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読むPodcast「田中健士郎の働き方ラジオ」#132 元プロミュージシャンのアトツギ物語

テーマ「セルフプロデュースの時代到来」のセミナーにパーソナリティが登壇し、トークセッションでご一緒したことがきっかけで髙木さんと知り合いました。初対面でお会いしたその日に、髙木さんの熱い語りに魅了され、すっかりファンになってしまったそうです。

Podcast「働き方ラジオ」ゲスト回のトークセッションを全3話でお届けします。

第1話では、株式会社髙木ビルのルーツから現在までの歴史を伺いました。プロミュージシャンとして「本気で生きること」を追求した経験が、東日本大震災後の経営危機に陥った老舗ビル会社を救います。


プロフィール

髙木 秀邦(たかぎ ひでくに)
株式会社 髙木ビル 代表取締役社長
1976年⽣まれ。早稲⽥⼤学商学部卒業後、プロのミュージシャンとして活動。その後、信託銀行系⼤⼿不動産仲介会社で営業を務めた後、祖⽗が1961年に興した株式会社髙木ビル⼊社。不動産を“ハードとしての箱”ではなく、“人が集まり、暮らし、コミュニケーションが生まれるもの”という理念のもと、3代⽬社⻑として、東京都中⼼に⾃社ビル・マンション・コワーキングスペースの設計開発から管理運営までを⼿がける。2023年5月には、フラグシップとなる「銀座髙木ビル」を竣工。木造と鉄骨造のハイブリット建築にチャレンジし、オフィスビルの新たな価値創出の先進的な事例となっている。

第二次世界大戦後、髙木家に残された10%の土地からビルは誕生した

田中 健士郎 (以下、田中): 髙木さんは、髙木ビル(創業62年)の3代目なんですね。ビルのメイン事業から、「BIRTH」という新しい価値のブランドがどうやって生まれたのかをお聞きしていきたいです。

髙木秀邦 (以下、髙木): 髙木ビルは私の祖父が1961年に創業しました。髙木家は東京都府中市出身で、いわゆる地主だったんですね。「土地の主と書いて地主」、いかにも悪そうな感じです(笑)。代々土地を広く所有させていただいていて、畑として耕してくださる方にお貸しして、取れたお米をいただくことが生業でした。歴史的な記録は残されていませんが、地主時代までさかのぼると、髙木の事業は300年くらい続いています。
ところが、祖父の代にある大事件が起きたんです。

田中: 何があったんですか?

髙木: 第二次世界大戦での敗戦です。
日本が敗戦国になり、アメリカからマッカーサーさんが来て「農地解放」が行われました。歴史的な背景において、農地が解放されて社会が良くなった面もあります。でも、土地を所有していた側からすると、「持っている農地を解放して、小作人にあげなさい」という話だったんです。

田中: 今まで貸していた土地を、あげなければいけないと。

髙木: アメリカ指導による富の分配や社会のフラット化などの説があります。祖父は所有地の90%を取られ、ほぼ破産状態になりました。しかし、その状況から祖父は立ち上がっていきました。

田中: どうやって立ち上がっていかれたんですか?

髙木: 駅前で貸家にしていたところや、都心で駐車場にしていた土地が残ったんです。農地ではない土地です。

「長年土地を守ってきた髙木家として、残された10%の土地からどう価値が作れるのか?どう資産として長く運用していけるか?」と祖父は考えるんですね。

そこで出た答えが、「ビルを作ろう」でした。

アトツギだから、子供の頃は気軽に夢を持てなかった

髙木: 少しずつ資金を貯めていき、土地を売買して分散した土地をまとめ、ビルを建てるための土地「種地」を作っていきました。立ち退きの裁判などをしながら、1本目のビルが完成したのは創業から10年後のこと。

こうして土地を所有していた髙木家が不動産業に転化したのが、現在の髙木ビルの事業の始まりです。

田中: まさに歴史を感じますね。
所有地の90%を取られても諦めず、10年、20年かけてビルを作ったってことですよね。

髙木: そうですね。今のビジネス界では毎日新しい情報や技術が生まれてきます。何十年もかけて1つのビルを建てるというのは、気の遠くなる話です。こうしてビルや会社が作られたことは、祖父自身の言葉や父が見ていた祖父の姿の話を通して、私の心の中に残っていますね。

田中: 髙木さんの中にちゃんと残っていて、受け継いでいる感覚なんですね。

髙木: 私は長男なので、「秀邦は跡取りじゃ」と、祖父にかわいがられてしまって。3代目として育てられ、子供の頃は気軽に夢を持てなかったんですよね。

田中: もう将来が決まっている感覚だったんですか?

