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本当にやりたいことをみつけたい③│起業2年目

「大変じゃなかった」といえば嘘になる。でも、思い出に残っていることは、いつも険しい方の道で起きた出来事のように思う。
「大変だったよ。でも、やって本当に良かった」。そういう人生を、これからも生きていきたいなぁ。

ブランディングを生業に起業して3年目を向かえる私haruが、ビジネスを一から再構築して、新たなスタートを始める過程を、そのまんまお届けします。

初見の方は、上記から読むとわかりやすいかもです。
今回は、起業2年目(2022年1月~)のことを書いていきます。



あきらめない、冬

2021年の10月あたりから、フリーの仕事を縮小して派遣で働くようになり、毎日平和な暮らしをしていました。が、心の中は焦るばかり。
「自分の気持ちを整理しないと、あたまが爆発してまう!」と思って、この頃から、話しかけるというか、吐きだすように日記を始めました。

2022年1月8日
自分の好きかってにするのと、人をまきこむのは違うよ。自分の世界は自分でつくってる。本当にそのことを痛感するばかり。じゃあ今の私の世界は?過去の自分の罪の意識をまだ背負って?「このままが平和」って思いこむ世界?ちがうだろ。これが行動できる怒りのエネルギーだ。
「私の人生はこうじゃない」毎日与えて、忘れて、捨てて、愛して、生きる日々を自分でつくりあげたい。作戦変更、3月までに独り立ちする準備する。その目標が明確になった出来事だよ、ありがとう。

働いていた職場の雰囲気がどうにも私と合わず、葛藤していました。収入は安定してたかもしれませんが、違う意味でストレスがでてしまっていた(笑)

2022年1月14日
自分を表現できない。こんなにも辛いの。がまんなんだ。
私は多くの人にみてほしい、知ってほしいじゃない。たくさんの人に役に立つ自信がある。そうぞうしよう、前へすすもう。傷ついたことはちゃんと知ってるよ。受け止めて忘れようよ。

当時書いていた内容は、だいたいこんな感じ。「つらい」ことと「でもやるんだ」がセットになっていました。落ち込んでもあきらめない姿勢はある。でも、どうすればまた軌道に乗せられるのかのイメージが沸かない。そのことが、さらに焦りをよんでいました。

そんな私を「こっちにおもしろいことがあるぞ」と救ってくれたヒーローと出会います。何気なくYouTubeを見ていてよかった(笑)
糸井重里さんです。

以前から知ってはいたものの、ここまでしっかり糸井さんのお話しを聞くのは初めて。何を言ったから救われた、というものではなくって、糸井さんが語る「こういうことを大事に生きた方が、おもしろいよね」のお話しが、当時の私にはかなり心強かった。「いいよ、そのままいっちゃえ」と背中を押してもらえたような出会いでした。
生きる上で大切にしていきたいことが全部つまっている気がして、何度も何度も、染み込ませるように聞きました。


芽吹く、春

私の、仕事に対する考え方が変わりました。
いままでは、「死ぬまでに叶えたい光景」と「目先のやりたいこと」が交差していて、建設的な思考を持ち合わせていなかったり、自分の体調や気分が置いてけぼりになっていました。
でも、糸井さんと(一方的に)出会って、ほぼ日のことを語っている動画など、糸井マインドに関するものはどんどん取り込んだ。すると、「一人で考えてるだけでもワクワクすること」を、探すコツみたいなアンテナが少しずつ育ってきました。

そのワクワクの一つが、公式LINEで投稿をはじめた『はるの日記のようなエッセイーエセ日記』だ。

・なにか続けようと思ったときの、はじめの1回って、誰に期待されてるわけでもないのに気合いがはいってしまう。
気合いをいれながら何かを書くと、ことばにも気合いがはいってしまい、読んでもらう人にもその緊張感が伝わるような気がするので、一旦この気合いを逃がす。家事しよ~YouTubeみちゃお~。そもすれば書くこと自体忘れて「もう夜じゃんか!」と自分にくやしい思いをする、だけど、なにか伝えたいこの気持ちをあきらめないでいれば、こうして書けてる瞬間がやってくる。あきらめないでよかった!

