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19太陽(2020年12月10日)

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今日のサビアンシンボルは、射手座19度「住処を移動するペリカン」です。12月9日23:55頃19度に入ります。

自己分割して下りてくる恒星は、地上との接点を持つとき、創造の中に生きることしかできません。着地点が創造行為というのは、地上原理に染まらず従わず自由でありながら、常に自らが燃え続けなければ消えてしまいます。どう考えても肉体が持たないと感じます。

実際肉体を持って生きる以上どう生きればよいのか、そう考えていくと、古代エジプト時代のかつての人の姿は、ほんの少し参考になります。形骸化し重くなった肉体とどう付き合えばよいのか、この物質肉体を乗り物として愛着を持つことは、わりと重要なことではないでしょうか。

着地点の末端あるいは出先機関としての物質肉体は、家や車に変わるものとして、より身軽な乗り物です。物質肉体が出先機関としての移動装置になるなら、実家があるから、仕事があるから居場所が決まるのではなく、精神が先にあって、それに相応しい環境を選ぶ、という能動的な生き方になります。

射手座19度の住処を移動するペリカンも、環境や地上原理に合わせるのではなく、生き方に合わせて住処を移動します。ペリカンには、胸に穴を開けてその血を与えて子を育てるという伝説があるそうで、胸はティファレトやアナハタに関係し、血液は自我なので、自己の中心から血液網が広がるように、自らが生きる世界が作られていきます。

ひどく集中すると、どうしても身体が壊れる、もたないと感じます。長生きするには、ほどほどにボーっと生きるのがいいんだろうな、とつくづく感じます。何も得ることなくぼんやり終わる一生は、おそらく長生きです。集中できる身体は、本来の創造性を発揮できる身体です。

環境や地上原理に依存せず移動するとなると、その根拠はエーテル網に置かれます。恒星とのリンクが張られた場所は、大地と符合しないので、エーテル網のリンクに合わせて移動することになります。地理上で見てもかなり差があるようで、その差は勘違いとして気がつきます。「横浜だと思っていたら盛岡だった。」というような。

そう考えると、射手座19度のペリカンは、地上を移動するというより、エーテル網の恒星とのリンクが張られた場所を住処にします。つまり恒星意識に基づいて生きるということで、エーテル体の身体がそこで育ちます。胸から血液を与えることで、星の子どもが育ちます。

今日のカード19太陽の絵柄にある尻尾を持った子供は、星の子どもです。星の子どもは自立し、環境に流されず地上原理に縛られません。この星の子どもは影に回った歴史を持ち、人類が抑圧した記憶を持つので、今この世界では、表に出してはいけない子どもです。

恒星の血が通った星の子どもと、肉体を持った今ここに生きる子どもが融合すると、それは本来の人間の姿になります。たいていの人が星の子どもの存在に気がつかず、影に追いやっており、たまに顔を出してくると、それはまるで不運が襲ってきたと感じたりします。星の子どもに親しみ、星の子どもがリアルになってくると、本当の意味で自立し能動的な生き方になり、つまり人間として生きることになります。

こうして毎日サビアンとカードについて書いていると、すべてを言葉にしきれないと感じつつ、だけど書いていると星の子どもが説明しだすので、それは何よりも充実した瞬間です。まだ星の子どもへの親しみが足りないのか、すべてを表現できないのがもどかしいのと、ひどく疲弊するので、最近は物質肉体の調整に力を入れています。

射手座19度は、ペリカンが胸から血を与えるように、恒星自我が星の子どもを育て、この子どもとして生きることを促します。住処を移動するというくらいなので、エーテル体の星の子どもが昼間に顔を出し、主張してくるのでしょう。エーテル領域が物質領域に浸食してくると、日常生活の安定は揺らぎますが、ようやく何者かになったとも言えます。

星の子どもが生きるための環境を見出すのが、射手座19度です。

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