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京一【京都・四条大宮】

京都での用事を終え、ひとまず宇治のアルペンアウトドアーズへ。春めいた空気に誘われてうっかり気持ちが弾むような明るいカラーのトレーナーやカットソーがほしくなってしまったのだ。無難なブラックじゃなくて、淡い色合いのアパレルがほしい。それからそろそろ使い古しすぎているアークテリクスのマカ2に代わるコンパクトショルダーもほしい。

多少高くても買ってしまおう、という気分にもなっていたのだが、やはり値段を見るとたじろいでしまう。なんせ数日後に神戸でふぐを食うという予定が舞い込んだもんだから。リーズナブルだと友人は言っていたが、ふぐにいくらかかるのかもよくわからない。まぁふぐを心置きなく楽しむには、懐をそれなりに保温しておく必要があるのは疑う余地なしだろう。

いろいろと物色するが、めちゃくちゃほしいというほどのものもなく、少し不貞腐れて手ぶらで店を後にする。いろんな尖りは削ぎ落としてきたが、服やカバンなどはいまだになかなか妥協して買えないのが難点だ。それで良いのかもしれないが。

何も買わなかったということは、このあとのランチの予算を上げられるということだ。ふぐのことも忘れてすっかりそんな気分になっていた。そんな豪勢なものを食べるつもりはないが、予算を決めず食べたかったもの、行きたかった店をアルペンの駐車場で食べログの保存リストを眺めながらおさらいしていく。

この日は昼に体があくとわかっていた。それでも帰って確定申告をしないといけないからがっつりは遊べない。風呂や観光は諦めるけど、ランチだけちゃんと食べよう。そんな感じだった。数日前には、これ以上おじさんになると多分食べられなくなるであろう二郎系ラーメンにチャレンジしようか、という気持ちだったが、前日に腹具合がイマイチだったこともあり、その気持ちは萎んでいた。

やや帰り道から離れて、わざわざ訪れるワクワク感もほしい。そうして思い当たったのが四条大宮にある「京一」だった。

京一は、昭和23年創業の歴史ある食堂で、大宮の交差点から100mほど北上したビルの1階にひっそり格納されている。「京一」というネーミングの自信と、このひっそり具合がアンバランスで良い。いわゆる戸建暖簾系の老舗食堂とは違った雰囲気を纏っていて、異様に惹きつけられる。

メニューに目を通しカツ丼を無性に食べたい気分に陥ったが、初来店だったので、名物のカレー中華を注文。日曜の14時頃の訪問となったが、まだまだ店内はたくさんの人で賑わっている。バイトの若い女性もはつらつとしていて、「食堂ってこうじゃないと」という空気が正しく充満している。

カレー中華が到着する。どんぶりいっぱいに注がれたカレー餡に、甘辛く煮られた牛肉が乗っかっている。麺はまだ見えない。迫力がありつつ、麺が見えないチラリズム感溢れるルックスが良い。早く啜りたい、と気持ちが高まっていく。

れんげにもったり絡みつく餡をまず啜る。来て良かった。すぐさま足をのばして正解だったことを知る。うまい。スパイシーでいて、甘辛。こうなればもうオートでれんげが走る。何度も何度もれんげで掬っては口に運ぶ。洗練された余所行きの味わいではなく、あなたはここにいて良いのだと包み込まれるような味わい。

こういうのを食べたかった。心が荒んだ夜や悲しいことがあったらこれを食べれば良い。スパイスも効いているからやさしいだけでなく、バシバシ背中を叩いて「がんばれよ」と荒々しく励まされているようだ。

牛肉はかなり甘めの味付けでそれもまた良い。口内上部を火傷したって構わず一心不乱に啜った。最後は、ライスを投入し、スープも完飲。この一杯に出会えてうれしい。

心は満ち足りたものの、困ったことにまだ食べられそうだ。

帰路につきながら、宮崎あおいのてりたまCMを思い返していた。春らしい可憐な透明感に惹かれて、てりたまを買いたいという気持ちが高まる。しかし、実際訪れたマックには暑苦しいドライブスルーの列ができていて辟易し、文字通りスルーする。ただし、食欲はスルーしきれない。数100m先のケンタッキーにあえなく滑り込み、チキンサンドとバジルレモンツイスター的なものを買って食べてしまうのであった。普段絶対にしない行動を起こさせる春の陽気ってのはこわい。今年の春は長く続きそうだ。

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