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ゴキブリを追いかけて~台北、春。

肌に湿気がまとわりついてくるような、雨上がりの蒸し暑い夜である。

巨大な駅舎のすぐ脇にある、蒸気機関車がランドマークの小さな広場には、カラフルなシャツを着た地元の若者たちグループ数組に、Yシャツを着たサラリーマン風の男性、バスや電車を待っているであろう旅行者や一般市民、愛をささやき合うカップル数組、ビニルシートを布団代わりにするホームレスたち。そして、缶ビールを片手にぼんやりと宙を眺める私がいる。

2019年、春、午後11時過ぎ、台北車站駅。薄暗いライトに照らされるベンチに座りながら、私は午前2時30分頃のバスを待っていた。

「航空券が安いから」という理由だけで勢いのみで飛行機のチケットを取り、初めて訪れた台北という街は、私が知る日本のどの街よりもそこに住む人々の息遣いが感じられた。

旅をすることに対して特別な理由を持たせることはあまりない。行きたいから行くという、それだけのことだけでも旅行をする理由になりえるものだ。しかし当時、人生に対して思い悩んでいなかったかと言われると、それも嘘になる。常に人生における重大な問題は孕んでいて――それは誰かから見れば些細なものになるのだろうが――今でもその問題は消えていない。

それは、いかに自分は生きてゆくかという人生の命題である。

人生の目的を持たぬ暇人は、その問題を持て余し続けている。もしかしたら、目的を持つことが怖いのだろうか。決めることが怖いのだろうか。決めてしまったら、すべてがその方向に流れていく。それが怖いのだろうか。いつでも自由でありたいと思うのは、臆病な暇人の自己防衛ではないだろうか。

あの若者たちも、ホームレスたちも、カップルたちも、旅行者たちも、私と同じような問いを抱えているのだろうか。辺りを見回す。数多のバイクの音、自動車のエンジンの音、そして人々の声。その喧騒は永遠のように思える。じわじわと汗が噴き出してくる。襟をはためかせて温い風を体に送る。それでも汗は体を流れ落ちてゆく。

彼らもみな、同じ問題を抱えているのだろうか。生きる場所が違えば、生きる環境が異なれば、抱える問題も変わるものなのだろうか。一体ここで何をしているんだろう、俺は。

缶ビールを飲み干し、ふと地面を見ると大きなゴキブリがカサカサと走り回っていた。生き物すべてが、人間のような高度な思考をしたならば、彼らは何と答えるだろうか。このゴキブリに問いかけたら「そんなことを聞くなよ、この暇人め。俺は明日を生きのびるのに必死なんだ。それよりも餌をくれよ」とでも答えるだろうか。

動き回るゴキブリをしばらく追いかけた後、私は立ち尽くした。一体ここで何をしているんだろう、俺は――。

肌に湿気がまとわりついてくるような、雨上がりの蒸し暑い夜である。


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