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【新人賞所感】「短歌研究新人賞に、30首連作を応募したことがある人」になってしまったこと、など11の所感

1.

さっき、短歌研究新人賞に作品を応募した。
あとは短歌研究社に作品が届くまでのあいだに、なんらかしらトラブルが起きてしまうことがないように願うばかりだ。

とにかくこの連作の最終稿が出来上がったときには、くぅ~疲れましたw これにて完結です!って気持ちになった。

2.

新人賞に限らず、連作を作ろうとするときはいつも脳内に憧れの歌人を想像し、あるいは、実際に彼らの歌集を読んでから筆を進める。具体的には中澤系・伊舎堂仁・佐クマサトシ・鈴木ちはねなど。

しかし、ぼくの心からの崇拝の対象である彼らだが、いざというとき致命的に参考にならない。なぜなら彼らの短歌からは作歌における方法論が見えなすぎる。毎回毎回、彼らみたいなことは「しよう」と思ってできるものではないな、ってなる。

ちょうど彼らがお笑いにおけるラーメンズみたいなものだとすれば。ぼくは自分の脳みそのつくりからすれば、どうしてもラーメンズにはなれない。最近の作歌態度としては、ラーメンズへの憧れを公言してコントを作っている東京03とかかが屋みたいになれたらなと思っている(もちろん東京03とかかが屋にならなれる、という傲慢な主張を表明するものではない。)

ぼくが短歌研究新人賞という賞を割と信頼しているいちばんの理由が、ぼくにとってのラーメンズである伊舎堂仁や佐クマサトシ(当時は佐久間慧)を、過去に最終候補にまで残していることだ。

歌壇賞と角川短歌賞もその歴史と、そこに並ぶ作品の面白さ・価値を十二分に理解し尊敬したうえで、あくまで【いまの】【渓響として】は、短歌研究新人賞と笹井宏之賞に絞って挑んでいこうと思う。(まず体力的に新人賞に向けた短歌を八〇首/年 のペースでつくることすら、自信がないわけで…)

3.

つくば現代短歌会の存在なしに、今回応募できるまでに至ることはなかったということをはっきり明記しておきたい。とりわけ短歌の実作をするにあたっては歌人・小池耕と歌人・福田六個のふたりの存在はあまりに大きかった。それぞれの短歌における設計思想の細かい部分はたぶん全然違えど、現代短歌への面白がり方にどこか共通項があるのだと思っている。ふたりが割と初期のころから共通してぼくの短歌のことを面白がってくれたのが素直に嬉しかったし、短歌を続けるモチベにつながった。

つく短での連作評会では、ほかの連作に読む時間を割いてしまって、ふたりがつくる連作への僕の愛をあまり伝えきれなかったのが悔しかった。

4.

文芸春秋の YouTube に投稿されてた「短歌のあなた」より。ちょっと前の動画だけど最近知った。穂村弘と鈴木ジェロニモの対談。短歌とお笑いが好きだから鈴木ジェロニモを面白がっちゃうのは、やや単純すぎるのだろうか。それでも彼のチャンネルの「説明」シリーズは面白いなぁと思ってみてしまうし、彼のつくる短歌ももちろん、

冷蔵庫の6Pチーズ傾けて2P残っているときの音
もう一枚撮ります、の後それぞれのピースサインが弛緩して待つ

とか、動画になかったやつでいうと、

海老天がはみ出している印象を強めるために乗せられたふた
語学学校がサムギョプサル屋になっていた入り口の下駄箱はそのまま

とかいちいちおもろい。

短歌にハマった最初期に知った歌人だったこともあって、鈴木ジェロニモから受けてきた影響が実は割と大きい。ウケをとりにいく短歌をつくるんだったら、見つけてくるあるあるがこれくらいちゃんと面白くないとだめだよな~、なんて思いつつ。

5.

鈴木ジェロニモと穂村弘の対談の動画を見ていると、ほむほむのジェロニモ短歌への面白がり方が見ていてめっちゃいい。当時の歌壇の流れのなかで〈サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい〉(穂村弘)〈にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった〉(加藤治郎)みたいな短歌を平然とやってのけてきたニューウェーブ出身であることを考えれば、ある意味必然ではあるのかもしれないけれど、こういう面白がり方ができる人が歌壇側にいる今の短歌界ってほんといいよなって。

(かなり古いツイートだけど)

永井祐が北溟短歌賞を通して歌壇に登場したとき、たとえば島田修三などから「トホホな歌」と語られるなどして否定的な文脈で捉えられてきた歴史がある。ここで、永井祐を次席においた北溟短歌賞の選者が、ほかでもなく穂村弘水原紫苑であったことを忘れてはいけない。

短歌研究新人賞に向き合うシーズンが終わって、しばらくはまた純粋に歌集を楽しむ時期に入りたいと思う。何から読もうか、と思っていたけれど、ひとまず北溟短歌賞の文脈に登場する歌人を楽しもう。受賞の今橋愛永井祐とともに次席の石川美南、そのほか北溟短歌賞の応募欄に並ぶ兵庫ユカ斉藤斎藤など。穂村弘の歌集も、そのいくつかはもちろん読んだけれど、この時期にもっと真剣に作品に触れていきたい。水原紫苑もまだ読んだことないな。ゴリゴリの古典派とのことで、楽しめるかわかんないけど、まあ食わず嫌いせず楽しんでみよう

6.

