「ためまっぷ」のきっかけ

「ためまっぷ( https://www.tamemap.net )」をどうして始めたのか、清水の話です。

いろいろな状況が重なったのもありますが、自分の子育て期に地域内で孤立した原体験からです。どこにも行き場がなかった。

学生から社会人となり家庭をもった。仕事をして家族と生活している。でも何か大事なもの欠けている。子育て期にそれがはっきりわかりました。
お店ではない仕事でもないフラットな関係性の場、人生の大先輩にしつけや元気づけなど子育てのコツを聞けたり、子どもが成功失敗を体験できる多世代多様な社会性を育める場所を見つけられない。子どもがよりよく成長できる環境を自分は持っていない、与えられない、と感じました。

一人っ子が3歳になり5歳になり、大きくなるにつれ、大人になっても恐れずチャレンジするマインドを持ってほしい、やさしくたくましくなってほしい、子どもとの時間を持てる貴重な週末にその「機会」を求めて一緒に一日中探して回ったが、見つからなかった。その虚しさ、情けなさ、やるせなさは誰にも繰り返させたくない。子どもがいつか親になっても。

ある友達の親子は、周辺のショッピングモールを毎週末にはしごしている。それが短い子どもの成長期にどれだけの体験になっているのだろう。
近所で親子が行ける場を探したけど見つからなかったから行くのをやめたという友達。普段近所との接点はほぼないので、子育てで近所に世話になり関わり始める機会は、人生の中でその時期しかなく非常に貴重だ。なのに探して見つからなかったことでそれが失われた。

お世話になったから、他の困っている人にお世話をして返す。お世話をしていたら、相談できる相手もできる。子育てだけでなく、近所の清掃でも、災害でも、なんでも。お世話とも思わず、自分の体験や学びと思い、ただ近所の人が集まる場。どんな人が住んでいて、どんな人生を送ってきて、非言語な情報や感覚、無知の知を認識する場。

プロボノで、もちもちの木( https://mochi2.stars.ne.jp/ )という介護ホームで人生の終末までを多世代で関わることの大切さを教えてもらいました。公民館で学校に居場所がない中学生たちと大人たちのまちづくりに涙が出た。

まちの中には人の数だけたくさんの地域活動がある。いつ誰が来てもよく、来れる人だけ来たい時に来てね、の気楽でいられる場。それっぽく言うとダイバーシティ。でもそれは埋もれて知っている人はごくわずかです。

今、8年目を迎える私たちの事業活動の間にも、橋から赤子を抱えて飛び降りる母や、老々介護で餓死する事故が起きている。近くにある助けに気づけば、その時期を乗り越えられて、その人やその子どもたちが次の助ける人になれたはずだ。

今の高齢者は、先の自分たちであり子どもたちだ。なので多世代多様な人が、自分のタイミングでゆるやかに関われる、地域参加できるものをつくろう。

東日本大震災は、そういったことに目を向けて、事業活動をはじめる大きなきっかけになりました。その現場に行くきっかけになった青年会議所の人たちのつながりも忘れられないものになっています。

人生の1割を使って実現できなければやめようと思っていましたが、立ち上げ後、多くの方の支援や応援をいただきました。初めて会うお母さんから「行政の代わりに私たちが前例をつくります」という声、長らくあきらめず各所とおつなぎいただく企業の人など、多大な気持ちをいただきました。それに応えて、どんな形になっても社会実現することに決めました。

次の世代のすべての親や子が、大事なものを得られる社会。
ここで生きててよかったと誰もが思える社会をつくる、これらがそのきっかけです。