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阿刀田高「旧約聖書を知っていますか」読書感想文

阿刀田高は “ 要約 ” の名人らしい。
ちなみに “ あとうだ たかし ” と読む。

で、その要約は『知っていますかシリーズ』となってると、回覧新聞の書評にあった。

その名人の『知っていますかシリーズ』に、世界でいちばんに読まれているという聖書があるのだ。

これは、ダブルで読まなくてはいけないだろう。
でも、聖書を読むのは、ちょっと怖い。

もし、聖書に感化されたらどうしよう?
もし、キリストに目覚めたらどうしよう?

切迫した迷いである。
受刑者になると、宗教に傾く者は多いのだった。

宗教の本を読みはじめるのも普通だし、写経をはじめる者も珍しくないし、数珠を購入したりする者もいる。

気持ちはわかる。
外で活発だった人ほど傾いてしまう。

向こうの世界から隔離されると、なんだか自分が死んだ人になった気がしてきて、そうなってしまう。

ともかく、旧約聖書のことなんてまったくわからない。
旧約の “ 約 ” とは約束の “ 約 ” で、要約の “ 約 ” ではない、というのはわかる。

アダムとイブとか、リンゴを食べたとか、モーゼの十戒とか、所々は知っているけど、それで止まっている。
というか、インチキくさい。

そんな浅い理解と偏見しかない形だけの仏教徒が、この本で何を知ったのか?

要約の要約をしてみた。


まず「アイヤー、ヨッ」と叫ぶ

まず最初の3行だ。
阿刀田高は解説する。

『 まず、初めに胸いっぱいに空気を吸い込み、
「アイヤー、ヨッ」
と叫んでほしい。』

いわく、旧約聖書は広大。
幽遠で、複雑で、畳々たる山脈。
登り口がいくつかある。

しかし見たところ、この叫びこそが旧約聖書の道しるべになると阿刀田高は説く。

それはわかったけど「アイヤー、ヨッ」とはなんのか?

まず、アブラハムの “ ア ” である。
同じく、その子のイサク
その子のヤコブ
またその子がヨセフ

この四つの頭文字をとって「アイヤー、ヨッ」となる。
このアブラハムからはじまる登り口が、どれほど重要なことか。

たしかに、ページが進めば進むほど「アイヤー、ヨッ」に凝縮されているようだ。

最初は「なんじゃそりゃ!」と思ったのに、忘れてはいけない叫びに感じてくる。

ふざけているようで、実は奥深い。
こういうのを、含蓄ある一言というのか。
座右の銘にしてもいい。

739番田中、座右の銘、アイヤー、ヨッ!

