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20審判(2020年12月20日)

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今日のサビアンシンボルは、射手座29度「芝を刈る太った少年」です。12月19日19:50頃29度に入ります。

25度で小太りな少年が登場し、この度数では、骨であるロゴスに贅肉というイメージが豊かについていました。ロゴスに着く贅肉は、着きすぎれば本質からかけ離れ、軸のない、つまり意味や意図のない言葉や妄想めいたものになり、死神の粛正対象になるわけですが、肉体を持って生きる以上、骨と皮だけではなく多彩な生活や価値観がある程度必要です。

射手座で登場する太った少年たちは、土の限界を越え燃え広がる火を象徴し、環境や集団原理からすれば実用性がなく、無駄だとされる精神性や知識を表しています。

29度で芝を刈るのは、土にぎりぎりまで触れようとしており、着地しないように気をつけながら、地上原理や集団原理に接触しようとしています。芝は生い茂るほど、大地に接触せずに済みますが、見えないものには無自覚に多大な影響を受けるので、地上原理が見えず理解できず、それに振り回されることになるかもしれません。

全惑星意識では、すべてに生命力が行き渡り、意識が隅々にまで拡大しているので、芝の管理も怠りません。余計な贅肉をそぎ落とすように芝を刈り、地上原理を無視することなく、関わりません。芝を刈る必要があるのは、山羊座の大地に接触するためでなく、暗に影響を受けないようにするためです。中空に浮かぶリアリティに生きるとき、身体性や地上原理を無視すると逆に引っ張られ、重い感情や欲望により外に出ることができず、妄想になっていくからです。

射手座29度で改めて精神を研ぎ澄まし洗練させ、山羊座に入る準備をします。少年は大人になろうとしているとも言えるし、形骸化した世界で生き抜くための準備をしています。

今日のカードは20審判。審判のカードは、「意志は環境に負けない」ことを意味します。時間の流れに従うと、時間がすべて解決してくれ、過去から蓄積されたものは決して消えることなく、流されるように人生が終わり、気づけば次の人生が始まります。この流れに意識的になろうとするのが11力のカードで、それを可能にするのが20審判です。

過去世に関しても、過去からの流れがあり、それによって今世が決まっているというような発想は、20審判にありません。過去世を思い出した人の多くが、「思い出したところで意味はない」という考えに至るのは、過去からの蓄積が今ではないと気づくからです。この時間の流れに乗ることをやめれば、意志の力は環境の力に負けることはありません。

肉体は太陽系内の惑星である地球に依存し、精神は太陽系外の恒星に根拠を置くなら、肉体は時間の経過とともに朽ちていきますが、精神は360度全方位的に輝き続け、時間の流れに乗ることなく永遠です。肉体は地上に依存していても、精神は何にも依存しません。

このカードの体験で、絵柄の下の方にある枠が7×4=28マスあり、一マス一マスに子どもが並び、雨に濡れているのを救い出したことがあります。このとき庭に墓があると思っていたところが、2階の大きなベランダに変わり、そこに子供たちが並んでいることに気がついたので、かつての自己である星の子どもを救い出したのだとわかりました。

20審判には、形骸化したものから生命力を再生させるという意味があります。生命力が抜け、形骸化したものを私たちは対象化することができ、つまり私たちよりも振動数の低い、物質なら見ることができます。これも時間の流れがあるから成り立つことで、その流れから抜け出してしまえば、物質は命を吹き返します。

射手座は形骸化した世界である山羊座を見たとき、意志や意味を与え、生命力を再生しようとするのではないでしょうか。山羊座からすれば射手座は、審判のカードの上空の大天使のようなものかもしれません。少なくとも射手座29度は大天使として山羊座を見ています。

審判のカードは生命の樹のホドとマルクトを繋ぎ、マルクトという物質界に働きかけています。エーテル界でなく物質界に意図を打ち込み、精神でなく物質を変化させようとしています。上に向かう精神に相応しい身体に作り変えよう、ということでもあります。二極化していない地点に上がり、二極化に下りるとき、着地点にはバリエーションがあります。

最近目覚めるとき、ヘリコプターから飛び降りることが多いのですが、そのとき私は4人に分かれたうちの一人になっています。分割した意識が働きだすと、肉体を持った私になったと感じ、「あ、起きるな」となります。

射手座は上に向かうと同時に、それに相応しい身体づくりを意識します。29度で芝を刈るのは、山羊座の大地に接触するためでなく、大地から生命力を再生させるためであり、そのために上昇する精神に相応しい身体づくりをします。それは環境や時間の流れ、偶然性に支配されることなく、意志の力によって能動的に生きるということです。

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