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『オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』は「総集編」として観るべきか

スマホとタブレットからTwitterとYouTubeを消した。

帰宅後、やらなければいけない作業が残っているにも関わらず、携帯端末に潜むお手軽な娯楽のために、PCを開くまでの道のりが予想以上に長くかかっているように感じたからだ。

残るアクセス手段は必然的にPCだけになった。
タスクはデスクトップに並べるようにしているので、PCを開くたび必ず目に入る仕様だ。始めは娯楽のために起動するにせよ、作業に取り掛かるまでの時間はスマホでショート動画をザッピングしているところから始めるよりかはいくらかマシだと思う。



今年度に入ってから、努めて穏やかに過ごしている。
昨年度までのように、同時に複数の企画を抱えてあちこちに首を突っ込んだりはしないつもりでいる。毎日、大学の与えられた広い机でかつてないほどじっとしている。

しかし、どうも頭はぐるぐると目まぐるしいままなのである。ずっと「整理」されていないような感覚。実働は随分と減らしたはずだが、と不思議に思っていた。

いくつか理由を考えた。一番の要因はTwitterとYouTubeだろうという結論に至った。思考の隙に、すっと手がアプリを開くようになっていたことに気づいてドキッとした。「何の気なしに」触る液晶が一番危ない。

変わらずPCのブラウザ版サービスを使ってタイムラインを追ったり、好きなVtuberの配信を見たりはするだろうが、アプリを消してまず1つ気づいたのは、「考えごとが途切れないで済む」ということだ。



いつも何となく頭で考えていることがあるのだが、最近はそれが140字分くらい溜まると、脊髄がTwitterを開いてしまうようになっていた。

確かに、青い鳥を押すその瞬間までは「呟くか……」と心を決めている。されど、いざアプリが起動し、「おすすめ」欄に表示される知らないアカウントのバズツイートたちに目が支配されると、それまで考えていたことがするするとイトミミズのように溢れていく。結局「呟くほどのことじゃなかったような気がする……」と引き返すどころか、そのままトレンド欄の気になるワードをチェックして、時間泥棒に遭う。

それがどうだろう。しばらくの間スマホから離れただけで、1000字分くらいは考えられるようになった。140字分まで萎縮していた考えごとが1000字にまで膨れ、ましてやそれをしばらく書けていなかったnoteという形で出力までしてしまおうというのだから、「途切れない」ことが自分にとってどれだけ重要であるか、火を見るより明らかである。リハビリとしては十分すぎるほど効果的だ。



さて、ここまで書いたところで横で流していた映画『オッドタクシー イン・ザ・ウッズ』が終わった。ちょうど今、PUNPEEらの心地良い音楽と共に流れる色々びっくりな登場人物たちの「その後スライドショー」を眺めている。

百均で買ったばかりのナンプレを解きながら観始め、途中でnoteを書こうと思い立った。基本「ながら鑑賞」はできないタチだが、できてしまった。それはこの映画が、ひとえにアニメ『オッドタクシー』の「総集編」だったからである。

折角だから、少し作品の感想を書こうと思う。

『オッドタクシー』はめちゃめちゃに面白いアニメだった。全13話であまりにも鮮やかに完結した。作品として、それで完成されたものに思えた。だから、「その後」を知りたいかと言えばそこまで強い欲求はなかったし、それこそがこの映画を今まで観ずにウォッチリストに入れたままにしていた最たる理由かもしれなかった。

映画のタイトルは、「オッドタクシー」のオシリに「イン・ザ・ウッズ」とつく。芥川龍之介『藪の中』の英題だ。映画の構造自体がこの作品に準じている。アニメの再構成に加え、新規カットとして登場人物たちの証言が加わり、『藪の中』同様それぞれの視点から事件を捉える試みがなされているのである。
(とはいえ「真相は藪の中」な芥川作品とは違い、物語を辿れば真相はきちんと明かされる。その辺りは湊かなえの『告白』などに近しい。)

アニメ総集編の劇場公開をただの総集編にはするまいという意欲作であることは理解できたし、追加カットも少ないながら見応えがあった。事件後の小戸川の世界の認識、記憶の混濁の程度なども知れて嬉しかった。これがもし「総集編」だったならば、迷いなく良作といえた。

「劇中の大部分がアニメ本編の映像で構成されているが、どうも普通の総集編じゃないらしい。」この作品はこのような認識で観ると大変良いのだろう。ただ、それがプロモーションの時点で上手く伝わっていたかどうかは疑問である。実際、私はこの作品が"そういう"ものであることを観るまで知らなかった。

それから、アニメ視聴後ブランクがあってから観る場合には少し厳しいかも知れない。ブランクのせいで忘れていた場面は勿論のこと、完全に身に覚えのない場面が登場したのもあって少々混乱したりした。(観終わって、アニメにこんな描写あった?と調べてみたら、実はWebラジオを聞かないと知り得ない情報の、さらに「その後」とのこと。)映画を観る前に履修すべき作品が思った以上にたくさんあるようだった。

公開時、アニメ未視聴の初見勢を想定しているかような謳い文句があったような気もするが、実際のところはどうだったんだろうか。
近年『呪術廻戦0』や『THE FIRST SLUM DUNK』など、原作やそれまでのアニメ未視聴勢にも親切な劇場アニメを多く見かける。劇場公開が恒例行事化している「名探偵コナン」シリーズなんて、毎年工藤新一が江戸川コナンになるまでのくだりを律儀にオープニングで説明してくれるくらいにはやさしい。オッドタクシーがやさしくないんじゃなくて、他の作品がやさしすぎるって可能性も大いにある。

ところで、この映画の構成においては「登場人物へのインタビューが切り貼りされて繋ぎ合わさることによって一つの大きな物語を形づくる」という大枠が用意されているが、その「インタビュアー」に関して特に多くは語られていなかったように思う。インタビュー中にインタビュアーは質問や相槌を打っている様子だが、声は入っておらず、姿もほんのワンシーンしか映らない。インタビュアーの側にもそのインタビューを執り行う動機や目的が絶対にあるはずで、その辺りが映画を見ただけではわからなかったのが気になった。

今年に入ってから新たに始まったらしい別視点からのコミカライズで、何か明かされていたりしないかなと少し期待を寄せつつリンクを貼っておく。人間の姿ではこの表紙の二人が誰なのかもよくわかっていない状態だが、これから読むのが楽しみだ。



久しぶりに日記のようなものを書いた。
冒頭に最近は140字も渋っている、というようなことを書いたけれど、気づけば3000字が近い(noteは編集中、横に書いた文字数が表示される)。勢いに任せて書いたせいで話があちこちに飛んだ結果、区切り線を入れるはめになった。

もう少し短くて良いから、もう少し頻繁にこういう気楽な文を書き散らかせたらいいなとも思う。



まあTwitterにしてもYouTubeにしてもnoteにしても、そのときの自分が一番健やかでいられる使い方を適宜選べればそれでいいや。

それでは。

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