やっぱちがう・・・
アホみたいだ・・・

ともかく、阿刀田高は、最初から最後までこんな調子。
ざっくばらんなエッセイ。
神聖な本だといっても遠慮はない。

アブラハムのことは、この爺さんどうなってんだと。
イスラエルの神はやきもち焼きだと。
信仰がなければイスラエル民族は消えていたと。

ちなみに、阿刀田高はキリスト教の信仰はない。

文庫|1994年発刊|371ページ|新潮社

解説:木原武一

ネタバレあらすじ

第1話 英雄アブラハム

まずは、アブラハムだ。
ユーフラテス川の上流の “ ハラン ” に住んでいた。
紀元前18世紀のこと。

ある日、アブラハムは、神からの啓示を受ける。
“ カナン ” に行くべし、ということだ。

一族で旅に出る。
なんと、ハランも実在する。
途中で休憩した場所にある木も残っているという。

※ 筆者註 ・・・ 本書には地図もついてます。ハランについて検索してみますと、現在のトルコに在り “ ハッラーン ” となっているようです。遺跡もあるようです。


向かう途中で “ ソドム ” の破壊に向かう神に会ったり。
イシュマエルが生まれたり。
この子が施された “ 割礼 ” が後には儀式になったり。

このイシュマエルは、妻によって荒野に追い払われる。
これがアラブ人の祖先で、マホメッドは末裔とされている。

それなので、旧約聖書のユダヤ教、新約聖書のキリスト教、イスラム教はアブラハムから連綿と糸を引いている。

知らなかったぁ・・・

神の教えうんぬんについては、突き放されている。
信仰がないから理屈は鵜呑みにできない、ということだ。

アブラハムはそう考えたのだろうなという想像であると、同じく信仰がない自分にとっても優しい解説となっている。

人物の名前も変わるので、いつもウンザリさせられる。
「アイヤー、ヨッ」くらいを覚えるだけにしたい、という適当さもいい。

第2話 子沢山のヤコブ

「アイヤー、ヨッ」のヤコブになると、人がいっぱい。
ヤコブには12人の子供ができた。

ちなみに “ ア ” と “ ヤー ” の間にいる “ イ ” のイサクは、偉大なアブラハムの影にかくれちゃってる。

アブラハムの言いなりだし、あげく神への生贄にされて死にかけている。
いいところなしのイサク、という感想だ。

そんなイサクの子のヤコブだったが、アブラハムとならんでイスラエル建国の英雄となっている。

あるときなど、姿を変えた神とは知らずに格闘して、えらく強いものだから “ イスラ・エル ” と名乗るように直接に言われている。

わけわからない。
そこを察しているかのように阿刀田高は先回りして、おもしろおかしく折り合いをつけていく。

で、ヤコブからの相続をめぐって、子の兄弟たちは争う。
まず、負けたのがヨセフ。
「アイヤー、ヨッ」のヨセフ。

血だらけになって倒れていたところを、通りかかりの者によってエジプトに売り飛ばされる、という悲惨な目にあう。

しかし、ヨセフはデキる男だった。
エジプトの王宮で出世して、土地も与えられて永住。
その4代あとにモーセが生まれる。

モーセだったら知っている。
だんだんと話が繋がってきた。

どうでもいいことだけど “ モーゼ ” だと思っていたら “ モーセ ” とある。
濁らない。

知らなかったぁ・・・

茨城は “ いばらぎ ” ではなくて “ いばらき ” だったと知ったときと同じくらいの驚きがあった。

本当にどうでもいいことだけど。

第3話 奇蹟の人 モーセ

ヨセフを祖とする在エジプトのイスラエル人たちは、有能だったため危険視されて迫害された。

旧約聖書には60万人とあるが誇大表記が多いので、まあ、だいたい1万人くらいだろうと、阿刀田高は目見当だ。

彼らがエジプト脱出するときは海が割れる。
『モーセの奇蹟』だ。

この非科学的な奇蹟については、さんざんと悪ふざけしていた阿刀田高は、急に背筋をピシッと伸ばしたかのように書く。

ざっくりと以下である。

奇蹟が起きようと起きまいと、科学の説明があろうあるまいと、そんなことは大して重要じゃない。

ひとつの比喩なのだ。
実際にあったかどうかよりも、そう信じられたこと、そう伝えられたことのほうが大切に思える。

