やっぱりわたしは「子供を持ちたくないんだ」

このあいだ、
二児のママの親友とランチしたとき、


これまでのわたしとはちがう、
「周りの結婚出産話に気持ちを全く刺激されずに話を聞いているわたし」に気づいた。


親友とは以前に働いていた職場が一緒で、


そのとき一緒に働いていたスタッフとか
後輩とか店長とか他店のスタッフとか


いまとなっては疎遠になっているような
知り合いのことを、
ワイドショー並みにおしえてくれる。
(親友はインスタヘビーユーザー、
わたしは退会してる。)


やれ「誰々が結婚した」
やれ「子供が産まれた」


こういう話が年齢的にも
いまは一番ホットなわけで、


前までなら
「え、あの子結婚したんだ」
(何度もクズ男にひっかかって泣いてたのに。)とか


「あの店長も二人目できたんだ」
(あんだけ旦那のことタバコ吸ってぐちってたのに。)とか


そういった嫌味なわたしがムクムク出てきて、

どうしても聞いている
そのときの自分の状況とくらべて


気持ちがチクチクして
穏やかでいるフリをしないと揺らぎを認めざる
おえなかったんだけど、


昨日はわたしはそんな以前のわたしとは
全然ちがうくて


むしろ気持ちがチクチクどころか
全く刺激されることもなく


たとえるなら
まるで森の奥のひらけたところに突如現れる
湖の穏やかな水面みたいで


すっごいおだやか〜な気持ちで
親友のワイドショーを聞いていた。


きっとわたしがこう変わったのは、
去年わたしの中でハッキリ
ひとつの人生の答えがでたからだ。




それは、
「私は子供は持ちたくない」ということ。



こんな独身のわたしが偉そうにいうと
怒ったり傷ついたりする人も
いるかもしれないけど、


いまは不妊治療で子供のために
パートナーとの大事な時間や
大事なお金をかけて
一生懸命向き合っている人がいることも
ちゃんとわかっているつもりで、


ここはわたしのひとつの大事な居場所だから
思ったことは正直に書いていきます。


(もし不快な思いをされる方はここで
読み止められてくださいね、、。)



結婚はずっとしたいと思い続けているし、


理想のパートナーとの理想の生活は
いくらでもポジティブに想像しているけど
(もちろんネガティブな想像もすることある)


子供のことに関しては、
「持てたらどうだろう?」
「やっていけるのか?」のシュミレーションを
何度も何度も20代前半のときから長年考えて、


実際に結婚・出産をわたしの近くで次々に
経験していく親友や知り合いに触れてきたり


たくさんそういうコラムとか雑誌の記事とか
小説とか読んだり、


何度も自分に置き換えて想像してみたけど、


「わたしはやっぱり子供は持ちたくない。」


去年ついにポロッと
大きなカサブタが取れたように
わたしの中で答えが出た。


そしてその理由は、
すっごくシンプルだった。


わたしは子供を
生きがいにできる自信がない。


わたしは人生の生きがいは
ひとつでいいと思っている。



むしろひとつしか持てないもの
なんじゃないかとも思ってる。



わたしのなかのいきがいは
何歳になってもきっと「子供」ではなく
「私自身」で、


子供のための生活を想像すると、


まず朝から晩まで自分よりも
優先しないといけない時間が
計り知れないほどあることに



きっとどれだけかわいい我が子であっても
わたしは耐えられる自信がない。


かつてはわたしも
「彼氏」という存在が生きがいで
恋愛するたびに依存しまくってきたけど、


コロナきっかけでいま現在、
彼氏がいない生活を3年以上続けてきて、


その間にいろんな人間関係を整理して
仕事辞めて落ち込んでたら逆に天職に出会って
はじめて自分の社会での価値を感じられる
喜びを知って、


35歳にしてやっと
自分の人生を自分で歩めるようになってきたから


それを血のつながっただれかに明け渡すことが
ものすごくこわい。


いまは思いっきり勉強したいときにして
仕事でへこたれて、でも努力して
思いっきり「自分」を感じて生きている。


自由に楽しめる趣味、
静かな朝、
肌が荒れていても
スキンケアを落ち着いてできる時間


幸せな時間。


どれもわたしの人生にとって
わたしが「幸せ」でいられるための
とっても大事な要素。


これらを1日のほとんどを費やす存在を
愛し続けられる自信が私にはなかった。


無理と我慢は長続きしない。



これはかつての恋愛でわたしが学んだこと。



わたしもパートナーも
生まれてくる子供も


だれも傷つけたくないから
「子供を持たない」という
自分の答えにいま納得できてる。


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