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『根矢涼香、映画監督になる。』を観たせいで眠れなくなってる。

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芹明香はカメラに向かって「なんや逆らいたいんや」と宣言したが、サード助監督・根矢涼香は「だって…」と逆らおうした瞬間、チーフ助監督に台本で頭を叩かれる。

「お前はハイとスイマセンだけ言ってりゃいいの!」

32歳、確定申告の際は職業欄に「映像ディレクター」と書くようになった。24歳の時に初めてついた現場で、先輩スタッフから言われた言葉が蘇る。

「サードに人権無いからね」

苦笑いで返すしかなかったあの言葉は、ブラックジョークではなくて、彼なりの「逃げろ」というメッセージだったのかもしれないと気づくまで、たいした時間はかからなかった。殴られ、蹴られ、人格を否定されていい歳の男が人前で泣いた。それも、今となっては良い思い出…なんかでは全くなく、マジでクソな思い出。

そんな地獄のような日々の中に、この仕事をしていなかったら味わえない夢のような時間がごく稀にあるからタチが悪い。大好きな映画のカメラマンが喫煙所で話す撮影の裏話、憧れの俳優に名前を呼ばれて質問され、うまく答えられた時に言われる「ありがと」、制作ハイエースの助手席で進行と互いの愚痴を言い合う帰り道。そんな数々の思い出は宝物だが、しなくていい苦労、受けなくていい暴力、味合わなくていい屈辱も山ほどあった。みんなが「そういうもんだ」と言っていたから諦めていた。どうせ人権無いし。

そんな思い出したくもないあの頃の感情が蘇る。ファーストカットの根矢涼香の目は「ふてってんじゃねえ」と殴られた俺の目と同じだった。顔を濡らす液体は、霧吹きでメイク部がかけた水なんかじゃなく、汗と涙にしか見えなかった。

ある日、マンションの一室でドラマの撮影をしていた。いつものようにヘマをやらかしたところ、セカンド助監督に「お前いらない」と言われ、カチンコを取り上げられてベランダへ放り出された。
ベランダのはきだし窓は外から遮蔽用の黒ビニールで隙間なく覆われており、中の様子は見えない。中から聞こえてくる台詞を叫ぶ俳優は、僕が好きな監督の映画やVシネによく出演している名バイプレーヤーだった。スタッフの多くがその俳優を知らなかったが、僕は密かに仕事ができるのを楽しみにしていた。真っ黒のビニールを見ていることになるとは思わなかった。これだったら映画のスクリーンでも見てた方がマシだな、と思って涙が出てきた。

現場が休憩に入り、ベランダの扉が開いて、僕を中に入れてくれたのは、あのバイプレーヤーだった。彼は僕の潤んだ目を見て笑うと、こう言った。

「もうこんな現場飛んじゃえよ。自主映画撮っちゃえよ」

数年後、僕は自分が監督する映画に、彼をキャスティングした。顔合わせの時にその話をしたら「全然覚えてねー」と笑い飛ばされたけれど。

あの時、飛ばなくて良かった、と思ったまま死ねるかどうかはまだ分からない。

スクリーンの中の根矢涼香に、あの人と同じ言葉を投げかけたい。「こんな現場飛んじゃえよ。スマホで映画撮っちゃえよ。絶対そっちの方が、あんな園子温くずれが撮るゾンビ映画より面白いから」

実際、『根矢涼香、映画監督になる。』のハイライトは、あの引きじりが全くないマンションの一室で撮られた"映像"だった。本作の監督は、主演女優の名前を役名にして、彼女の出世作となった映画の舞台裏を思わせるシチュエーションで、スマホを使って"映画"から飛ぼうとしたんじゃないか。その試みは成功していたように思う。

しかし、残念ながら、やっぱり主演女優と映画監督は“映画”に帰結する。ラストに彼女がとる決断は「成長」なんかじゃなくて「依存」の始まりかもしれない。タイトルの「映画監督」を「パチプロ」に置き換えてみれば良い。意地悪な見方ではなく、同じことだと思う。

先日見たテレビで、とあるベテラン俳優が、焚き火に当たりながらこんなことを言っていた。

「最初に入った現場で助監督のカチンコの音を聞いた瞬間、なんか知んないけど『あ、俺はこの仕事を一生やるんだ』って思ったんですよね‥」

そのカチンコの音は、夢への第一歩か、呪いの始まりか、今はまだ分からない。

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