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されど鬱されど倖せコーヒーの底に


  私は最近、眠りにつく前に短いエッセーや短歌を自分に語りかけるように音読しています。それぞれに小さな物語があって、一日の見えない緊張を私から取り去ってくれる、、、そうやって安心して眠りに落ちます。

    
されど鬱されど倖せコーヒーの底にみえないものを飲み干す
      杉﨑恒夫歌集「食卓の音楽」より引用。
  
  昨夜、こころに響いた一首です。
そして以下は 今朝 私に浮かんだ 想いです。

 されど鬱 されど倖せ
 鬱であり 倖せも並走している
 鬱と言ってもいいし 倖せと言ってもいい
 でも決して鬱と倖せをスプーンで混ぜないでね
 
 コーヒーを飲みたいときって 少し鬱気分?
 苦さを美味しいと感じるのは まちがいなく倖せ感?
 カップの底をじっと見て飲んだことはないなあ
 みえないものがあるんだ
 
 紅茶は透明だからカップの底までキラキラ見える
 最後は飲み干すって感じじゃない。
 コーヒーのカップの底はみえない
 ゆっくり飲む人も多いだろうけれど
 最後は一気に飲み干す というのが 
 コーヒーには似合っていると私は思う。

 そういえば大昔、私がコーヒー中毒っぽかった時
 熱いコーヒーを ぐぐーっと 飲み干していたことが
 あったっけ。香りも味も全く覚えていないけれど
 熱さと喉を通過していく時の独特の気持ちよさがあった。

   「せっかく手間暇かけて淹れてくれたコーヒーを
   一気に飲むなんて 私には信じられない」
   と コーヒー好きの友人にいわれたことがある。

    友人が連れて行ってくれた 格式高そうなコーヒー専門店。
    曳きたての豆をゆっくりとネルで漉したコーヒーを
    ちびちび ちょびちょび
    目を細めながら飲んでいた友人。
    いかにもおいしそうだった。

 あーそうか
 飲み方は違うけれど 二人とも
 みえないなにかを 飲み干していたんだ と
 今になって 思う。
 毎日 共に葛藤しながら働いていたね。
 それは辛いと言えば辛かったし
 充実していたと言えば言えなくもない。
 そんな日々。

 今 私が飲み干している見えないものはなんだろう?
 もやっとしていて わからない
 杉﨑さんが飲み干していた見えないものは何だったのだろう?
 されど鬱 されど倖せ なのかしら
 わたしもきっと されど鬱 されど倖せ。 

介護と格闘していた頃、私の飴玉になってくれた二冊の歌集。ありがとう。

  

  歌人の杉﨑恒夫さんのことと彼の歌集を知ったのは、数年前に友人の誘いで短歌の「歌会」に参加していた頃のことです。文字通り短歌の「たの字」も知らない私でしたが、知らないことは大胆に楽しいことでもあり「歌会」は月一の楽しみでした。

  歌人の方が毎回 おすすめの歌集を何冊か持ってきてくださるのですが、その中にあったのが杉﨑恒夫さんの歌集でした。その時借りたのは「パン屋のパンセ」。なんとなく聞いたことのあるようなタイトル。しかも美味しそう!当時認知症の母の在宅介護に明け暮れていた私は、目の前の喜びに飢えていて「美味しそう」な歌集が好きでした。

  杉﨑さんの歌は、90歳で亡くなった杉﨑さんの晩年が故の軽さおちゃめさユーモアがいっぱい。そして女性誌のグリーンな暮らしのグラビアを見るようなワクワク感がありました。実は杉﨑さんがこれから迎える死の事を想った歌が多いのですけれど・・・。甘くてどこか涙の味がする。背伸びをして老いを詠んでみた「少年」の歌のようにも感じました。
  
  そんな歌に惹かれて、一日の仕事と介護を終えた私は毎晩のように歌集を読みました。へとへとになった心身をふわ~っと軽くしてくれる歌の数々は、一日をねぎらってくれる飴玉のようでした。

  「わたくしが鳥となるとき夕焼けの硝子とびらはつぎつぎ開く」
      杉﨑恒夫 「パン屋のパンセ」より引用

  「天に召される」過程をこんな風に想い描く杉﨑さんの歌に希望が湧きました。大好きな一首です。

  「パン屋のパンセ」 (没後発刊)より以前に出版されていた歌集「食卓の音楽」が没後に再刊されていることを知り、またまた「食卓」に導かれるように手にしたのでした。最近は「食卓の音楽」をよく読みます。

「されど鬱されど倖せコーヒーの底にみえないものを飲み干す」

  今日は一日、この一首を味わい尽くしましょう。    
  
 今朝の淹れたてのコーヒーは「美味しい!」
香りよくまろやかで、じわ~っと倖せ感が湧いてきました。
私の体調もよさそうです。


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