見出し画像

なにかとなにかのタイミングがぴたーっと合う

2作目「つきのなみ」の販売に関する話の続きです。
部屋の片隅に積み上がる文庫本を25冊ずつ包んだ茶色のカタマリ4つ(100冊)。
そのうち20冊は、表紙デザインもしてくれた岡田亜衣さんが店主の「ひつじ茶房」(神戸岡本)に置いてもらうことになりました(残り80冊)。

ひつじ茶房は、もともと店内に「ご自由にどうぞ読んでください」というように絵本や文庫などが置かれています。
押し入れの下みたいなこじんまりしたスペースもあって、そこで読書するときの楽しさたるや。集中できるし、空想も広がるし…。

さて、ひつじ茶房に20冊置いてもらったわけですが、
別に「売っています」ということはアピールしていないので、「ご自由にどうぞ読んでください」のうちの1冊という扱いでした。
本棚から取ってたまに読んでいるお客さんがいるというのを聞くと、それがうれしかったです。

2022年の春、店主かつ表紙デザイナー岡田さんからLINEが来ました。
「1冊売れたよ」と。

その方は、初めてひつじ茶房に来られたお客さんだそうです(常連さんではなかった)。
その方が、岡田さんのところへ「つきのなみ」を持ってきて、
「これって、あなたが書かれたものなの?」と聞かれたそうです。

「いいえ、これはわたしの友達が書いたものです」
「いまのわたしにぴったりでどうしてもいただきたいんです。2000円出すから売ってください」
岡田さんは、ええ?買ってくれるの?と驚いて、
いいえ、どうぞ持って帰ってくださいなと言いそうになったけれど、
そういえばブックスオカムラは1冊500円と言っていたようなと思い出して、
「ともだちは、1冊500円と言っていました」
と伝えると、その方は500円を置いて行かれたそうです。

岡田さんは「いまのわたしにぴったりって、あなたとてもつらい思いをしているのね」と言って抱きしめそうになって、いまのご時世いろいろ問題があると思い(当時コロナ禍)、言葉だけ贈ったそうな。

いや、なんにしても、自分が高校生のときに小説があったことで生き延びれたという経験があるので、
自分が書いた小説が誰かの救い…というとおこがましいけれど、高校生のときに小説に感じたものと同じことを誰かがわたしの小説で感じてくれたのであれば、わたし自身が本当に生きてきてよかったと思えるほどの喜びであり、うれしいって言葉じゃ足りないくらいよ。
たくさんある本から「つきのなみ」を手にして、それを読んで、何かが心に響き、2000円を払ってもいいと思えるほどのなにかを感じてもらえたなんて…。
ありとあらゆる何かがぴたりとはまった瞬間がそのときだった気がします。
人生のライブ感。
誰かに見つけてもらえる喜び。
いまもその500円玉は取ってあります。1億円の価値があるよ。
1億円の価値がある500円玉を持つわたしは、心だけなら富裕層だよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?