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19太陽(2021年3月11日)

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今日のサビアンシンボルは、魚座21度「小さな白い羊と子供と中国人の召し使い」です。10日17:45頃21度に入ります。

このシンボルの三つ組は、思考と感情と身体、超自我と日常自我と下意識など三分節を表します。小さな白い羊は身体であり下意識、子供は感情であり日常自我、中国人の召し使いは思考であり超自我です。18月のカードで下から上がってきたザリガニが19太陽で星の子どもに成長するように、境界線を越えてやってきた異質なものは小さな白い羊に成長します。

16度からの流れで、「今ここ」を維持し平定するために抑圧していたものが浮上し、忘れ去られた記憶や生命力が解放されました。精神が形骸化したものである物質が、封印していた生命力を解放すると、動くはずのないものが動き出し、視線を感じ、襲ってくるように感じることもあるでしょう。今ここにないものは、すべて混乱を招きますが、それを混沌だと感じるのは、今ここに縛られているからです。

イザナギとイザナミが混沌から国を生んだように、新しい流れは混沌から生じます。形を作ろうとするのではなく、天沼矛でかき混ぜ、矛から滴り落ちたものが国になるというのは、新しい流れを生む様子であり、二極化の様子をよく表しています。

魚座21度では、ザリガニが星の子どもに変わるように、混沌だったものは、新しい可能性に変わります。同じものでも見る人によって印象が異なることと同じで、部屋に突然現れたザリガニが、気づいたら子羊になっていた、というようなことは、エーテル体ではよくあることで、私たちの心象風景とはそのように変化するものです。

思考と身体を繋ぐのが感情で、超自我と下意識を繋ぐのが日常自我で、この中層にあたる部分を「私」と感じます。思考と身体、超自我と下意識は見えないと言ってもよいでしょう。「姿は見えないけれど、案内するように先を歩く女性がいて、私の背後には、後をつけてくる男の人がいる、ような気がする。」という具合です。

中国人の召し使いは、解説者であり案内者ですが、ここでは召し使いとなっています。先を行くのは小さな白い羊で、その後を追いかける子供を、召し使いは守り案内しています。新しい可能性に引き寄せられ、ふらふらと駆け出しても、道に迷うことがないよう、ガイドが存在するものです。

精神だけが上昇するなら、この中国人に着いていけばよいのですが、魚座がテーマとするように、精神と物質を繋ぎ直し、身体ごと上昇しようとするなら、混沌を小さな白い羊に変え、白い羊を追いかけなければなりません。下意識は日常自我の常識や制約が働かず、生命力を放ちます。手に負えない力を追いかけることは、直感に飛び込むことであり、目的も意志もわからず、根拠も理由もなく、誰かに説明すことはできないでしょう。

個人の突っ張りを解き、大きな意識に回帰しても、物質肉体を持って生きる以上、個人性は完全にはなくなりません。個人性と大きな意識とを結びつけることが、身体ごと恒星に上昇するということであり、精神と物質を繋ぎ直すということです。魚座21度は、それをしようとしています。三分節が同じ方向を向きます。

今日のカードは19太陽。肉体を持った私と、エーテル体の私が対話を始めます。肉体を持った私は、社会の中で自己実現を目指し、肉体側の個性を生かし尽くそうとしてきましたが、18月で恒星にルーツを持つ私が息を吹き返し、19太陽では本質的自己が生き始めると、社会内自己という生き方と、本質的自己が合流します。

1+9=10で1の系統である19は、はじまりという意味を内包します。1で意識が射出され、10ではローカル環境の中に入り、19では本質的自己が表に出て来ようとします。まだこのカードの段階では、影にまわった星の子どもであり、星の子どもが成長すると光の側に出てきます。

10運命の輪に生きる神の子羊は、11力のカードで人間になろうとし、それは、19太陽を経て20審判で達成されます。11力では、時間の流れに乗り、自動性に任せ眠りの中にいる自分を目覚めさせようとし、哺乳動物の部分へ意識を向けましたが、この動物の眠れる本性は18月でおぞましい生き物として息を吹き返し、19太陽で小さな白い羊に変わります。神の子羊は、その本性を復活させることで、案内者となる小さな白い羊に変容します。

魚座21度は、肉体側の私とエーテル体側の私が合流し、本質的自己によって生きようとします。太陽の光が降り注ぐ場所で、子供が小さな白い羊に興味を持ち、追いかけることで、羊も子供も成長します。19太陽の絵柄の太陽は、中国人の召し使いのように、ガイドのような役割をしているのかもしれません。

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