男女すべてを生きる

女性性を大切にしている人からの申し込みが、増えた時期がありました。私は女性性を大切にしていないというか、女性性だけを大切にはしていないので、期待に応えられる気がしませんでした。

立方体の6つの面に、ユングのアーキタイプをそれぞれ当てはめたとき、女性性とされるアニマと、男性性とされるアニムスは向き合っています。女性として生きる人の場合、アニマの壁に押しつけられ張り付いて生きているわけで、そこからの景色しか見えず、目の前のアニムスしか見えていないと言えます。つまり女性が女性性を強調すると、より一層アニマの壁と一体となり、男性しか見えなくなるわけです。それはどうしても一面、一方通行の視点しかなく、狭量であり偏見だと言えます。

パウロコエーリョの本に、1人の女性が自分の中に、男性を好きな女性、女性を好きな女性、女性を好きな男性、男性を好きな男性を見出し、そのどれにでもなれることを知るというような話があって、それを学生の頃に読んだとき、「そりゃそうだ」と思ったし、私の中にもすべてあると思っていました。どれで生きるかは自由ですが、肉体の持った性別というのがあるので、表向きそれに自己同一化して生きることが多いことになります。私の場合、私の中のアニムス像は明確で、これも学生の頃に見出したものですが、このアニムスを私自身が生きているし、好みの男性に投影していることもハッキリと自覚しています。オールドワイズマンの小型版がアニムスで、グレートマザーの小型版がアニマなのだから、ペルソナ、シャドーも含め、どれか一つだけで生きるということがあり得ません。

性を解放するなら、性別や肉体にこだわり、セクシーな下着を身に着けるよりも、すべて生きて統合に向かった方が真に解放されます。

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