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惰性ではなく計算でもなく、ただ好奇心に従いこころ踊るままに財布を開く

ひらりささんのこのコラムを読んで、思いがけずハッとした。

……わたし最近、ちゃんと浪費してないかも!

「ちゃんと浪費」。日本語としてどうも不思議な佇まいだけれど、わたしなりに定義するならば「惰性ではなく、計算でもなく、ただ好奇心に従いこころ踊るままに財布を開くこと」だ。

惰性とは、「なにに使ってるかよくわからないけど、気づくとお金が減っている」こと。ほんとうに飲みたいからではなく、「習慣だから」「なんとなく」毎日コーヒーをスタバで買っちゃう、いわゆる「ラテ・マネー」がその代表だ。

計算は、はじめから投資のつもりというか「理性」でお金を使うこと。それは別にいいだろというひともいるだろうし、もちろん偉いことだと思う。けれど、わたしの考える「ちゃんとした浪費」じゃない。こころ踊ってないから。

それで最近を振り返って反省したのが、極力浪費しない、いわば「守りモード」に入っているということだ。娘を守らねば、という思いがカネの使い方にまで侵食したのか、お金に対しても守りに入って無意識に好奇心を押し殺していた気がする。

デパコスのパッケージ、声が漏れそうになるほどキラキラしてかわいいけど……どうせそんなに変わらないし、どこに行くわけじゃないし、コスメはプチプラでいっか。

あのつくり手さんのお皿ほしいけど……どうせ夫がお皿洗いのときに割りまくるし、もったいないや。もう少し生活が落ち着いたら、ゆっくり益子行こう。

いい生地のワンピースが欲しいけど、どうせ娘に米粒つけられまくるし、服はしばらく4桁までかなあ。あと伸縮性命。

エステもジムもマッサージも、習い事も。一事が万事「どうせ」「ま、いっか」「いまじゃない」を盾に節約モードだった。

……うーん、いや節約とはちょっと違うかもしれない。そもそも自分のためにどかんとお金を使う、という意思決定をする体力がなかったんだな。「使った分だけゴリゴリ稼ぐぜ!」という気力もエンプティ気味だった。まあ、産後一年、そりゃ無理もないかという感じでもあるけども。

世間一般では、もしくはFPさんに相談したら、「とてもすばらしい!」と褒められる生活態度だ。けれど、個人的に振り返るとどうもしみったれている。やばい、つまらん。

もちろん惰性でお金を垂れ流すのはよくないし、収支は無視してはならない。使ったら、その分しっかり働かなければならない。

ただ、「どうせ」「やっぱいいや」「やめとこ」で自分の欲を押し殺してばかりいたら、お金の使い方を忘れちゃう気がしてちょっと怖いのだ。「欲しい」と思えることも、そこで「自分のものにする」と意思決定することも、ある種の能力だから。

ときには忠実になってあげないと、欲も出なくなってしまう。「どうせ逃げられない」と諦め、もはや鎖を解かれてるのに脱走を試みようともしない象のように。

高いぞ、買っていいかな、でも欲しいぞ、と悩みまくり、自分に言い訳したり買う理由を見つけたりして、えいやー! と財布を開ける。そうやって自分を肥やしていくって、めっちゃ楽しい行為だ。

そしてそうやって意思決定と浪費を重ねていくことで、ときには失敗しつつも、自分を健康に肥らせる浪費ができる大人になるんだろうな。ひらりささんみたいに。

思い返せば直近の大浪費は……3年前、必要でもないのに「欲しい!!!」だけでミニクーパーを買ったやつかなあ。完全に「浪費」だけどめちゃめちゃうれしかったし、それで犬のテンコといろんなところに行ったのも幸せだったなー。

よし、欲に忠実に、浪費していこう。

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