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まがいの光に照らされて

極端にすれば、わかりやすくはなる。
でも、それはぎらぎらと誇張されたものにもなりやすい。

中世末期の文化は、まさしく、この視覚のうちにとらえられるべき文化なのである。理想の形態に飾られた貴族主義の生活、生活を照らす騎士道ロマンティシズムの人工照明、円卓の騎士の物語のよそおいに姿を変えた世界。生の様式と現実とのあいだの緊張は、異常にはげしい。光はまがいで、ぎらぎらする。

『中世の秋』でホイジンガが描くフランスやネーデルラントを中心とした北方ヨーロッパの風景は、すべてがあまりに激しく極端すぎる。とにかく繊細さだとか余白だとかといったものとは無縁で、子供向けのグッズ以上に原色で派手に彩られているようなイメージだ。

「生活の種々相が、残忍なまでに公開されていた。これでもか、これでもかと、みせつけられていたのである」とホイジンガはいう。

らい病やみは、ガラガラを鳴らしながら、行列をつくってねり歩く。教会では、乞食が哀願の声をはりあげ、かたわのさまを開陳する。地位、身分、職業は、服装でみわけがついた。大物たちは、武具や仕着せできらびやかに飾りたて、畏れとねたみの視線をあびてでなければ、出歩こうとはしなかった。処刑をはじめ法の執行、商人の触れ売り、結婚と葬式、どれもこれもみんな高らかに告知され、行列、触れ声、哀悼の叫び、そして音楽をともなっていた。恋する男は愛人のしるしを身に飾り、仲間内では盟約の記章が、党派のあいだでは、その頭領の紋章、記章が身につけられた。

しるし、しるし、しるし。
すべてが明らかさを示すサインだった。
ポジティブな側に振れるにせよネガティブな側に振れるにせよ、「すべてが、多彩なかたちをとり、たえまない対照をみせて、ひとの心にのしかかる」。その不安定な気分がそのまま、しるしとなって中世の社会を包み込んでいたようである。

まがいの光に照らされた答えに満足できるか?

わかりやすすぎるものには辟易してしまいがちなところがある僕などにはとても耐えられない環境だったかもしれない。また、既存にあるものを疑ってかかることで、自分なりの見解や感じ方を見つけることを良しとする価値観をもつ僕には、とにかくどんな些細なことでも聖書の証例に立ち返り、「とるにたらぬ日常茶飯のことがらについても、普遍的関連においてしか、これを考えることができなかった」という中世人の姿勢は我慢ならなかっただろう。

どんなにわかりづらく、自分自身で一から答えを導かなくてはいけない労力があろうとギラギラのまがいの光に照らされた答えで満足することはできない。

すべてが、一般性のうちに還元されるのである。カール・ランブレヒトは、ここに、中世精神のきわだった特性を認め、これを類型主義と呼んでいる。けれども、これは、むしろ、人びとの心に深く根をおろしていた観念論に発する、圧倒的な心の欲求のはたらくところ、その結果として出てくる特性と考えなければならない。けっして、個々の事象のうちに特殊性をみる能力がなかった、ということではないのだ。そうでなくて、つねに、至高の存在との関係において、理想のイメージを鏡として、一般的意味に照らして、個々の事象の意味を明らかにしたいとの欲求に動かされていた、ということなのである。

「個々の事象のうちに特殊性をみる能力がなかった、ということではなかった」のは、ある意味、救いかもしれない。いや、本でさえ手書きの写本で同じものは2つとない、大量生産品のなかった中世の社会において、個々の事象の特殊性はむしろ前提なのだろう。
そういう環境でなら、至高の存在に一般的意味を求める方に精神が動くのは分からなくもない。

ありとあらゆる道徳観念が、耐えがたいまでの重荷を負わされている。たえず、神の権威と、直接、関係づけられるからである。罪という罪は、極微小の罪にいたるまで、宇宙世界と関係づけられるのである。

自由に考えなかったのではない。ようは、個はあくまで宇宙全体とつながった一部であって、個々人が何かを自由に考えるなどということがそもそも想定されていなかったのが中世というわけだ。
中世は「世界そのものの改良と完成をめざす」という「志向をほとんど知らなかった」とホイジンガは言う。そういう社会であれば、人が志向の存在から答えを得ようとするのは自然なことだろう。

まがいの光の下で、すべては美しい見世物と映じる

でも、逆に、それが現代のように答えだらけの状況であれば、中世との人びとと似たように、絶対者の答えに頼ろうとするのは、おかしい。僕らは宇宙とのつながりなど断ち切った自由な個人で、自分が住む世界を常により良くできるのだから、それがどんなに優れた人のものであろうと、他人の答えに完全に頼りきろうとするのは、精神的に怠惰すぎるだろう。なぜ、こんなに生きやすい世においてまでギラギラした子供じみたわかりやすい答えにばかり期待するのか?というわけだ。

僕らが住むいまの社会にこんな中世の暗さがあるだろうか?

はげしい情熱の心、かたくなで、しかも涙もろく、世界への暗い絶望と、その多彩な美への耽溺とのあいだをたえずゆれうごく心には、厳格な形式主義が、どうしても必要であった。さまざまな衝動が、公認の形式のなかに、しっかりと枠づけられなければならなかったのである。そのとき、はじめて、共同生活に秩序がみいだされる。だから、自分の身の上におこる出来事、他人の事件、すべては、美しい見世物と心に映じた。喜びも悲しみも、人工の光をあびて、激情のよそおいを凝らす、そうでなければならなかった。感情をそのまま自然に表現するには、なお手段が欠けていた。美の世界に遊ぶとき、ようやく感情の描出は最高の明晰さに達し、人びとの渇望を満たしたのである。

僕らは、感情を自由に表現する手段をいくらでも持てている。まがいの光が示す美の世界を与えられなくても、自ら考え、自ら知識をつくりだすこともできる。いや、宇宙と断絶した孤独な現代人は知識をどこかから取り入れれば良いということはなく、知識を自分の中に生成する過程を持ってしか、宇宙の知を得ることができなくなっているのだ。
なのに、その行為を怠るなんて、馬鹿げた自殺行為だと気づかないのは何故だろう? いまだに志向の神の存在でも想定するほど、おめでたいということか。

こんな風に、いまとまるで違う世界を眺めてみたとき、自分たちがどう生きなければならないかということに気づくことは多い。

#中世 #知識 #思考

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