髙木: そうなんです。小学校で「将来の夢」という作文が書けなくて。「何でもいいから書け」と怒られて、「何でもいいなら、夢じゃないじゃん!」って思ったのですが、とりあえずパイロットって書きました。でも、なりたくないから、できれば国内線がいいですとか書いたりして(笑)。

夢が持てない、何かに熱中することがない子供時代を過ごしました。ところが、高校時代にロックと出会ってしまったんです。

自己表現するというミュージシャンの経験が、営業マンとしても生かされた

髙木: 高校、大学時代は音楽にのめり込み、ロックにズブズブとハマっていきました。そのままの熱で、大学卒業と同時にミュージシャンとしてデビューもしました。

田中: すごい!プロミュージシャンとしてデビューを果たしたんですね。

髙木: でも、ミュージシャン生活5年くらいで、上手くいかずに大挫折しました。「不動産業なんて知るかい!」と、ギターを背負って家出したような感じでしたが、「家業に戻りたい」と父に謝りに行ったんです。

「ダメだ、お前みたいなヤツが来たら、会社が潰れる。出ていけ」、これが父の答えでした。

本当に目が覚めました。「そうだよな。社会人もやったことがないのに、今更父の元に戻るなんて。何を寝ぼけたことを言っているんだ」と。

それから初めて就職活動をして、不動産の世界に入っていきました。
まずは営業職として働き始めました。初めて家やマンションを買う方や、物件を売却したい方のお世話をしていて、ふとあることに気づいたんですよね。

田中: どんなことですか?

髙木: ミュージシャンって、働くというより365日音楽のことを考えて、そのためだけに生きているんだ、まるで起業家みたいだなって。

田中: 「働く」というより、「生きている」という感覚だったんですね。金銭的には厳しい時でも、一般的に働いている人より、生きている感覚が強いのかもしれませんね。

髙木: そうなんです。だから本気でした。メンバーとも胸ぐらをつかみ合って大ゲンカをする毎日でした。

田中: 熱いですね。

髙木: 今も「BIRTH」でいろいろな起業家の方とお話すると、ミュージシャン時代の感覚があるから共感が持てるんだと思います。

田中: 確かに起業家の方は、「生きる=働く」みたいな方が多いですよね。

髙木: 不動産の世界に入って思いました、「ミュージシャンのままの勢いで働くと、すごく働けてしまうな」と。大学卒業後、就職活動を経て入った会社で、研修を受けて営業マンになった人たちとは違った感覚です。フルスロットルする部分とそうでない部分は、自分なりにできたんじゃないかなと思います。

田中:なるほど。

髙木:営業マン時代に思っていたことがあって。

田中:どんなことですか?

髙木:「営業は、お客さんに喜んでもらうためにやることなんだ」ということです。音楽で言うと、お客さんの喜びのためにどういう音を出すか、みたいなことですね。

田中: お客さんの喜びを追求する、みたいな。

髙木: もちろん自己主張としての音も出します。自己主張でありながら、お客さんにも受け入れてもらうという両方がないと成り立たない。

田中: ミュージシャンはこの両方をかなり強度高くやる感じですよね。

髙木: この感覚で営業マンを捉えると、なぜこの物件をおすすめしてるのかをきちんと自分で表現したかったんですよね。

田中: 自己表現することは、確かに会社ではあまり教わりませんね。

髙木: ミュージシャンの夢が破れてボーっとなるかなと思いましたが、不動産営業のように数字を追うことや、歩合の率が高くてお給料(成果)としてちゃんと返ってくることが楽しくて。

田中: ミュージシャンとしてやってきたことが、つながったんですね。

経営者の役割に徹していたら、”自分から音が出ない”


髙木: 不動産の営業で表彰されるくらい結果を出せて、いろいろな経験が積めました。「そのぐらいできるなら、そろそろ来るか」と父が言ってくれて、髙木ビルに入社したのが、今から13年前です。入社はしたものの当時は周りから、「後の経営者」という目で見られていました。

管理会社の方や社内の管理部門からも、「前に出ないでくれ。後ろで構えていてほしい」と言われてしまって。

田中: そういう哲学なんですね。ビル会社たるもの、オーナーは前に出るもんじゃないと。

髙木: そうなんです。「オーナーは天守閣にいてくれたらいい。我々がお堀で守ります」という感じなんです。だから、最初はその役割に徹していました。

でも、ワクワクしないんですよね。

田中: おっ、きましたね、「ワクワクしない」。
プロミュージシャンや、営業で成績を出していた頃はあったはずのワクワクがないと。

髙木: そうなんです。それまでは自己表現をして喜んでもらうことが、すごく楽しかったんですよね。オーナーという役割に徹することで、自分が何も表現していない気がして。楽しいとも思えなくなって、悶々とする日々でした。

田中:動機が「やらなければいけない」になっていたんですね。

髙木: 「自分から音がでない」と次第に思うようになっていきました。
そんな時に大きな転機となったのが、2011年3月11日に起きた東日本大震災です。

「何のために生きているんだろう」「命って何なんだろう」「本当の意味で、未来って何だろう」と、あの時は日本人全員が深く考えたと思うんですよね。

僕たちビル会社にとっての震災は本当に厳しくて。

ビルは揺れる、電気は止まる。ガソリンがないので工事中の現場は工事ができない、海外からの資材が入ってこない。テナントで入ってくださっていた企業さんもポツリポツリといなくなっていきました。

ワクワクする!お客様と一緒に喜んで、楽しく成長できるって最高じゃん!

