TANAKAJI―学ぶ。働く。遊ぶ。

物流・流通関係のシステムエンジニア→インターネットベンチャーlT流れ者→今や巨大IT財…

TANAKAJI―学ぶ。働く。遊ぶ。

物流・流通関係のシステムエンジニア→インターネットベンチャーlT流れ者→今や巨大IT財閥となったグループに転じ、新規事業立ち上がらず屋。気がついたら通信会社でデジタル情報革命とやらを。退職後、家業の零細製薬会社のかたわら大学院進学。ITコーディネータ。文京区と日高市に二居点居住中

最近の記事

高麗川を行く・古道

 高麗川・清流橋のCAWAZ近くに「古道」と呼ばれる散歩道がある。集落の中のお地蔵様の脇から、木々が生い茂った暗い森の中の中を進むと、明るく開けた原っぱにで出て、さらに見事な竹林を歩むと高麗川沿いの遊歩道に出る。さしずめ国木田独歩の武蔵野か、あるいはメイが迷い込んだトトロの森のようだ。わずか200ⅿ程の平坦な小径であるが、ちょっとしたトレッキング気分が味わえる。自分は自宅からCAWAZへ行くときに、MTBでここをぬけてゆくのだが、いつも子供のような探検気分が味わえる。 嘗て

    • 高麗川を行く・流れ橋

      高麗川には、流れ橋や沈下橋が多い。流れ橋は水流が多い時に橋板が分離するもの。沈下橋は橋自身が増水した水流の下にもぐるような構造のものを言うらしい。いづれも台風や大雨の増水時に人や車が渡るという機能はあきらめながらも、橋自身を守るというものだ。 武蔵横手駅と高麗駅の間にはその名も「流れ橋」という橋がある。 実際、Googlemapにも「流れ橋」として登録されている。お地蔵様の祠の脇の緑のトンネルをくぐると、欄干もない2本組の板がコンクリートの橋脚の上に渡された橋がある。橋板

      • 高麗川を行く・清流橋

         清流橋は高麗川が巾着田のオメガカーブから放たれて、長年の浸食でえぐられた川筋にある。CAWAZの目の前の橋のコンクリート橋で、CAWAZを訪れる人たちにも散策に赴き「川」を感じることができる。 一方、地域の人たち、とくにカワセミ街道沿いの人が県道15号線にぬける生活道路でもあり、その歴史は古い。清流という名は、文字通り高麗川の清流をイメージするが、高麗川の北側日和田山や高指山に面した清流地区への道ということだろう。この清流の言葉は渋沢栄一の紀行文 「玉石見聞録」「南遊季候

        • 高麗川のほとりにある古民家

          埼玉県日高市栗坪46 高麗川にかかる清流橋のたもとにカフェ・コワーキングスペースCAWAZ baseがある。420坪の川に面した敷地、雑草にまれ朽ち果てそうな古民家が、カフェ・コワーキング・ワーケションスペースとして生まれ変わるまで。 古民家は集まる場所2020年の春、高麗川のほとりの古民家にCAWAZの創設メンバー3人が集まった。中心になるのは地元出身で海外経験が長いUターンの池ちゃん。この古民家を再生して”集まる場所”を作るという。バックパッカーで南米にコネクションがあ

          「苦痛な休憩時間」

          数学と感染症の関係は深い。ワイドショーは対数グラフと指数関数をきちんと説明していない。対数グラフの目盛りを読むことなく平気で海外と日本の数字の比較をして、日本も増えてますという。16進数やムーアの法則に支配されているIT業界にいると、指数関数の恐ろしさを実感しているが、中学でならったはずの指数関数をほとんどの人は忘れている。毎日の報告される感染者数の上下に一喜一憂するだけで、母集団や調査タイミングに気を配る来なく数読みをするだけだ。 数学と今の事象をイタリアの数学者であり文

          カミュのペストとコロナ禍

          最近「カフカの変身」を読んだが、カフカが個の不条理を取り上げているのに対して、「ペスト」は集団の不条理を受け入れる過程を描いていて、2大不条理文学とも呼ばれているようだ。共通するのは、不条理に立ち向かう強い意志に基づく事象の解明と解決への動的なふるまいではなく、根本的な解決をあきらめたうえで「不条理」を受け入れてゆく過程を淡々と記述している点である。もっとも変身が個人の内面を掘り下げ、自由にならない自己の変化を通じ人間であることの儚さを描いているのに対して、ペストは主人公リウ

          カミュのペストとコロナ禍

          カフカの「変身」と介護

          プラハ滞在の折、カフカの博物館へ行ってみた。 カフカと言えば「変身」である。 「朝起きたら私は虫になっていた。。。。」 昔読んだような、読んでないような。。。と思い。 いい機会だから0円の電子書籍を読んでみた。 そうだ、これは筒井康隆だ。元祖不条理系。 ネットを見てみると、確かに筒井康隆はカフカに影響されていると 自分でも言っている。 虫になった私を、家族は疑問を持ちながらも最初は受入れて対処する。 私は、意思を伝えられないもどかしさを持ちながらも家族を気遣うが 次第に

          カフカの「変身」と介護

          渋沢平九郎の眼光

           台風の後の荒れた奥武蔵グリーンラインを電動MTBで登り、顔振峠の平九郎茶屋でうどんを食べた。平九郎茶屋とは渋沢栄一の義弟にして、のちに養子に入り彰義隊に参加した青年武士の名渋沢平九郎にちなんでいる  戊辰戦争で幕府彰義隊と維新軍の上野の戦いは広く知られるところであるが、そののち彰義隊が飯能に落ちのび、飯能戦争という戦いがあったのはあまり知られていない。彰義隊の頭取だった深谷出身の渋沢成一郎(渋沢栄一の従弟)ら、関東近辺の幕臣が飯能の天覧山に集結したが、維新軍にあえなく敗退