牛若丸は、本当に五条の橋の上で弁慶と戦ったのだろうか。
孟子の母は、本当に3回も引越ししたのだろうか。

ニュートンは、本当にリンゴが落ちるのを目にして、万有引力の発見をしたのだろうか。

浜口雄吉は、本当に銃で撃たれたときに「男子の本懐だ!」と叫んで倒れたのか。

どれも疑わしいし、噓くさい。
でも、多くの人に受け入れられて長く伝わっている。

端的に、人柄や、前後の状況や、結果を伝えることができたから人々に長く信じられた。

しまりのない事実などは些末なことで、本筋としては間違ってない。

・・・ そんなように、2ページに渡って熱く書いている。

聖書なんてインチキばかりだと思っていた自分は「そういう考え方も読み方もあるのだな」と妙に納得した。

後年に生きている者としては、そこはもっと多面な目線と想像が必要じゃないかと、阿刀田高(敬称略)に教えられたような読書となっている。

第4話 有能なヨシュア

モーセに率いられたイスラエル人はカナンの地に到着した。

次に指導者となったのはヨシュアだった。
うっすらと聞いたことある。

紀元前13世紀になる。
旧約聖書の “ ヨシュア記 ” になる。

ヨシュアを絶賛している阿刀田高でもある。
書かれる行間からは、ヨシュアの知力や精神力や体力が十分にうかがい知れるという。

政治家として、武将として、どの時代であっても活躍する人物だとも、小説の題材として一編を書いてみたいとも。

そんな絶賛中のヨシュアに率いられたイスラエル人は、四国ほどのカナンの地の征服のために戦う。

小ぜりあい、中ぜりあい、大ぜりあい、これらが以後しばらく、いや、イスラエル人がカナンにいる限りずっと続いていく。

そのように現在へ続いていく大元を示して、突飛もない例え話も交ぜて、ダジャレも交ぜて、ヨシュアの話を進めていく。

ふざけているだけではない。
地震があったという地質学の事実を挙げて、それを利用したヨシュアの高度な政治手法を見出したりする。

旧約聖書を引用して、そこに書かれている奇蹟の作られ方を暴くようにして推測もしている。

第5話 サムソンの謎

この章は、ダスティン・ホフマンの映画『レインマン』の感想からはじまる。

そこから、映画の中のサムソンを紹介する。
力こそ強いけど、おつむのほうは日光駅の一つ手前、そう、今市イマイチ、そんな感じだ、と阿刀田高は軽快である。

ところが、旧約聖書のサムソンは “ 士師 ” となる。
裁判官であり、大衆の指導者であり、教育者である。
映画のサムソンのイメージとは一致しない。

しかも不思議なことに、サムソンは士師であるのに、さほど立派ではない。
ただの暴れ者。

結婚式で30人を殺す。
暴れて1000人を殴り殺す。
大きな柱を倒して、おびただしい死者も出している。

阿刀田高は想像する。
たぶん、イスラエル人と同化した、ある地方の、ある部族がもっていた英雄譚を、ついでに旧約聖書に入れたのではないかと。

第6話 ダビデの熱い血

古い時代にあっては、宗教が政治の役割を担っていた。

だが、時代が進み、社会が複雑化して、外敵の存在が大きくなると、それだけではむずかしい。

紀元前1000年ごろのイスラエルもそうなっていた。

12の支族に分かれて、士師や預言者の指揮を仰いでいた民衆も・・・、細かいことは省略して先へと進もうと、要約の名人の阿刀田高はすっ飛ばす。

で、登場してくるのがダビデ
旧約聖書の “ ルツ記 ” にダビデの血統が記されている。

その地の当時のサウル王が、神のお告げがあったとおりに村へ探しにいくとダビデがいた。

サウル王に仕えて、やがて武将となったダビデは、戦いにも勝利を重ねている。

このあたりの旧約聖書は、少し話の辻褄が合わないらしい。
「まあでも、こうだろう」となんの根拠もなく推測して、阿刀田高は先へ進む。

ダビデは民衆からの人気も高まるが、猜疑心の強いサウル王からは命を狙われる。

それを察してダビデは逃げた。

今でも、イスラエルの “ エン・ゲディ ” というオアシスには、逃亡中のダビデが隠れていた洞窟があるという。

で、ダビデは兵を募って、サウル王を倒して、ユダ族の支配する地域の王となる。

3年のちには、イスラエル全土の王となる。
エルサレムを王都に定めた。

