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連鎖する「傷つき」をどうしたら断ち切れるのだろうか

恐らくすべての人がそうであるように、私も生きづらさを感じることがそれなりにある。

でも、私は自傷行為をしたことはない。

一方で、精神科医の松本俊彦さんがアンケート調査を行ったところ、「女子中学生の9%、女子高校生の14%に、少なくとも1回以上自分の身体を刃物で切った経験があることが分かった」という。

松本さんの著書『アディクションとしての自傷』を読むと、自傷行為を経験したことのある人は決して少ないとは言えないことが分かる。

彼・彼女らの抱える怒りや悲しみ、痛み、死にたい、消えたいという衝動はどれほどのものだろうと思うと、胸が詰まる。

彼・彼女らはどれほどの苦しみを抱えて生きているのか。どうしたら自傷行為に依らずに、心の痛みを解消できるのか。

著書には、自傷をする人のなかには虐待を受けていた過去があること、性的虐待を受けた経験がある人も少なくないというデータも示されている。

またこの本の意義として大きいのは、少年鑑別所や少年院にいる少年少女たちとの面談調査から、非行・犯罪と自傷行為および虐待の関係性を示唆しているところだ。

ちょっと前に話題になった映画「プリズン・サークル」にもあったように、非行・犯罪の経験のある人にも虐待の経験がある人が少なくないとされる。

傷ついた人がまた人を傷つける。

あまりに苦しい連鎖。どうしたらこの連鎖を断ち切れるのか。どうしたら連鎖を断ち切れるのか――。

罪を犯す人の背景をたどると、もしこの人が適切な支援者につながることができたら……と悔しく悲しく思う。つい先日も、京アニの放火殺人事件の容疑者について書いた記事を読み、無念でならなかった。

青葉容疑者は現在のさいたま市で生まれ、定時制高校を卒業後はアルバイトを転々とした。21歳の頃に父親が職を失って自殺後、窃盗事件やコンビニ強盗事件を起こしていた。服役中は刑務官に繰り返し暴言を吐いたり、騒いだりし、精神疾患と診断された。出所後は、生活保護を受給しながら、さいたま市のアパートで暮らしていたが、音楽を大音量で流すなどの奇行が目立ち、住民とトラブルにもなっていた。
昨年11月の転院時、青葉容疑者は医師に「他人の私を、全力で治そうとする人がいるとは思わなかった」と漏らしたという。

犯罪はときに対象を選ばずに行われる。

ではなぜ無差別に人を死傷するのか。
罪を犯すまえに、何ができたのか。
どうすれば犯行に至らなかったのか。

こうした問いを考えることが私自身や私の大事な人たちを守ることにもつながる。全社会をあげて考えていかなければならない問いだと思う。

ちなみに、自傷行為をしちゃった、自傷したくなっちゃったという相談を受けたとき、どんな言葉を返せばいいか、という質問に対して、松本さんは「よくいえたね」と言ってみたら、と答えるそう。詳しくは『アディクションとしての自傷』の10ページあたりを参照してほしいが、SOSを受けて否定しないことの大切さはあらゆる場面に通じることだと思う。自分も心に留めておきたい。


花を買って生活に彩りを…