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Never too late.でもおはやめに。

Never too lateという言葉がある。
英語の授業ではじめて聞いたときに「希望のある言葉だなー」と思ったのだけれど、正直、そうとも言えないことが多いのも現実だ。

たとえば自己肯定感は幼いころに培っておきたいし、味覚も大人になってからでは鍛えられないと聞いている。
音楽やスポーツは趣味にするならいいけど、プロになるなら物心つく前から馴染んでおきたい(内村航平選手なんて、0歳台から鉄棒の上でバランスを取っていたらしい。もちろんお母さんの支え付きで)。

もちろん、いまわたしがゼロからはじめても大丈夫、Never too lateと言えるものもある。若いうちにはじめるより時間も労力もかかるけど、毎日コツコツ続ければ死ぬまでには成し遂げられる、というものが。

だから、Never too lateと言えることは個人の努力でどうぞ、なのだけど、too lateになることは親として子どもに与えてあげたいなと思うのだ。

*  *  *

昨日、ツドイの今井さんと友人でママ仲間で編集ライターの徳瑠里香と神保町で飲んでいるとき、「あわよくばおじさん」の話になった。

「あわよくばおじさん」というのはそのネーミングのとおり、あわよくば口説こう・接触しようとしてくるおじさんのことだ。既婚未婚問わずちょっかいを出されている人が周りにけっこう多く、「あの人はやばい」と情報共有している。

それで、なぜあわよくばおじさんは誕生してしまうのだろう、という話になったのだけど……やっぱり「若いときにモテた経験が足りていないから」じゃないかと思うのだ。

それまで女性に対して一歩引いていた人が、40歳を過ぎて仕事で立場を与えられたり評価されるようになった。
それで、ぱーっと舞い上がってしまった結果、若い女性に手を出してしまうんじゃないかって。
女性のほうが立場も年齢も下で無下にされないから、いまの自分ならイケると思ってしまうんじゃないかって。
遅れてきた青春みたいに、はっちゃけてしまうんじゃないかって。

もちろんいろいろなタイプの「あわよくばおじさん」がいるのは承知しているけれど、おそらくそうなんじゃないかな……と感じる人は少なくない。そう考えると、ある程度は異性とちゃんと接点を持って青春時代を送るって大事な経験で、too lateになりかねないやつじゃないか、と思ったのだ。

おそらくこれは、本質的には男女問わず言えることだ。若いうちに尊重されたり大事にされたり肯定されたりした経験が少ないと、あとになって劣等感の反動がきてしまう気がする。もちろんその劣等感の反動をいかに昇華させるか、飼い慣らすかは個人の資質や環境に依るところも大きくて、そういう意味ではNever too lateの側面もあるのだけれど。

「息子の母親だったら多少はモテるように育てたいわ」なんて言いながら、ワイングラスを傾けた月曜の夜。息子がいたとして、年齢も立場も下の女の子を口説いて回るようなおじさんには育ってほしくないし、そんな人に口説かれる経験を娘にはさせたくないよ。


と書きながら、そういえば夫は男子校から大学の文学部に入ったとき、しばらく女子に対して敬語を使ってたってエピソードを思い出した。

……too lateじゃないことを祈る!

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