これがイスラエル王国の成立である。

主役の神はといえば、ちょいちょいと登場してくる。
すべては神がうまくやった、実は神がそういった、神のおかげ、だから神を敬えと、いっちょ噛みしてくる。

第7話 ソロモンの光と影

神はともかくとして、うっすらと名前を知っているだけの人物が、だんだんと整理されてくる読書でもある。

「アイヤー、ヨッ」の面々

モーセ

ヨシュア

サムソン

ダビデ

そして、ダビデの子がソロモンとなる。
なんか聞いたことある。

刀田高のマネをして頭の一文字を繋げてみると “ モヨサダソ ” となるが、だからなんだという感じだ。

ともかく、ダビデは戦争で破壊した。
ソロモンは国を建設をしている。
紀元前1000年ころである。

ここで、ソロモンの英知を示すエピソードが紹介されているが、どうも大岡越前の話に似ている。

というのは、日本の講談の作者が真似をしたのであって、元祖は旧約聖書のほうであると、阿刀田高は明かす。

しらなかったぁ・・・

で、ソロモンの偉業は、旧約聖書の記述でなくても、古代史の史料でも判明しているという。
神殿の一部も残っている。

しかし、紀元前926年。
ソロモンの死のあと、イスラエル王国は南北に分裂する。

異教徒の私の眼から見れば、神殿に費用をかけすぎたから、経済が疲弊して争いがおきたと思うが、聖書ではぜんぶ神の懲罰となる、という阿刀田高の言は心地いい。

阿刀田高は、現在のエルサレムにも赴く。
そこには “ 嘆きの壁 ” があって、多くのユダヤ教徒が祈りを捧げている。

ここが、ソロモンが建てた神殿の跡。
イスラエルが栄華を誇った時代を懐かしんで祈っているとガイドはいうが、もう3000年も前の話。

しかも、イスラエル王国は、分裂してから衰退していくので栄華といってもたったの80年ほど。

が、人々が祈る姿は真剣そのもの。
阿刀田高もなんといったらいいのかわからずに「まいったなぁ」と書くばかりになっている。

今では、アラブの人々は出ていけという。
言われるイスラエルの人々にしてみれば、もともと自分たちのものだった、ちゃんと聖書にも書いてある、としぶとい。

このあたりについても、阿刀田高としては「むつかしいなぁ」と、首をかしげたくなってしまう部分も多いと考え込んでいる。

第8話 アダムと肋骨

ここまできて、旧約聖書のスタートに戻る。
『創世記』だ。

この『創世記』には、矛盾が多いという。
これは様々な伝承が交錯したから。

書くべきが抜けていたり、前後がはっきりしなかったりするが、なべて古代の物語は戸締りがわるいところがある。
ドンピシャリとはいかない。

専門家の研究もされているが、アマチュアはこだわることなく、さりげなく通過しようと、阿刀田高はポイントを伝授している。

とにかくも、このあたりは知っている。
なんやら、初めに神が陸とか海をつくった『天地創造』というやつだ。

それからアダムイブが造られて、楽園から追放。
カインアベルが生まれて、すったもんだがある。

ずっと経ってからノアが生まれる。
『ノアの箱舟』ってやつだ。

そして『バベルの塔』だ。
高すぎてダダ崩れになる塔だ。

で「アイヤー、ヨッ」に繋がる。

こうした理由を、阿刀田高は説明する。
以下である。

見たところ、アブラハム以降は、イスラエルの民の歴史と考えることができる。
誇張もあるが、おおむね、そんなことがあったのだろう。

対して、アブラハム以前は “ 神話 “ に属する。
旧約聖書は、アブラハムの登場を境にして、神話から歴史へと変わったというのは良識にも適う見方だろう。

・・・で、この章でおもしろいのは、サルトルの登場だ。

サルトルの著書『実存主義とは何か』が最良だと紹介して、天地創造と対比することで実存と本質を説く。

これがわかりやすい。
聖書の話なのに、おまけのようにして、実存主義までがうっすらと理解できたのがうれしい。

ざっくりとは以下である。

創世記では、神が人間の本質を決定し定義を与えている。
明らかに、本質が実存に先立っている。

ここがサルトルを熱くさせている。

「人間については、元々がどうだって決めることが、いかんのだ!」とぶちまけている。

これは創世記への挑戦であり、衝撃的な発言だったのだ。

