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「娯楽的側面」という壁を越えるには【博物館とディズニーランド⑥】

博物館に行くか、ディズニーランドに行くか。悩んだらディズニーランドに行くべきだ。
何故なら、ディズニーランドの後には必ず、博物館に行きたくてたまらないと思うから。

この記事は、「博物館とディズニーランド」シリーズの最終回。
これまで議論してきた博物館とディズニーランドの間に横たわる問題を、ここで再定義しよう。

  • 人々は教育施設である博物館に行かず、娯楽施設であるディズニーランドを選んでしまう

  • 挙げ句、博物館はエンターテイメントに逃げ、教育機関としての意義を見失っている

  • 優秀な学生は、幼い頃にディズニーランドよりも博物館が好きだった。人はディズニーランドよりも、博物館に行くべきだ

ただし、これらの議論の際、ディズニーテーマパークが持つ一見矛盾した特徴は一切考慮されないことがほとんどである。
記事冒頭に挙げた3つの主張も、一部は理にかなっているが、中には、インテリ層たちが実際にパークを見ずに(あるいは大して下調べもせずに)決めつけで書いたような意見も散見される。詳しくはX(旧Twitter)などで「博物館 ディズニーランド」と入力して検索してほしい。
その矛盾した特徴とは、次のようなものだ。

  • ディズニーテーマパークは、建設に学者が参加したのかと見紛うほどに精巧につくられたレプリカが存在するため、アウトリーチ活動に利用可能である

  • ディズニーテーマパークは、特定の時代や文化を乱雑に扱い、巧みにウソをつく傾向があるため、対象の時代や文化に対する誤った理解を促進している

こうした矛盾が解消されず残っている理由の一つに、ディズニーパーク側が学術的知見に基づいた公式のガイドブックを提供していないという事実が横たわっている。

こうした点を鑑みると、上述した1点目と2点目の問題は再検討が必要だ。

「人々はディズニーランドが娯楽だから選択している」というのはある種の思い込みだと思う。
実際は、ディズニーランドの娯楽的側面・・・・・のみが強調され、受け入れられているのである。
博物館とディズニーランドは敵対してはいない。むしろ、「娯楽的側面」という共通の壁に共に挑戦するべきなのである。

「博物館とディズニーランド」シリーズの最終回。この記事では、博物館とディズニーランドの関係性を考察し、一定の結論を述べる。


夢見た21世紀

未来は常にある
俺たちが昔憧れた夢の21世紀が…

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』00:18:28

ディズニーランドの未来の国・トゥモローランドは、人々がこれから遭遇する輝かしい未来の世界を示していた。

私の好きなアトラクションのひとつが"Adventure Thru Inner Space"「内なる宇宙への旅」だ。私が生まれる前にオープンし、やはり生まれる前にクローズしてしまったが。
このアトラクションのテーマは「分子」。ゲストは顕微鏡の中へと入っていき、分子のサイズになって化学の世界を体験する。メインテーマ“Miracles From Molecules"「分子の奇跡」の歌詞は、未来への希望に溢れている。

Every atom is a world,
An infinity unfurled,
A world of inner space without an end.
A world of mystery,
Of endless energy,
With treasures more than man can ever spend.

原子はみな世界なんだ
無限が広がっていくんだ
終わりなき内なる宇宙の世界
無限のエネルギーの不思議の世界
人類には使い尽くせない宝がねむる

Miracles From Molecules(訳は筆者)

私は、このアトラクションの存在が好きである。おそらく多くのアメリカの子供たちが、このアトラクションを通じて初めて分子や原始の世界に出会ったと思われるからである。

こうしたアトラクションは、20世紀には数多く存在した。70年代には、航空機に乗って空の旅を楽しむ「イフ・ユー・ハド・ウィングス」があった。
東京ディズニーランドには日本が世界から影響を受けた場面をめぐる「ミート・ザ・ワールド」があった。坂本龍馬、伊藤博文、福沢諭吉をはじめとした日本の偉人が会談するのを聞くことができた。こうした場面で、初めて新たな分野に触れたゲストも多いはずなのだ。

ディズニーランドの入口と出口

博物館とディズニーランドのシナジーを考える上で、ディズニーランドには二つの役割がある。それは、入り口と出口だ。

入口。つまり、新たな文化や歴史に触れるための入口である。東京ディズニーランドで「カリブの海賊」に乗り、初めてカリブ海という地域に触れる。「ビッグサンダー・マウンテン」でゴールド・ラッシュの世界を学ぶ。「スペース・マウンテン」から、50年代から60年代にアメリカとソ連が争った宇宙技術競争の世界が存在したことについて知るといったこと。または、先に挙げたトゥモローランドのアトラクションの数々。
先に述べた通り、東京ディズニーリゾートを訪れるゲストにとって、物語やその背景にある文化はさして重要にならない。しかし、「ディズニーの豆知識」という名目でこうした言葉がゲストの耳に入ることはしばしばある。問題はこれを、どのようにゲストに定着させるかということになる。

