手放しとかないといけなかった。
手放しとかないといけなかった。
気づけば惰性で使い続けているものや、もういらないのに、捨てたって良いのに押し入れに文字通り押し込まれ、自分の所有物という肩書きを保っているものもあるだろう。もちろんそれ自体が必ずしも悪いことではないが、そのリスクは理解しておく必要があったと悔やんでいるのだ。
私はある出来事がきっかけで手放さないこと、惰性であることのおそろしさを知った。あの時はただぶらぶらと散歩していたら後頭部に吹き矢が突き刺さった心地だった。
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その出来事は社会人2年目のことだっただろうか。
私は数年前まで県庁に勤めていた。今はもう辞めている。県庁を辞めたのもまた、その出来事が身に降りかかったからなのかもしれない。きっと私は惰性で勤めることをおそれたのだ。
県庁に入庁して1、2年目の頃は同期の決まった仲間と集まっては頻繁に飲みに行き、時折、旅行にも出かけた。男女混合グループでありながら、男性陣が総じて牧歌的であり、なんのギラつきもなく、ただただ仲良く、気楽に遊んでいた。
自分で言うのもなんだが私は、仲間で集まるための小粋な店選びに一役買っていた。いや、別に対して詳しいわけではないが、グループの1人が大人数で集まるのに大衆ガヤガヤ立ち飲み屋を選ぶような天然系男子であることもあり、なんとなく男性陣が選んだ店が果たして女性陣の満足いくものかどうかを精査するフィルターの役割を自動的に担っていた。
「大衆ガヤガヤ立ち飲み」が私というフィルターを通すと「気取らない座りバル」に浄化される。もちろん大衆立ち飲みの良さは知っている。TPOの問題だ。とりあえず座ろう。
そんな感じで店選びや旅プランなどは私が立てることが結構あった。
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京都旅行に行こうという話になり、私は京都の街中にある一棟貸しの町家を予約した。大衆ガヤ立ち飲みチョイスマンと私が京都の大学に通っていたので、なんとなく旅のプランを2人で立てることになったのだが、全員の予想どおりほぼほぼ私がすべてのプランを立てることになった。
日中は嵐山などで観光を楽しみ、夜はこれまた私のおすすめの「常木屋」という居酒屋で食事を楽しんだ。
ご機嫌で町家に戻り、飲み直している時に、グループのとってもキュートな見た目だが、歯に衣着せず裸歯で話す系女子が「そういえば、みんなのメアドどんなの?」という話題を繰り出してきた。
町屋のしゃんとした空気が一変する。「私のメアドはこれです」と高らかに発表するイベントが突如始まったのである。そんな、そんなんしたらあかんやん。おいしいメシ、おしゃれ町家をさんざん披露させたあとにそんなんをしたら絶対あかんやん。
だって私のメアドのはじまりは「road-of-glory」なんだから。そんなんしたらあかんやん。はじめて携帯を買ったときに流行っていたロードオブメジャーと175Rのグローリーデイズを足したやつだもの。それも自分で決めるのが恥ずかしいからママに考えてもらったやつやもん。こんなことなら「soccer0531」にしておけば良かった。
発表を避けられるわけもなく、気づけばママに考えてもらった栄光の道を堂々と歩いた。ウイニングウォークと言っても良いだろう。センス系を装っていたのにいきなり身ぐるみ剥がされて裸で歩いていた。この後もみんなはこれまでと同じように接してくれていたが、きっと何かが変わってしまったに違いない。
使い方が違うかもしれないが、メアドは自ら深彫りしたデジタルタトゥーである。中年諸君よ、もうメアド使っていないのであれば、今すぐ消去しろ。いつ裸歯系女子に暴かれるかわからないぞ。
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