日本人にとっては当たり前のようにも思えるサルトルの主張は、実はどれほど斬新で、鋭利であったのかがよくわかるだろう。

・・・そして、この章の終わりで安心した。

この本は、最初は “ 小説新潮 ” に連載されていた。
旧約聖書やイスラエルをおもしろおかしく書いている。

それに、スマートではあるけど、ぎりぎりのところで旧約聖書の世界を小バカにもしている。

推測については、不敬だ、神の怒りを買う、異教徒的だという自覚も本人は持っている。

30年前の発刊とはいっても、当時からもイスラエルは戦争ばかりしているし、よくもそっち方面から怒られないものだと不思議になるほどだった。

すると、イスラエル大使館に招かれて、一等書記官と歓談する機会を持ったという。

阿刀田高は質問する。
なにげに緊張も伝わってくる。

「心配しているんですよ。小説新潮に勝手なこと書いてますから。イスラエルの神の逆鱗に触れるんじゃないかと思って」

「大丈夫でしょう。20世紀に入ってこのかた、イスラエルの神は、どんな形であれ、自分が話題にされることを喜んでおられますから」

一等書記官は、笑いながら答えたという。

第12話 エピローグ するめ風味

最終章では、阿刀田高は昔話をする。
若い頃は、よく集まって酒を飲んだとはじまる。

昨今は、さきいかだの、いかくんだの食べやすい袋ものが出回っているが、当時はおつまみといえば産地直送のスルメだった。

電熱器であぶって「あちちち」といいながら細かくちぎって皿に盛る。
私たちは、1枚のスルメを、争うこともなく仲良く食べた。

さて、旧約聖書だが、その構成はスルメに似ている。

・・・いきなり急角度。
旧約聖書をぶっこんでくる。

でも、納得する。
以下である。

まず、天地創造からバベルの塔までが、スルメの頭。
アブラハムからソロモンまでが、スルメの胴体。

その後が、スルメの足。
それまでとは、趣が異なるものが枝分かれして並ぶ。

分裂した国の歴史をたどっているかと思えば、詩篇、箴言、雅歌もあってと、記述もややこしくなる。
さらに、ぞろぞろと預言書が続く。

スルメではないか。

だから、スルメ的区分によって、おいしく食べれる頭と胴体までは、そこそこ詳しく記した。
しかし足の部分は、食べ残した部分がたくさんある。

・・・どうりで。
第8話の創世記が終わったあたりから、脈絡がなく詩がでてきたりして、まとまりがないとは感じていた。

『第9話 逃亡者ヨナ』
『第10話 ヨブは泣き叫ぶ』
『第11話 預言者二人』
で、この『第12話 エピローグ するめ風味』となっている。

ラストの5ページ

ラストの5ページほどは “ 読む ” ことについて書かれる。
大まかには以下である。

読み終わって、どんなことが書いてあったのか、当たらずとも遠からずくらいの説明ができなければ、読んだことにはなるまい。

でも、読書ばかりしているわけにもいかない。

読書は楽しいことであり、大切なことでもあるけど、人生にはほかに楽しいことがいっぱいある。
大切なことはさらに多い。

古典なんか読まなくたって、立派に生きていける。
そういう生き方も、現実にいくらでもある。

旧約聖書についていえば、簡単に読めるものではない。
全巻をきちんと読むことなど不可能である。
断言してもよい。

普通のサラリーマンが、信仰もないのに、電車の中で旧約聖書を読んでいたら『狂ったのとちがうか』と私はそう思いたい。

でも読まないよりはマシ。
そのために、この本がある。

・・・阿刀田高が要約の名人、というのはよくわかった。

読む前に迷っていた聖書による感化は、阿刀田高が強烈すぎてされることはなかった。

そして阿刀田高は、ここ10年の間、聖書を改めて読み続けてみて書けるかなと思えてきた、と明かしている。

詳しく知りたい場合は、原典ではなくて、犬養道子の『旧約聖書物語』がいいと薦めてもいる。

で、本の終わりの3行は以下である。

最後に、もう1度スルメに戻って、旧約聖書とかけてスルメと解く。
そのこころは、噛めば噛むほど味がでる。
さして、おもしろくもない言葉遊びを記して筆をおこう。

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