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『パラサイト 半地下の家族』を観て、わしも考えた


映画『パラサイト 半地下の家族』を観た。あまりの面白さに、2回も。


1回目は予想を遥かに上回る鬱エンディングにわりとダメージ受けたんだけど、2回目は特別誰かに感情移入するわけでもなく、始終フラットな視点でストーリーを俯瞰することができた。その結果、色々と新しい気づきがあったので、備忘録的な意味合いも含めて考察を書いていこうと思う。

※ネタバレ含む



まず簡単にあらすじを説明すると、

一家全員無職の「半地下の家族」が、地上の高台に住む富裕層の家庭にジワジワと寄生(パラサイト)し、生活を潤わせていく———

というストーリー。

監督であるポン・ジュノ氏が、公開前に「絶対にネタバレやめて」と呼び掛けていたのも納得だった。物語は想像の斜め上を行く展開で、意外な結末を迎える。


巷では昨年大ヒットの『ジョーカー』同様、“経済格差”をテーマにした社会映画だと言われているが、1つ大きく異なる点があった。

分かりやすく【富裕層=悪】という表現がされ、自ずと主人公への同情心を煽るストーリー設計の『ジョーカー』に対し、『パラサイト』に“悪者”は登場しない。逆に言えば、全員加害者であり、被害者だ。


「自分たちだけが気持ち良く生活しようとすると、思わぬところで摩擦が生まれ、結果皆それぞれ大きな代償を支払うことになる」


そんなメッセージ性を感じる映画だった。



富裕層と貧困層。悪意はなくとも“摩擦”は生じてしまうもの

前述の通り、これといった悪者が誰一人として出てこないのが『パラサイト』の特徴だ。全編を通して“臭い”がキーワードにあり、富裕層・パク一家は、その“貧困層の臭い”を半地下の家族・キム一家(特に父ギテク)に感じながらも、直接口に出すことはしない。むしろ、パク一家の主・ドンイクは自分の専属ドライバーを務めるギテクに敬意を表しているほどだ。

けれども、ギテクは自分のいないところで「あの臭いさえなければな…」とドンイクに陰口を叩かれていることを知り、それまで気づいていなかったパク夫妻の細かな仕草(ギテクの臭いに顔をしかめるなど)が徐々に気になり始める。

目に見えるステータスの違いはあれど、同じ目線で接してくれていると信じていたギテク。物語終盤でそれが錯覚だったことに気づき、沸々と湧き上がった怒りが頂点に達して、終いにはドンイクを刺し殺してしまう。



このクライマックスシーンの見せ方は本当に絶妙で、「おい、ドンイク!また悪臭に鼻をつまんだな!」とドンイクの仕草に嫌悪感を抱くこともなければ、「行け、ギテク!やっちまえ!」とギテクに肩入れする気持ちにもならない。

ただお互いのかけ離れた社会階級、あるいはそのギャップが危害となり、自分の意図しないところで相手を不愉快にさせてしまったがゆえの結末なのだ。

観ている側としても、最終的には「あ~あ、やっちゃった…」という虚無感だけが残り、『ジョーカー』にあった“ダークヒーロー誕生のカタルシス”みたいなものは一切ない。「救いのない映画」とは、まさにこのことだろう。




「半地下の家族」も、立派な加害者である

クライマックスのシーン以降は、半地下の家族・キム一家にのみスポットライトが当てられる。一方、富裕層・パク一家は主・ドンイクが殺され、息子のダソンはショックで失神したというのに、その後のエピソードは一切語られない(まぁ主役は半地下の家族なので当然だが)。

話の流れから、最後はどうしてもキム一家に同情心が芽生えてしまうのだが、これは1回目と2回目で大きな差があった。冷静になって考えてみると、キム一家もまあまあ悪い。


そもそも、キム一家の罪はギテクによるドンイク殺害のみに留まらない。パク一家に寄生範囲を広げていく過程で、もともと家政婦として働いていたムングァンと、その夫であるグンセの生活を崩壊させたのだ。



印象的なのが、洪水によって半地下の家が浸水してしまうシーン。キム一家の長男・ギウは、ズブ濡れになった自分の足元に目を落とす。

「あ、そういえば俺、“半地下の人間”だったんだ…」

「いくら繕っても、所詮貧しさからは逃れられていないんだ…」


現実を突きつけられ悲しみに暮れるギウの表情から、そんな思いが読み取れる。



注目すべきなのは、そのあとのシーン。

浸水で苦しむキム一家から場面は一転し、パク家の暗い地下室へ。

ロープで縛られ身動きが取れなくなったグンセは悲鳴を上げ、階段から蹴り落されたムングァンは、もはや虫の息。キム一家の面々にやられ、生死の境をさまよう“最下層の2人”の姿が映し出される。

つまりこのシーン、キム一家は災害に苦しみながらも、彼らは彼らで自分たちにとって不都合な人間を痛めつけ奈落の底に突き落としているのだと、改めてその事実を認識させてくれる極めて重要な場面なのだ。



初めて観たときは、なかなかどうしてキム一家に感情移入せざるを得なかったんだが、ストーリー全体を把握したうえでもう一度見てみると、「キム一家も結構悪いな…」とも思えてしまう。でも、それらの悪事も自分たちが生き延びる上では仕方のなかったこと———


そう考えると、やっぱり原因の所在は“格差社会”にあるのだろうなと。



下の者の苦労、恵まれなさに寄り添うことができない富裕層

生きることに精一杯、「奪われまい」と常に余裕が持てない貧困層



負の連鎖しか生まない現代社会に警鐘を鳴らす、意義ある作品だと思う。


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