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なるべくして不幸になる

やはり最近不幸というのは自ずと足を踏み入れることで感じる物だと思うことが多い。
 私は恵まれてる。間違いなく。断言できる。家族関係、お金、友人。どれも普通かそれ以上のものがある。しかし私は自分の不幸を感じずにはいられないのだ。

これはFラン大学の就職難についての動画を見てる時に気づいた。動画の内容ではFラン大学生が就職難に陥る原因は大学により落とされるのではなく本人のメンタルがFランであるが故に就職難となるのだと言うもの。とどのつまり自分はFランだからダメなんだというメンタルでは行動を起こすのも難しい、すでにメンタルで負けていることが多いと言うこと。

このすでにメンタルで負けていると言うことは人間の大抵の悩みの原因に当てはめることができるだろう。

私の場合は顔が良くない、性格が向いてない、運がないと決めつけていた為行動に移す気力すらなくなり不幸に陥った。

コロナ禍の大学生には当てはまる人は多いと思う

私はコロナが猛威を振るっていた時期に入学した。おかげで学校に登校する頻度はビビるほどなくなった。

そんなコロナ禍の生活は受験期にモチベーションにしていた夢のキャンパスライフとはかけ離れたものであった。

ここまでは私に非は一切ない。コロナが悪い。私と同じ悲しいコロナ大学生活を過ごしたものだけ石を投げなさい。私の中のジーザスもそう言っている。

当時の私は自分の境遇を自ら憐れむだけだった。人生のどん底、汚点となるであろう私の大学生活はこのメンタルで始まった。

俺は運が悪い。見てくれも良くない。今俺が惨めな生活を送っていることに非は一切ない。
なのでいずれ風向きが私に向くだろう。

向かない。むしろ逆風が強まる。哀れな生活の賜物として得た立派な負け組メンタルを抱えている限り楽しめるものも楽しめないのである。

以降の大学3年間はお世辞にも良かったと言えるものではなかった。

不幸とは自ら進んでなるものと気づいたのは大学4年になってやっとだった。

とは言っても得たものは悪いものばかりではないと思う。自分から動かないと起きることも少ないという当たり前のことを学べた

学生というのは基本的に受け身の立場であり自分から行動を起こす思想が薄れて行きがちなものだ。

そんな自分にとってこの学びは当たり前で当たり前ではなかった

私がもっと昔に生きていれば生かすも殺すも自分次第という言葉は私発祥のものになっていただろう

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