出口。つまり、新たな学問を学ぶゴールという意味の出口である。パーク内で用いられる英語はもちろん、スペイン語、イタリア語、アラビア語……パーク内の標識や物語を理解するために、新たな言語を勉強したい。「ホーンテッドマンション」の世界をより身近に感じるために、怪奇小説の世界に足を踏み入れたい。ゴールが「ニセモノ」だとしても、その過程で「本物」を通ることになる。

ディズニーテーマパークを通じてゲストは新たな文化や歴史に触れ、それらのウソを訂正するために博物館に訪れる……という博物館とディズニーランドのシナジーが生まれる。
そのためには、「ディズニーテーマパークの学術的価値・教育的機能を正しく理解し、それらに基づいたアウトリーチ活動を行うこと」こそ、本来必要なことなはずである。もちろん、ここでいう「学術的価値」「教育的機能」は、「学術的正しさ」「教育的正しさ」を指してはいない。

「娯楽的側面」という壁

以上、ディズニーランドを「入口」や「出口」として活用していくべきだというのが最終的な私の提案だ。

しかし、「娯楽的側面」に対してどう対抗していくべきか──この問題は残されたままだ。
つまり、ディズニーランドが入口になってくれたとして、そこから何人がその入り口へと歩みを進めていくかという問題は解決していない。

こればかりは、どうしようもない。かなりどうしようもない。ディズニーランドの問題でもなければ、ましてや博物館の問題でもない。社会問題だ。
この問題の究極の解決方法は「人々が勉強を楽しむことができる社会をつくる」ことである。
では、そのためにどうすればいいか。

一つは、学校教育の影響があるだろう。
数学や歴史、科学や英語といった学問をゲーム化し、ランキング化しているのが現在の社会だ。上位に残れない人から勉強を諦めていくのは必然だろう。その一方で、ランキング上位を占めることができる人々は、自分たちが理不尽なゲームに参加させられているだけであることを自覚していることが多い。大学以降で触れる学問体系とは全く別の世界にいることを自覚しているから、やはり勉強しなくなってしまう。

もう一つが、労働環境の問題である。
日本のサラリーマンのような、朝から晩まで働き詰めて残業も厭わないような姿勢では、休日に勉強をして頭を動かそうと思えるはずがない。だから、頭を使わなくてよい娯楽的側面が求められるのである。
ディズニーランドの場合、株式会社オリエンタルランド本社の働きやすさには定評があるが、他方でテーマパークで実務を引き受ける準社員の方々の労働環境については、マイナスな報道が度々登場していた。また、博物館にしても、学芸員に与えられる給与の低さは問題になる。
まず第一に、こうした人々が適正な対価を受け取ることができる社会でなければ、「勉強する一般人」の増加は望めない。

最後に、そもそも学術的に何かに打ち込んでいる人に対するイメージが悪いという現状がある。
大学院を研究機関としてとらえず、大学の延長線上にあると解釈して「遊んでいるに違いない」と考える人々も大勢いる。国民の血税が物好きの道楽に浪費されていると勘違いする人もいる。人文学や社会学、基礎科学の研究を「実用性がない」と切り捨て、予算を与えまいとする人もいる。
こうした、学問に打ち込む人々への風当たりの強さ……というか、頭がいい人へのマイナスなイメージがあまりにも根強いので、日常的に勉強することなど言語道断なのだと思う。

そういう意味では、「ゆる言語学ラジオ」や「予備校のノリで学ぶ大学の数学・物理」のような、エンターテイメントとして真面目に学問に取り組むチャンネルが、その道のプロとされる研究者の支持を得てコンテンツ作成をしている意義は大きい。

どちらの動画にも共通しているのは、「わからないけれど楽しい」ということ。研究の世界に憧れを抱き、「これを理解したい!」と思えることである。
こうした動画は、研究者の等身大の好奇心を映し出し、彼らの視点を我々のような一般人でも追体験できるようにしてくれる。研究者の方々がレベルを下げてくれているわけではないにも関わらず、我々が勉強しないとついていけないような内容でもない。文字通り、両者の橋渡しをして、「娯楽的側面」の壁を越えんとしてくれているのである。

それでもやっぱり

ただし、結局こういう動画を見るのは、多少なりとも学術的な世界に興味がある人のみである。

本来この記事は全5話の予定だったのだが、この第6話は一度記事を完成させてから加筆した。したのだけれど、査読をしてくれているもちさんからはすこぶる不評だった。

きっと、そういうことだと思う。
ディズニーテーマパークの話は、ディズニーテーマパークの中だけで留めておきたい。そういう何か強大な圧がかかっているのだろう。

「娯楽的側面」の壁は最早、我々が何かえいやとやって解決する問題ではなくなってしまった。
だが、私には秘策がある。この問題を解決する唯一の方法が。

それは、こういった記事を書き続けることです。
この記事を通して、東京ディズニーリゾートの新たな楽しみ方を提案し、みなさんを博物館や学術書の世界へとお連れすることができれば幸いです。

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