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遠く時の輪の接するところで

今、ドルビーシネマ版「銀河鉄道999」「さよなら銀河鉄道999」が上映中だ。
ここで作品に対する批評はしない。というか自分にはできない。ただただ「999」を観た自分について語りたい。
映画館で「999」を観るのは4年ぶりだ。4年前レトロ映画館、小倉昭和館でリバイバル上映された。その時は39年ぶりだった。しかし期待とは裏腹に40年近い年月の経過を目の当たりにすることになった。一言でいえば「色褪せた」。あと音響もモノラルだった。「当時のままで」をコンセプトにレトロ映画館での上映だから当仕方がないんだけど、それを懐かしむと言うよりも、いかに自分の目と耳が、CG、音響技術の向上の恩恵を当たり前のように受け、知らぬ間に肥えていたことか。加えて初めて劇場版を観た時の色彩の記憶、印象とのギャップも加わり、これは記憶が美化されたのかと疑うことばかりで映画に集中できなかった。
「こんなんだったっけ?」時代の流れだ。あの時はすごいと思っていたものが時を経て変わる。そんな体験をしてしまった。思い出のままにしておくべきだったかもしれないと後悔した。
昨年、「999」が4Kリマスターで上映されることを知り、これは上書きするチャンスかもしれないと思った。4KHDRリマスターで音響もドルビーアトモスだ。前回の印象を払拭してやると意気込む。そして、、

「これ、俺が小学生の時観たのはこれだよ」

原作でメーテルが鉄郎に「遠く時の輪の接するところでまた逢いましょう」と言う。まさしく今回、あの時の「銀河鉄道999」が目の前に現れた。時が接したのだとひとり勝手に感動した。そうだ俺はこんな映画をリアルタイムで観れた。鉄郎とほぼ同い年に。鉄郎に自分を重ねていたのに、40年経つとメーテルやハーロック、アンタレスのように鉄郎を見守る目線で観ていた。俺も年を重ねた。
映画が終わり周囲を見渡すと自分と同じ、年を重ねた世代の人たちばかり。中には泣いてる人もいた。自分も目を赤くしていた。席を立とうと腰を上げた瞬間隣の人と目が合う。相手は微笑んでいた。その表情でお互い理解できた。感動を共有できるって素晴らしい。価値観を共有できる幸せ。感無量だ。

城達也の最後のナレーション、「さらばメーテル、さらば銀河鉄道999」と続き、最後に「そして少年は大人になる」とテロップが出る。それを見た瞬間、今の俺と鉄郎が対峙した。俺からすれば鉄郎もメーテルも永遠にあの時のままだ。永遠じゃないか。永遠の命じゃないか。
年老いたのは俺だけじゃないかと少し寂しい気持ちにもなった。
色んな気持ちが込み上げ映画館を後にした。もう一回観ようかな。

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