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2021年9月の読書記録

先月(正確には8月)はいろんな本を読んだ。そのぶん読書記録を書くのにたいへんな時間がかかったので、9月はインプットにそこまで時間をさけず。進みかたはゆっくりだったけど、それでもどの本も面白かった。

目録(7冊)

本のリストの本(南陀楼綾繁、書物蔵、鈴木 潤、林 哲夫、正木 香子)
取材・執筆・推敲(古賀史健)
チェルノブイリの祈り(スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ)
辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦(高野秀行・清水克行)
終わりの感覚(ジュリアン・バーンズ)
ウジョとソナ(パク・ゴンウン)
世界の辺境とハードボイルド室町時代(高野秀行・清水克行)

アレクシェーヴィチ『チェルノブイリの祈り』は8月の100分de名著をきっかけに購入。「生きている文学」という一連の作品の一つで、原発事故を体験した人々の生の証言を大量に集めて構成されている。

放射能の怖さはもとより、政府や首長の非人間的な考え方や言動が酷くて、読むのがつらかった。公式に残るのは人を動かす側の言葉だけ。アレクシェーヴィチが地道な聞き取りをしてテキストに残さなければ、その場に居合わせた人のことは、一顧だにされないものになっていたというのが恐ろしい。

夫が人間の形を留めなくなっていくのを間近で見続けた妻の証言とか、現場の近くの村で何も知らない子どもたちが遊んでいるのを、住民にパニックを起こさないように口止めされた兵士が見ているときの気持ちとか。
アフガン戦争に行くほうがまだまし、という表現もあって、そんなに、と思った。『戦争は女の顔をしていない』も読む。

本のリストの本』は佐渡の喫茶店兼本屋みたいなお店で買った。いろんなテーマで古今東西の本を5人の本好きが紹介していくのだけど、それぞれの得意分野からまったく知らない本が大量に登場するので、本の世界の広さを実感する。絵本のリストとかもよかった。同じ創元社から出ている『本の虫の本』も、いろいろな形の本のオタクがでてくるのでおもしろい。

バーンズ『終わりの感覚』は、ブッカー賞を受賞して映画化もされた作品。テーマは記憶の改ざんかな。老境にさしかかった男性が若い頃の恋人に出会い、美化していた思い出や当時の謎が明らかになっていくのだが、一回読んだだけでは気づかない伏線がいくつかありそう。
自分はあまりぴんとこなかったというか、主人公の若干都合のいい考え方が気になってストーリーにはそこまで没入できなかった。いくつか書評もみたけど人によって意見が分かれているみたい。(そういえば最近、本の書評をnoteで探すことが増えた)

とはいえ多くの人が言ってるように、筆致は清冽かつ穏やかで読みやすい。
老いてから読むのがおすすめ、と書いている人もいるので、この本を読むのにはもしかしたらまだ若すぎたのかもしれない…笑

鍵になるのは「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」という表現。昔自分が書いた日記を読み直すと「え…誰…」ってなることはあるけれど、ちゃんと書き残さないと記憶は必ずあやふやになってしまう。逆に、あるときに思ったことを書き残して何度もふりかえる機会があれば、それは記憶として刷り込まれてそのうち人格にもなっていくのだろうと思う。実際この読書記録のnoteも、その種のアーカイブとして書いてるところはある。

ウジョとソナ』は、戦争と日本の支配を、韓国の活動家が書き残した日記をベースにしている。どちらかというとポップな雰囲気の漫画だけど、実際の出来事は地獄だったはずで、文章だけでは伝えきれないから、体験者が存命のうちにイメージも残しておこうとしたのかな…と思うなど。そういえば、日本の植民地にされた側の普通の人たちの話を、ちゃんと読んだことがなかった気がする。
原作はもちろん韓国語だが、あちこちの本屋においてある(独立系でよく見かける)ので、こういうテーマのものを手にとりやすくなるのはいいことだな、と思った。

取材・執筆・推敲』はサブタイトルにもあるように、なにかを書く人にとっての教科書になりうる本。
具体的な内容はここには書かないけれど、企業のコンテンツづくりに関わったりたまに取材もさせてもらう身としてはためになることが多かった。

また古典や絵本などの、ふだんあまり接していないジャンルの面白さにふれるきっかけにもなった。古典については、長い時間をかけてふるいにかけられているからこそ、いくつも「読まれ方」をもっているという話が面白かった。たしかに、語り手や主人公だけに移入して読むときと比べていろいろな発見がありそう。古典、読もう。

もうひとつ『取材・執筆・推敲』を読んで感じたのは、好きなものを語る文章にひきこまれるのはなんでだろうということ。それは「文章からポジティブな気持ちを受け取れるから」だけではなくて、そもそも「理由もわからないけど好き」で済ませることもできるのに、その理由を言葉を尽くして伝えようとする姿勢が伝わるから、なのだと思った。

最後に、辺境探検家と日本中世史の研究家のタッグによる2冊。まず読んだのは『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』という変わったタイトルの一冊。図書館で棚をみていたら目に飛び込んできて、高野さんの本はいつか読むぞと思っていたので即借りた。

(表紙画も変テコでおもしろいので貼っちゃう)

めちゃくちゃ面白かった!
さまざまな本を読んで感想を言い合うという内容なのだけど、世界の辺境を探検して本をたくさん書いている高野さんと、日本の中世を研究している清水さんとで、絶妙にみている世界が違うこともあり、越境の楽しさを味わえる。あと二人のかけ合いもやたらおもしろい。