髙木: 毎月テナントさんが撤退していき、入ってくる方も当然いない。余震で揺れる。また解約です。来月はここが停電になります。次々とテナントさんが抜けていくのに、引き止める術がありませんでした。

「不動産業をこのままずっと続けるって、何が価値なんだろうか」「どうしたらお客さんに喜んで住んでもらえるんだろう」「どうしたら僕たちのビルを大事に思ってもらえるんだろう」と何年も苦悩しました。

そこで、今まで審査で落としていたようなベンチャー企業さんともお話してみました。いろいろと聞いているうちに、以前とは違って僕の方から「ぜひうちに来てくださいよ!」みたいな感じになるんです。

その時にちょうど「次世代型出世ビル」(以下、出世ビル)というプロジェクトを始めました。敷金を無料にしてみたり、保険に変えてみたり。

田中: 出世払いみたいなイメージですね。

髙木: そうです。ベンチャー企業の方々がとても喜んでくれて、契約が増えていきました。

入居して数ヶ月すると、「髙木さん!事業が上手くいきました!」「これだけ売れるようになりました!」と、自ら僕のところに報告に来てくれる方々が出てきたんです。

その時、ものすごくワクワクしたんですよね。そこで気づいたんです。

田中: 何に気づいたんですか?

髙木: 「うちのビルに来てくださった企業さんと、一緒に喜んで楽しく成長できるって最高じゃん!ビルじゃなくて、僕たちは人と人とのつながりを作っているんじゃないか」って。コミュニティを作っているような感覚です。

田中: おー、いいですね!

本当の価値は何?眠っていたミュージシャン魂が揺さぶられた瞬間

髙木: お客様をただの借主さんとして捉えるのではなく、共に成長する仲間だと思っているので、僕らは「ばんそう」と呼んでいて。走る伴走でもありますし、音楽で言う伴奏でもあります。

「入居してくださるお客様と共に同じ価値を求めて作っていくことが、ビルや不動産の世界の価値になったら楽しそう」という感覚になった時、僕の中に眠っていたミュージシャン魂がブワーッと溢れていきました。

田中: おー、表現者魂ですね!

髙木: 今では、インキュベーター※の「BIRTH」や、起業家支援のアカデミア、飲食業者さんとの協業、地域創生といった様々なことに取り組んでいて。髙木ビルに関わってくださるみなさんとつながって、コミュニティが作られていっています。

※新しいビジネスの起業家やベンチャー企業を支援する団体、組織

田中: 戦後に土地が10%まで減った時、どうしたら価値を作れるのだろうかと苦悩したおじい様と髙木さんの大震災後の話がリンクしますね。歴史を感じました。

髙木: まさにそうなんです。大震災後にものすごく考えたことがあって。

田中: どんなことを考えたんですか?

髙木: 「100年後、僕たちの不動産会社はどういう価値を持っているのか」ということです。

100年後だと、もしかして僕の孫が継いでいるかもしれない。僕の孫は何をやっているのかなと考えた時に、ふと祖父のことを思い出したんですよね。

「敗戦の時、僕と同じようなことを祖父は考えていたのかもしれないな」と思うと、運命的なものを感じますね。

田中:確かに。

髙木さんの中に眠っていた表現者魂と、お客さんに喜んでもらうワクワク感が復活したんですね。

髙木: そうですね。2016年に「出世ビル」が、2017年に「BIRTH」がスタート。新しい不動産の価値作りを始めて、現在7年目です。

田中:なるほどー。「いかに価値を生み出すか」と向き合ってきたことを、髙木ビルの歴史から感じました。

不動産業界って何もしなくてもお金が生まれるって思われがちですよね。そんな中、本当にそれが価値なんだろうか?と問い続けてきた会社なんだと、髙木さんの熱いお話を伺って改めて感じました。

(第2話に続く)

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「働き方ラジオ」準レギュラーのリサがお届けしました。2020年8月放送の第1回から聞き続けるうちに、情熱を持って働くということの解像度が上がり、働き方と生き方が変わった一人です。

音声コンテンツはあまり聞かないけれど文章なら読む方も多いのでは?
より多くの方々に届けたい!という思いから「読むPodcast働き方ラジオ」を発信しています。

ひっそりと一人で始めましたが、現在6名の編集室メンバーで制作を行っています。「働き方ラジオ」のファンが集まりました。思い入れのある放送回を、メンバーそれぞれの文章スタイルで思いを込めてお伝えしていきます。
「働き方ラジオ」を初めて知った方、聞いてみたくなった方もいるかもしれません。気になる方はこちらからどうぞ!声が伝える思いを受け取っていただけるのもうれしいなと思います。


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