エセ日記1回目の冒頭、続きはこちら

言わずもがな。完全にほぼ日の「今日のダーリン」をパクってる。だいすきかよ。でも仕方ない。これが私のワクワクすることだったんだ。
といっても、LINEから人の日記が毎日送りつけられるなんて、けっこう好きな人の内容じゃないと、私なら即ブロックだ。「どうぞブロックしてくれ」と思えるくらい、開き直っていた。糸井さんパワー恐るべし!(笑)

しかし、始めてみると思いもよらぬ反響が。わざわざ感想を送ってくれる人や、久しぶりに会って開口一番「エセ日記おもしろいよ!見てるよ!」と言ってくれる人が、一人じゃないのだ。
これには本当にびっくりだった。「自己表現って、こんな楽しくしていいんだ!」と思えた。うれしかった。

そんなとき、久しぶりの方から連絡がきました。
それは、私が不登校当事者だった経験から、支援活動をしていた頃に出会った、びーんずねっとさんでした。


出会いの、夏

びーんずねっとの金子さんから「はるちゃんの不登校経験を取材したい方がいるんだけど、どうでしょう?」とメッセージ。私としては2年振りの不登校に関する活動で、月日が経っているにも関わらず声を掛けてもらったことがうれしかった。
そこで出会ったのが、傍楽の代表駒井さん。駒井さんは、不登校支援のYouTubeチャンネルをしていて、そこにゲストスピーカーとしてお話しさせてもらいました。
初めましてでしたが、撮影自体は楽しく進んみ、終わったあとも話がつきませんでした。
流れで私の仕事について話すと、駒井さんから『私これから学校をつくるんです。いまブランディングできる人を探していて、はるちゃんやってもらえませんか?』と、とんでもないハッピーサプライズが飛んできました。

その言葉をいただいたときの、一瞬息が「ひゃっ!」って止まった感覚が忘れられません。
勉強が大の苦手だったし、不登校だったけど、「いつか教育に携わるお仕事ができればなぁ」と夢見心地に思っていたことが、いま、目の前で起こっている!!
即答でした。

また、「自分史セッション」に参加後から、お付き合いが続いていたクライアントさんから「開業するから立ち上げのサポートをしてほしい」「もっと自分の気持ちを知って事業に活かしたい」と、長期サポートのご依頼を立て続けにいただけました。
この頃になってようやく、「これは運じゃなくって、自分でつかみ取ったものだ」と自信が持てるようになっていました。

・今世生きていて、わたしが大切にしていることは「後悔したくない」ってことだなと、もう一度認識する一日になりました。何でかというと明日、わたしのお仕事についての在り方と、それをクライアントさんへどう長期的にサポートするのか?をプレゼンする日なのです。わたしはこの日が決まってから、「なんでこの仕事をしたいんだっけ?」ということを言葉にして、はっきり「こうなんです」と伝えられるようになりたいと強く思うようになりました。それが2カ月前くらいになるだろうか。それから毎日、ほんとうに毎日「わたしが何でこんなことをしているのか?それをどんな思いで、どんなかたちでサポートとしたいのか?」ことばを並べ、考え続けました。

学校をつくる
駒井さんと息子優一さんへプレゼンする前日のエセ日記

・じぶんへ「よく頑張ったね、えらいぞ」と心から言えたことは過去一度もなかった。ほんとうに、一度もない。やりたいと思ったはそもそもじぶんなんだから、できて当たり前、できなかったときは努力不足。次の課題がみえたねって感じで、部活からはじまり、仕事なんて全部そんな風に捉えていた。なのでひとから褒められれば純粋に嬉しかったりするが、達成したことをじぶんで噛み締める、なんて経験したことがない。そんなわたしですが、今日人生ではじめて「えらいぞ、じぶん」とわたしはわたしを褒め称えることができた。だからこそ、「ああ、わたしはこういうことを、わたし自信へしたことがなかったな」と気づけたのだ。

プレゼンした日の夜のエセ日記


充実の、秋と冬

「いいことばかりじゃない」ということは、あえて残しておきたいと思います。落ち込んだり、うまくいかない自分に腹が立ったり、眠れない日もたくさんありました。
でも、自分のことでクヨクヨしていたときにかすむ、「あきらめ」のような選択は、もう並んでいなかった。
それは、「はるちゃんにお願いしたい」という信頼のおかげ。いつだって私をずっと強く、たくましくしてくれるのは、お客さんの存在でした。

私が望んでいた「たのしい日々」は、「真剣に生きる」ってことだった。
ほんとうに幸せでした。

いつたどり着くか分からないトンネルを歩き続けて、戻ろうかなとか、立ち止まって考えてみたり、だって結果どうなるかなんてわからない。
でも私が「その先をみてみたい」と思ったことは確か。だったら私は「いったことのない先」というご褒美のために歩き続けるだけなのだ。

当時のエセ日記より


この生活が、2023年の春まで続きます。
このままいい感じに終わりそうですが、そうでもないからビジネス再構築なんですよね(笑)
経営というのは、続いてナンボ。続くということは、新しい出会いや機会を広げていくこと、循環を止めないということ。

その壁にどうぶち当たっていくのか!
乞うご期待です。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

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