北溟短歌の話につづき、ニューウェーブの歴史についてもう一つ。

2018年に名古屋で行われた「現代短歌シンポジウム ニューウェーブ30年」。シンポジウムの冒頭では、「ニューウェーブの代表歌人は荻原裕幸・加藤治郎・西田政史・穂村弘」であることを西田を除く3人が断定した。ここまではまあ無理はない。ただ同会のなかで千葉聡の「ニューウェーブで男性4人の名前はあがりますが、女性歌人で同じように考えられる人はいませんか」という質問に対しては、荻原が「論じられてないのでいません。それで終わりです」とだけ解答をした。

東直子は同会に出席し、終盤には女性歌人がニューウェーブの文脈において現れないことについて疑問視する旨を伝え、再度話題を挙げた。その場では加藤・穂村から「女性歌人をニューウェーブに入れる必要はない、歴史的な定義からいって無理だ」というような発言が、また後日加藤はブログのなかで「前衛短歌にも、葛原妙子や山中智恵子は入らなかった。女性はこういう時代の括りにとらわれない、自由に天翔ける存在だから。」と述べた。

三者からの一連の応答は、実際の発言から僕らが知ることができるに至る過程における恣意的な改ざんがあるのではないかと疑ってしまうほどには、典型的なかなり残念な内容である。

歌壇に少しでも足をつっこもうとしている限り、そして自身がある事情からマイノリティ側の人間である事情も踏まえて、歌壇における排除の論理については割と問題意識をもって見ていきたいと思う。

(※ とはいえシンポジウムが行われたのが2018年。この5・6年の間にもひとびとの意識は指数関数的に変化し続けている。問題意識をそれほど持たなくてもいいような環境にいまはなっているのではないかと期待してしまう)

『ねむらない樹』vol.2 の特集「ニューウェーブ再考」のなかで、このシンポジウムでの流れをうけて平岡直子は批評文・「ほかでもなく」を寄稿している。ニューウェーブが「ほかでもなく」、塚本邦雄のファンクラブにすぎないとして、という仮定からはじまる本文はかなり刺激的でありつつも、女性歌人の排除の論理について過度に悲観的でなく考察する様子が心強かった。

7.

第三十五回 歌壇賞の発表号である「歌壇」2月号を手に入れるまでには、かなりの日数がかかった。自宅付近、大学付近、祖父母宅の近くなど計6つくらいの書店を回っても、驚くほど「歌壇」が売ってない!!

最終的に、受験生のときにも(ほとんどの参考書が揃っているので)かなりお世話になった「くまざわ書店 錦糸町店」にて、それを手に入れることができた。この店はやっぱり品揃えいいんだなぁ~と思っていたら、どうやら『歌壇』と『短歌』は入れてるが、『短歌研究』は仕入れてないとのこと。

『短歌研究』『短歌』『歌壇』『ねむらない樹』『現代短歌』 すべてが揃っている書店のイデアを探す旅は、終わらない。後半2つはかなり鬼門。

8.

それにしても「ハーフ・プリズム」。
いやぁあああ、すごい。早月さんのツイートのおかげで、『歌壇』を手に入れるまえに一首目の〈しなやかなめまいがあって手をついた場所から果樹が広がっていく〉のことは知っていた。これは、連作の一首目としてホントに凄い短歌だと思う。

一首目、について。

前からうっすら、連作の一首目に何をもってくるかっておもろいよなと思ってしまう。なるほどこの作者はこの短歌を一首目にしたんだなということのおもしろみ。
中澤系の歌集「uta0001.txt」の最初の最初の2首が、

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって
いや死だよ僕たちの手に渡されたものはたしかに癒しではなく

なのって結構えぐいんだよなって前から思ってて。一首目はめっちゃ一首目だし、二首目はめっちゃ二首目だから。

今回自分が短歌研究に応募した作品の最初の二首も、ほんのちょっとだけ一首目っぽさ、二首目っぽさを意識してみた。自分のなかでいまこの感覚はまったく言語化できていなくて、完全に感覚だけになってしまっているので、うまいことできている自信はあまりないけど。

「ハーフ・プリズム」から、好きな歌を二首。

約束のたったひとつもない朝に呼ばれたように行く美術館
これもひとつの越境だから車窓から川を見下ろすときには息を

/早月くら「ハーフ・プリズム」

「ハーフ・プリズム」については言いたいことはこまごまとあるんだけれど、つくば現代短歌会の今度の勉強会で僕がハーフ・プリズムについて話す予定があって、そこで色々言うつもりなので、この note にはとりあえずかかない。

9.

「ねむらない樹」の最新号の情報がついに出た。

永井亘と奥村鼓太郎の論考、気になる。「特集・わたしの短歌入門」ってことは、ここに書いてる人たちみんながそれぞれ短歌入門エッセイを綴るってことかな。面白そう。好きな歌人多い。榊原紘特集も良いですね~。ほんで笹井賞よ。白野さん楽しみ。去年の笹井賞の〈どうしても傘をパクられる生活 パクられ甲斐のある傘を買う〉とかおもろすぎるもんな~。

それと、今回から選考委員に入る山崎聡子と山田航の視点、というのもなかなか楽しみ。
染野太朗は、「日々のクオリア」で 2018年 に連載してた一首評のピックアップしてくる短歌がわりと好みのものが多くて、それで信用してた側面があった。ただ去年の秋ごろから、山田航の『桜前線開架宣言』を読んでいたので山田航にも割と興味がある。山崎聡子はシンプルにつくる短歌がおもろい人なので、いい選考委員になるだろう。

10.

はじめての短歌研究新人賞ということで、いまの自分の連作は客観的に考えても最終選考まで行けるほどのパワーは確実にないので、もしかして5首掲載とか行かせていただけないだろうか、くらいは本気で祈っている。短歌研究新人賞の発表号は6月下旬発売。長い。ながい。永井祐。

短歌研究新人賞の結果のことを考え続けると、気持ちが持たなくなるので、しばらくは第7回笹井宏之賞に照準を合わせて、笹井宏之賞のことばっかり考える。つぎは五〇首。五〇首そろえられる自信は、今のところゼロ。

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