インタビューの極意?(記者、走る)【コラム|2007.08.31】

(掲載|北米毎日新聞| Hokubei Mainichi Newspaper|2007.08.31)

【掲載の背景】

北米毎日新聞は、もともと記者が毎週持ち回りで書く「あばうと」というコラムがあった。自分が編集長になったときに、「記者、走る」とタイトルを改めた(のだと思う)。ここに出てくる、「ある映画監督」というのは、故・今井雅之氏。全編英語で作れられた「THE WINDS OF GOD -KAMIKAZE- 」(2006年)で監督、主演。話した映画は、確か「パピヨン」。

【記事】

インタビューの極意?

ある映画監督へのインタビュー。
 同行して写真を撮ってもらった女性から「インタビューがむちゃむちゃうまいですね」といわれた。
 まあ当たり前といえば当たり前なのだが、やっぱりほめられるとうれしい。
 インタビューの仕方は誰かに習うわけじゃなくて、やっていくうちに自分なりに身についていくもの。編集局のインターンをインタビューに同行させ、「こういう感じだよ」という表面的な部分は見せられるが、聞き方のトーン、間、予定外の質問といった「機微」は教えようがない。失敗を重ね、試行錯誤しながら、自分に合ったやり方を見つける。だからといっていつも同じやり方は通用しない。その場、その場での相手にも合うやり方を見つけていくしかない。
 ある取材をインターンに依頼し、僕はサポートで同行した。取材対象者がやや固くなっている。まだ核心に触れる話を聞けていない段階で、インターンが用意した質問はすぐに出尽くし、気まずい間が空いた。板の間に正座していたため、僕は足がしびれてしまって、「あいたたた」と思わず声を出す。すると取材対象者は、笑って、それまでの緊張が解け表情が一気に緩み、ようやく本当の取材を始めることができた。
 もちろん、足は本当にしびれたし、「あいたたた」という声も自然に上げたもの。だけど、それが、違う人だったら同じようになっていたかは自分でも分からない。相手を見ているだけでなく、感じ取って起こったミラクルといえばミラクルだ。
 そういう「機微」も技術ではないし、ただ長くやっていれば分かるものでもない。じゃあ、何だろうと考える。
 先の監督のインタビューでは、「影響を受けた映画は」という質問に対し、一本の古い作品の名を挙げてくれた。僕は主演の二人の名前をさらっと返したが、ちょっと試された気がした。何かの基準をクリアできてこそ聞かせてもらえる話が存在する。そのテストに合格できなかったら、映画のもっとコアな部分に触れる話は出てこなかったかもしれないと思うと冷や汗が出る。
 映画をたくさんみているからといっても、それが直接、知識になるわけではない。体系付けた知識でないと、いざというときに役立たない。そういう探り合いというか、互いのインタラクティブな部分を作り出すのは知識だ。
 だけどやはり知識だけではない。役者の勉強や、映画制作に参加して、ある程度のことは知っている。本当は作る側に回りたいから、実際に作っている人たちを素直に尊敬し、彼らのことを知りたいと心の底から思えることが大事だろう。
 「最近、結局は、何でも人間性だと思うんですよ」と冒頭の女性は言う。
 なるほど。それは人間性の豊かさがインタビューに反省されていると言ってくれているのでしょうか。
 まあ、そんなことまでは言っていないのだが、いずれにせよ、一番大事なのは、ほめられて、。自信を持って人と接することなのかもしれない。

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