          デジタルとアナログのすき間(腕時計の場合)

          ウエアラブルデバイスはもう10個以上かったか?アップルウオッチは3回買って3回売った。Withingは、気に入ってたけどガラスがわれてしまった。Fitbitや中華なデバイスも色々買ったし、ガ―ミンは自転車で結構使った。何れもヘルスケアがその購買の動機付けにあることは確かで、無呼吸性に加えて血圧もすこし高くなり、体重も気になる年頃である。活動量やバイタルが気になる。 思い返すと、腕時計はケ一タイをもつようになってから殆ど使わなくなっていた。つまり20年ぐらい時計をする習慣が無

          デジタルとアナログのすき間(腕時計の場合)

          すべては博物学?

          大学院集中講義が終った。l日3コマでビデオ事例1コマ、論文購読まとめ1コマ、発表とディスカッション1コマが5日間。勢いで積ん読になってたミンツバーグの経営学10学脈「戦略サファリ」を読む事にしようと思ったが、今々のビジネスから少し逃避したくて「世にも危険な医療の世界史」という本を紐解く。一気に荒俣先生や熊楠の博物学の世界へ。 歴史的に見ると今のエビデンスベースの薬が一般化し、厳格な製造と流通の仕組になったのはつい最近の事である。医療や化学の発展とともに、病理のメカニズムか解

          「ゲームズマン」といってもゲーマ一ではない。

          一応働きながら大学院に行っている為、夏期集中講座というものを履修して、今週はl日3コマx5日授業がある。昨日は1日目で経営戦略論の変遷をぎゅっと圧縮した論文を読み発表した。前職ではコンサルティングファーム出の人達と一緒に仕事をしていたので、PPMやSWOTなど断片的な知識はあったし、ドラッカーは読んでいたが、変遷を順を追って見ると社会や経済情勢にともなって学問として進展してきたのがわかった。又、去年受けたITコーディネーター研修では、コアコンピタンスとバランス・スコア・カード

          「ゲームズマン」といってもゲーマ一ではない。

          「モダン・コンピューティングの歴史」で思い出すコンピュータ自史(2)入社して

          前のポストでは、大学時代の事を書いたが、社会人になった頃を思い出してみよう。コンピュータの仕事はしたいと思っていたが、コンピュータやシステム開発を生業とする会社はいやだった。当時バブルへ昇る時代でこの様な会社は大量採用だったが、集団に埋もれてしまうことが嫌で、競争に踏み込めない弱気な自分だったと思う。はじめて入った会社は中堅の物流の会社であった。歴史のある上場企業ながら、物流以外にも多角化を進めとくに情報部門を強化するという。新しい事ができそうな気がした。 入社して、私以外

          「モダン・コンピューティングの歴史」で思い出すコンピュータ自史(2)入社して

          「モダン・コンピューティングの歴史」で思いだすコンピュータ自史(1)大学時代

          「モダン・コンピューティングの歴史」ポ一ル・E・セルージ著を読む。 通信の歴史を追いかけていたら、やっぱりコンピュータの歴史も気になってきた。2008年の書であるが、戦後の弾道計算への軍事利用とパンチカードによる事務処理にはじまり、汎用機の成立、ミニコンからパソコンへの変遷とネットワーク化、インターネットまでが体系的に整理されている。 自分のコンピュータ史でいうと、大学の時にコンピュータ実習を履修していて、簡単なプログラムをパンチカードを長い時間かけて打ち込んでわけのわか

          「モダン・コンピューティングの歴史」で思いだすコンピュータ自史(1)大学時代

          生活圏の変化。

          通信会社を退職して丁度1年がたった。早いものである。退職して半年は、日高の家で週3日ぐらい過ごし、ITCの資格をとり、自家の事業に少しづつ感覚を慣らしてきた。本当は、サバティカル的に自転車で長い旅にでも出たいところであるが、子供の受験もあったりして、なかなか家をあけるのは許してくれない。 職住接近で家にいる時間が長くなり、受験生への食事の提供や片付け掃除をする様になった。カミさんもフルタイムで働いているので、必然的に主夫化してきたといえる。元来食べる事は好きだし料理は嫌いで

          孔雀明王

          みちのくから不思議な霊力を送ってくる友がいる。彼が言うには、私は孔雀明王なのだそうだ。不動明王に代表されるように仏教における明王は、仏教に帰依しない民を憤怒の表情をもって教化する役割である。不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王が五大明王と呼ばれ、何れもヒンズー教の神でもある。伽藍の中で中心に坐す穏やかな姿の阿弥陀仏や如来に対して、恐ろしげな姿で脇を固めている仏典の守護神である。そんな明王の中で孔雀明王は、唯一穏やかな表情である。その孔雀に股がるもしくは座

          高遠石工

          今回の伊那行きでは、自転車の先達にして郷土史家で火の見櫓ウォッチャ一のM氏に高遠石工の足跡を案内いただいた。高遠石工とは、江戸時代全国を歩きその石仏作りや石材加工技術で名を馳せた技能集団を言う。高遠藩も石工産業を奨励し、特別な手形を与え自由に出稼ぎをさせ外貨を稼がせ、山奥の藩の財政ををさえる柱としたのだ。前日の台風一過の青天の下、高遠城下青石という貴重な石を加工した石仏を自転車で見て回った。守屋貞治という名工の作なる馬頭観音や千手観音像は極めて精巧な細工が施され、手にした杓や