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書くと「見える」世界がある

あっという間に1月も終わります。

そうそう、あっという間、といえば「すみあそび」の時間も体験された方はわかると思うのですが、書くまでは悩んだりしている方も、書き始めるとあっという間、という感覚を味わえます。 時間は平等に刻まれているはずなのに、なぜ「長い」「短い」などと感じるのでしょう。それは、わたしたちの感覚は常に「主観的」だからなんですね。自分の感じたことを基本に、さまざまな事柄を覚え、生きているのが人間。だからこそ、「感じ方の違い」というのが当然あるはずなのですが、自分にとっては当たり前なので相手も同じように感じていると思い込む、、、。

自分が見ているように、他者がそれを見ているわけではない、というのはさまざまなところで「聞いた」ことがあると思うし、「言われた」ことがあると思います。だから、「みんな違ってみんないいんだ」というのは、まさに正論なのですが、それを体感して、「ああ、やっぱり違うんだ」と納得することができるかどうかはまた別の話です。

やはり人は、自分が信じている世界が正しいし、それ以外のことをしている人を見ると、「えー、信じられない!」と驚いたり、「あなたとはちがう」と拒絶したり、を繰り返して自分の世界を守ろうとします。

「書道」そのものに対しても、「書道とはこういうものである」という考えがある方は、「自由でいいなんて信じられない」と思うし、「基礎基本をしっかりやらないとダメなんだ」と思い込んでいると、「何を書いてもいい」という状態そのものを受け入れることができません。

大事なのは、「自分の習慣、感覚以外のものに出会ったとき、自分自身がどんな反応をするのか」を知っておく、ということそのものです。そのあたりの感覚を味わいやすいのが、すみあそびの現場かもしれません。

「思っていたより、自分自身が枠を決めていたことに気がついた」

さて、あなたは今、どんな枠の中に入っているのでしょうか。
自分一人で気がつくことはとても、難しいのです。
人は誰かに出会って初めて、自分の「多様さ」に気がつくのかもしれません。


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