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安部龍太郎「信長はなぜ葬られたのか」読書感想文

10月1日に処遇変更。
作業着と居室着と靴下が取替え。
毛布が1枚貸与。
水曜日の10分入浴はなくなり、月金の週2日となる。

ああいやだ。
また、冬を乗り越えなければだ。

ここは中途半端に寒いから、一切の暖房がない。
帯広刑務所よりも寒い、と経験者がいったとか。
窓枠だって鉄製だから、すきま風が入ってくる。

読書に没入するしかない。
寒いからこそ読める本もある。
冬に向けて、マークする本も増やしておかないとだ。

考えようによっては、寒さだってわるくない。
かじかんだ指で、鼻水を垂らしながら読んだ本だからこそ、強烈に記憶に残る本もあるのもわかってきた。

そうだ、寒いのはいいことだ。
学問だって、芸術だって、文化だって、寒い地域から生まれていると読書で知ったではないか。

でも、最低限ってのがある。
世の中の貧困だって、寒さがあるから生まれる。
体の芯まで冷えきると、思考力も落ちてふらふらになる。
しもやけだって嫌だ。
いや、それも刑罰のうちなんだ。

・・・ストーブ1台あれば済む話を、こうして秋から鬱々と考えこむところから、懲役病は進行するようなのです。
そんな頃に読んだ本です。


タイトルだけで決めた本

官本室の本棚の間に、隠れるようにしてあった新書版。
なんで、今まで気がつかなかったのだろう。

著者は全く知らない。
名前の響きからすると、大御所感はたっぷりある。
なんてたって、安倍晋三橋本龍太郎という首相経験者の名前を、足して2つに割っているのだ。
おそらく彼は、生半可なことは書いてないはず。

それに、本能寺の変は、歴史の謎としては最大級。
その説がどうであっても、これは100パーおもしろいに決まってると、すぐに借りた。

新書|2018年発刊|237ページ|幻冬舎

安部龍太郎 年譜

いかに自分が、読書してないのかを知った。
安部龍太郎を全く知らないなんて、どういうことなのか?
すみませんでした、と誰かに謝りたい気分だ。

とにかくも、時代小説を40冊ほど刊行している。
戦国時代から幕末まで幅広い。
とくに、織田信長に興味を抱き続けて、取材と調査を続けていると本にもある。
織田信長といえば、安部龍太郎ということだろうか?

1955年 福岡県生
1990年 「血の日本史」刊行、注目を集める
2001年 「信長燃ゆ」刊行
2002年 「天才信長を探しに、旅に出た」刊行
2010年 「蒼き信長」刊行
2018年 「信長はなぜ葬られたのか」刊行

はじめての安部龍太郎がこの本でよかった。
2冊目は「信長燃ゆ」を読む。
本人いわく「だいぶ早すぎた小説」とのことだ。
そうだろな・・・という予感がする。

読んだ感想

6時間ほどで読み終えた。
予想していた通りに、いや、それ以上におもしろかった。
戦国時代の新しい見方を多く示している。

戦国時代は、高度経済成長の時期でもあった。
世界は大航海時代で、いってみれば、グローバル経済の波が日本にも押し寄せてきた。
商取引が活発になる。
反動のようにして、幕末に似た尊王運動もあった。

鉄砲が多く生産されたが、砲身に使う軟鋼や真鍮を作る技術は当時の日本になく、すべて輸入に頼っていた。
火薬にしても、原料となる硝石は日本では産出しないので、輸入に頼っていた。
支払いには銀が使用されて、世界の3分の1の銀を日本が産出していた。

いくつも知識を得た正道の読書だった。
また、再読したい。
その度に発見があると思われた。

褒美の茶器の疑問が解けた

大きな謎も解けた。
戦国時代の褒美の茶器だ。

織田信長は、茶器を褒美として与えたという。
松永久秀に至っては、茶器と共に爆死している。
この辺りは、今までに知識として得ている。

そして疑問がくすぶっている。
なぜ、武将は、たかだか茶椀ひとつに命をかけるのだろう?

褒美として与える領地も不足していた、という状況はわかっている。
信長の権威によって茶器の価値が高められた、ということもわかってはいる。

それでも、茶碗ひとつを褒美として与えられて、不満に感じる者はいなかったのか?

だって命を賭けて戦って、褒美として「これはすごくいいから!」と茶碗ひとつを寄こされるなんて、ごまかされているとは感じなかったのか?
不満顔する武将はいなかったのか?

