉しそうに、もう1パック、トマトをカートに入れてくれた。

3時間近く冷やしたトマトのコンポート。久方ぶりに食べたが、やっぱり甘くて冷たくて、とろっとしていて美味しかった。
砂糖を沢山まぶしたそれは当然に甘かった。それなのに私はなんだか酸っぱいトマトを食べたかのように、切なくなって泣けてしまった。

「また俺の話ばかりしてるな。もっと君の話を聞かせてよ。俺は君のことが知りたいよ」

最後の最後まで、そう言わせてしまったな。

深夜、砂糖に溶けゆく真赤のつやめきを、いつまでも見つめていた。

*・☪︎·̩͙トマトのコンポート*・☪︎·̩͙

*材料*
・ミニトマト1パック
・砂糖大匙2
 きび砂糖がおすすめ。
・Ed Sheeranの「perfect」
流し聴いておくと、トマトが砂糖に浸る間、感傷に浸ることができます。ビヨンセとのデュエット版がおすすめ。
*作り方*
1.沸騰した湯にトマトを10秒くらい晒した後、つるっと湯むきする。
2.容器に入れて、砂糖を大匙2ふり掛ける。そのまま、冷蔵庫で冷やしておく。
3.一晩くらい置くと最高

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