取り上げられている本は文化人類学、考古学、日本史、歴史小説とさまざま。前にnoteを書いた『ピダハン』も入っていてテンションが上がる。

とくにこれは読んでみたい!となったのは、『ゾミア』『ギケイキ』の2冊。
『ゾミア』はジェームズ・C・スコットという政治学者・人類学者が書いた国家論の本。山岳地帯など辺境に住む民族は、わざわざそのような生活習慣を選ぶことで、国家による束縛を逃れているという主旨らしい。
これは買って読むしか…と思ったけど、青山ブックセンターに行ったときに見たら『東京の生活史』並みの鈍器本だったので諦めた。

そのかわり、前から本屋でよく見かけていた『反穀物の人類史』が同じ作者によるものだと気がついたのでさっそく買ってきた。

あと、なるほどなぁと思った部分をまるごと引用しておく。

清水:最近、グローバルヒストリーが流行りじゃないですか。『銃・病原菌・鉄』とか、『サピエンス全史』とかも、広い意味ではそれに含まれるのかもしれない。ああいうのが売れているのは、一つには、研究者がちまちました研究ばかりやっていて、大きなビジョンを打ち出すような本を書いていないからなんでしょうけど、僕はやっぱりちょっと違和感があって。グローバルヒストリーって記述が大味なんですよね。もちろん疫病とか飢饉とか地政学とか人智を超えた要素を歴史叙述の中に組み込んだという功績は大きいし、そこは面白いと思うんだけど。あんまり出来の良くないグローバルヒストリーって、結局、国家間の主導権争いであり、パワーゲームに終始するじゃないですか。
 だけど、この『世界史のなかの戦国日本』は、そういうのからこぼれ落ちる世界に目を向けているし、そういう歴史のほうが僕はリアルで面白いと思うんです。

そして、この二人がこの本に先立って共著で出したのが『世界の辺境とハードボイルド室町時代』。前書きに書かれてる経緯が、そのままこの本の紹介にもなるのでこれも引用。

私はふつうの人が行かないアジアやアフリカなどの辺境地帯を好んで訪れ、その体験を本に書くという仕事をしている。こんなことで生活できるのはありがたいと思うが、一つ困るのは話し相手がいないことだ。(中略)
 結局、私が一人で細々と取材し、相談する相手もないまま考えを巡らせている。これではなかなか知見が深まらないし、淋しい。「ソマリ人の復讐の方法って徹底してるよね?」と言えば、「そうそう、あれはすごいよね」と打てば響くように返してくれる「同好の士」が欲しいと常々思っていた。 
そんなとき、ドンピシャの話し相手が想像もしない方角から現れた。 日本中世史を研究している明治大学教授・清水克行さんだ。
 清水さんの著作を読み、室町時代の日本人と現代のソマリ人があまりに似ていることに驚いた私は、縁あって清水さんご本人と直接お会いする機会を得たのだが、ソマリ人はもとより、アジア・アフリカの辺境全般に過去の日本と共通する部分が多々あるということを発見、あるいは再認識し、ほとんど恍惚状態となった。
話題は多岐にわたっている。タイやミャンマーの話もあれば、日本の古代や江戸時代にも飛ぶ。酒や米、国家やグローバリズム、犬や男色にも及ぶ。でも、清水さんと話していて興奮するのは、それが単なる雑学に終わらないことだ。 今まで旅してきた世界の辺境地ががらりと変わって見えるのだ。

そうなのだ。この本がおもしろいのは、辺境のもの珍しい人や習慣を外から眺めてびっくりする、というところにあるのではなく、大昔の日本人や今の自分たちにとって当たり前となっていること、タブーとなっていることにも何かしら理由があったり、なかったりするというところにあるのだと思う。

ハードボイルドな2冊を読み終わって、やっぱり歴史は面白いなと思った。学校で普通に学んだ定説が間違っていたり、「Aが起こったからBが引き起こされた」と理解してた出来事も実は逆だった、みたいなことがおおいにありうる世界なんだと思った。そしてそれが、今どこかの辺境で生きている人たちの考え方から見出される可能性があるということも。

中高生のとき人の名前が覚えられなくて日本史に謎の苦手意識があり、世界史のほうに行ってしまったけど、もったいなかったなあと思う。
たとえば「綱吉=生類憐れみの令の人」という一対一の情報ではなく、その政令の理由や、歴史に残した意義といったストーリーの部分を知ることで、人となりが見えてくるし、なんでそもそも名を残しているのかがわかる…というのを実感した。

あぁ〜おもしろかった。

おまけのおたかぽっぽ

ヘッダー画像のすみっこにいるのは、山形の郷土玩具、おたかぽっぽ。

前に山形へ行ったとき、たまたま入った本屋のおばあさんに教えてもらった。たった一本の彫刀ほりがたなで、コシアブラの木を削ってつくるらしい。
尾羽の繊細な加工に、とぼけたような表情がかわいい。物のおみやげはあまり買わないのだけど、かわいさに負けてつい買ってしまった。

それから、数日前にTwitterで選書(を人がどうこう言うこと)についての議論を見かけた。

私は自分の読む本に偏りがあることは自覚している。好きな本や面白い本を人に読んでほしい、と思うことはたくさんあるけれど、あらためて人の読書は自由であるべきだな、と思った。無意識にやりかねないけれど、好きなものを表明することと嫌いなものを糾弾することを一緒にしないようにしたい。

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