ずっと不思議さがあったが、きっと戦国武将は、信長から与えられたという権威もほしかっただろうし、あとは、茶器には芸術としての価値があって、武将はそれ嗜んでいたのだろうと解釈していた。

芸術がわからない自分だから不思議に感じるのであって、自分などの考えなどが及ばない高尚な芸術品として、当時の人たちは納得していたのだろうと、不思議さはいつのまに完結していた。

が、安部龍太郎はちがうという。
「茶室とは商談の場だった」とビシィィッと解く。

有名な茶器を持っているかどうかで、茶会の参加者を選別することができたのだ。

今日にたとえるなら、名門ゴルフクラブの会員になっているかどうかで、コース上で行なわれる商談に参加できるかどうか決まるようなものだ。

有名な茶器を持つことは、大きな利権にありつけたのだ。
権威とか芸術や美術など関係ない。

すんなりと納得できた。
茶碗を撫でる武将の嬉しそうな顔が想像できた。

それが、現実に生きてる人間ではないか?

キリシタンとゴッドファーザー

戦国時代の戦う武将やキリシタンやついても、うっすらと疑問が残っていた。
今までは、純粋な信仰心からの団結が、為政者にとって脅威になっていという理解だった。

当時の人は、皆、信心深いのだ。
来世は天国にいける、という信仰に傾くのも納得がいく。
武将レベルになると学もあるだろうから、ヒューマニズムといった高尚な理念も抱いていたのかもしれない。

が、安部龍太郎の指摘は微にわたる。
カトリックでは、洗礼を受けるときに、それを授けた先達に服従すると誓約する。

あとになって、先達の命令には従えないといっても、ほかの指導者の元にいったとしても相手にしてくれない、と聖書の例も挙げる。

この先達を “ ゴッドファーザー ” という。
映画「ゴッドファーザー」は、この関係を基礎にして勢力を伸ばすマフィアを描いている。

うっすらと、疑問がなくなった。
善性に溢れる信仰心だけで戦ったのではなかったのだ。
ヒューマニズムなど自分の妄想だった。

俗っぽい上下関係が基にあって、信仰心とは全く別の力学が働いて、わけがわからずに戦う武将もキリシタンもいたと想像できた。

江戸史観がトンチンカンに

安部龍太郎は、戦国時代のことを解らなくしている理由は『江戸時代の史観だ』と断じる。

その『江戸史観』が、織田信長の解釈もトンチンカンなものとさせている。
トンチンカンは、明治になっても是正されることなく、今日まで引き継がれていると熱く語る。

その江戸史観とは主に4つ。
鎖国史観。
身分差別史観。
農本主義史観。
儒教史観。

江戸時代は、戦国時代の真逆を行なうことで成立した。
そして、江戸史観によって、戦国時代におきた出来事の本当の要因が消されているという。

まずは鎖国史観。
日本の戦国時代は、世界の大航海時代でもある。
スペインとポルトガルは、植民地獲得に乗り出している。
彼らにどう対処するか、という問題に日本は直面した。
それらに対処した日本初の為政者が織田信長、という面が鎖国史観で封印されてしまった。

次に身分差別史観。
これが、商人や流通業者の活躍を不当に低く評価した。
あるいは、実績の大半は消された。
商業や貿易への視点がない歴史が作り上げられた。

農本主義史観はどうだろう。
これは戦国大名の実力を、鎖国の石高で表して、あたかも領地を争って合戦を繰り返したかのように、きわめて一面的な見方をさせている。
実際は、米の売買よりも、水運や海運からの税収のほうがはるかに大きかったにもかかわらずだ。

そして儒教史観。
戦国大名を、人徳主義を中心に論じるようになった。
江戸幕府の意を受けた歴史家は、政治や経済や技術などに目配りがない、人物論とか、合戦論などで、戦国時代を論じるのが主流にさせた。

それらが目から鱗だった。
昔の人は、現代人が窺い知れない心境で生きていた、とぼんやりと納得していたのが、急に昔の人が身近に感じられた。

今よりもひどい、いってみればクズみたいな人だって、昔だってウヨウヨといたのではないか?

個人的には、秀吉などはクズ臭が微かにしてくる。
すごくいい意味で。
大好きだし。

本能寺の変の黒幕は近衛前久か?

日本の戦国時代は、世界の大航海時代でもあった。
織田信長は、イエズス会を通して、ポルトガルと友好関係を築いて、貿易により利益や軍事技術の供与を得た。
しかし、ポルトガルは、1580年にスペインに併合される。

織田信長は、スペインからの使者と交渉をした。
スペインは、明国征服の兵を出すように求めている。
信長は交渉を打ち切る。
イエズス会とスペインと関係を絶つ、と決めたのだった。

とたんに、信長政権は不安定になってきた。
イエズス会の意向で、豪商やキリシタン大名が見限りはじめたからだ。

この情勢に機をみて動いたのは、追放されていた室町将軍の足利義昭だった。
公家の近衛前久(さきひさ)も乗じて工作する。
信長の施策に、反感を抱いていたからだ。
そして、明智光秀の本能寺の変に至る。

しかし、予想外だったのは、秀吉の素早い動きだった。
近衛前久は、知らんぷりを決め込む。
すべての責任は、光秀1人に押し付けられたのだった。


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