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#2 最近流行りの “多様性”  の話

中の人のおはなし。
小学2年生のとき、48色の色鉛筆が宝物でした。

ピンク、水色、薄紫、きいろ…好きな色はどんどん削れていくのに、
「白」だけが全く減らない……せっかく使ってみても、白い画用紙には何も描けません。
「白なんて塗る場所がないじゃない、いらない」と、
拗ねてたことを覚えています。笑

昨日の記事に書かせてもらった「多様性」
最近よく聞きますよね。ある種の、トレンドワード。
色鉛筆みたいに、それぞれ違った個性があるんだから
尊重し合えればいいじゃない、と言う考えですね🌱

🤔多様性っていつから始まったの?🌱

よく考えれば「多様な個性」自体は全然新しいものではなく、
この世界にずっと存在してきたものですよね🌱

人が増えて、文字✏️が生まれて、言葉🗣が生まれて、
職業が多様になって、文化が生まれて、服ができて…
自分を表現する手段が増えて、みんなの個性が“見える化”されてきました👀

そう、個性は表現手段ができる前から、個々の中にあったもの。
もしかしたら昔の方が発想が自由で、強烈な個性が揃っていたかもしれません…💡


今こそ色んな手段で、自由に表現できるはずなのに、
私たちは勝手な枠組みをたくさん作ってしまいました。
男の子=黒のランドセル、女の子=赤いランドセル、みたいに。

苗子の中の人は30年しか生きていないけれど、
誰かが作った “世の中のガイドライン” に沿わないと
「おかしな人」に認定されてしまう社会だったように思います。
テレビや新聞を見ていると、
性的マイノリティや障がいに対して、いまだに差別もあるようです。

でも、本当にその人たちは「おかしい」んでしょうか?🤔💭

ピンクが好きな人、黄色が好きな人、青が好きな人がいるように、
 人と違うものを好きと言うのは「変」でしょうか?
 体や心の「独自性」「稀少性」は、不利にしかならないんでしょうか?
 そもそも「普通」ってなんだろう?

人類が生まれてから続いてきたこの“ねじれ”に、
今、ようやく私たちが気づいたんです。
時代の変化に立ち会う私たちができることは、
議論すること、想像すること、考えること。
無意識な差別はないだろうか。どうしたら窮屈を強いらず、みんな笑って生きられるかな…これに尽きるんじゃないでしょうか🌱


8歳の私が要らないと思っていた白の色鉛筆は、
黒い画用紙に夜空を描く時、一際美しく星を描かせてくれました。
キャンバスの色が変われば、社会が変われば。救えるもの、描けるもの、作れるものが変わってくると信じています😌

社長室では多様な個人を尊重する取り組みを行っているため、
「自分にはあんまり関係ないかも」と思うこともあるかもしれません。
でも同じ時代を生きているからこそ繋がっている部分が必ずあって、考えられること、救えるものがあるんです。

皆さんと一緒に考えていきたいと思っているので、
社長室の取り組み、引き続きチェックしてくださいませ!


余談)
白の可能性に驚いていた私に
「黒に混ざったとき、一番強い色は“白”なのよ」と母が教えてくれました。
画用紙だと何も描けないのに、黒を変える力があるんだ…と驚きました。
どんな色もどんな個性も強みがあり、弱点もある。それを一人ひとりが遠慮なく出して大切にできたらもっといいチームワークが育めるんじゃないかなと思います🌱