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「バトル・ロワイアル」の思い出。当時、中学3年生だった僕へ

映画「バトル・ロワイアル」
私と同世代でこの作品を知らない人はいないと思います。
この作品は私にとってとても思い出深く、また重要な作品です。

現在、漫画や映画で星の数ほどある一大ジャンルとなっているデスゲームもの。その日本における始まりとなった作品です。

私がこの作品に触れたのは、中学2年の時、映画が話題になるよりも前。
本屋にあった原作小説を手に取ったときでした。

特別、目立つ位置にあったわけではないし、普段読むジャンルでもありません。しかし、吸い寄せられるように私はそれを手にとりました。
人生における運命だったのかもしれません。

中学生42名が最後の1人になるまで殺し合うという内容。
この過激さが後に大問題になるのですが、この当時は正直、過激だとは全く思いませんでした。

理由はいくつかありますが、まず、互いに殺し合うゼロサム・ゲームをモチーフにした小説として貴志祐介氏の「クリムゾンの迷宮」をこのすぐ前に読んでいたから。こちらは大人の殺し合いですが、人肉を喰ったりともっと過激に感じられていました。
ちなみに私は中学の読書感想文をこの「クリムゾンの迷宮」で提出しました。今思うとなんと場違いなチョイス、わざとそういうことする生徒だったんです……でもこれで入賞したぜ!

過激さばかり語られますが、設定やストーリーの面白さ、キャラクターの魅力が群を抜いた他に類を見ないエンターテイメント作品です。少なくとも当時はそうでした。
それに取りつかれて一気に読みふけりました。あの分厚い本を2日くらいで読み切ってしまいました。

当時、原作において好きなキャラクターは桐山和雄、相馬光子、杉村弘樹、千草貴子、そして坂持金発先生でした。
生徒陣は、書くのが恥ずかしいくらいに定番の人気キャラですね。

坂持金発先生は、原作知らない人にはなじみがないでしょうが、金八先生のパロディキャラです。後の映画かでも漫画化でも別キャラに差し替えられてしまいました。
うん、仕方ないと思いますけど……他メディアでも出て欲しかったなぁ。

原作について語りたいことはやまほどありますが、書き出すと記事三つ分くらいは書いてしまうので映画の思い出に。

とにかく面白くてこの作品を周囲に勧めたりしてたんですが、当時は無名の作品だったので周りの食いつきは悪く。語れる友人もいないまま、1人孤独にはまっていました。

そんなある日、映画化のニュースで一気にこの作品が話題になりました。
中学生が殺し合うという内容が過激だと、国会で議論されるほどの騒ぎに。

いやぁ、今思うと「もうね、アホかと、馬鹿かと」って思いますよね。
映画の描写が過激だからって、こんな大騒ぎとは。
ちょっと本や映画を知る人なら、もっと過激な作品が山ほどあることを知ってますよね。でも、話題になったからってこぞって、規制論が溢れかえり。
これが「人は情報を喰ってるんだ」ってやつですね。

結果的に、映画はR15指定に。
これはね、もうね、当時の私にとってはとんでもない大問題でしたよ。
映画化したときの私は中学3年生。観れないっ!

そんな馬鹿な……あってはならない……。

これだけ大好きな作品の楽しみにしていた映画ですよ。それが、よりによって、観れない……。

※最近、友人が教えてくれた当時のニュース動画。
あらゆる意味で懐かしい空気感です。暴力大好きおばあちゃん、記憶に残ってます。


当時は怒り心頭で、周囲にも理不尽を訴えていましたよ。
そもそも監督が、主人公たちと同世代の中学生に観て欲しいと言っているのに、それがつくり手を無視して第三者に否定されるのはおかしいだろうと。
ネットの掲示板などでも意見を書きましたが、ニュースなどに流された人々にたしなめられたり説教されたりして、イライラしていました。

私は表現規制について触れることが多いですが、これが原体験となっています。

この作品、大人になってかなり間をあけて見返したことがありました。
その時は見え方が変わり、規制をしたがる人の感覚もわからなくもない、という感想でした。

と、同時に、やっぱり中学生が観るべき映画だなと思いました。
当時と、今だと、見え方が違うんですよ。
だからこそ、中学生の時に見ておかないと得られない感想がある。
過激だと感じるのは当事者意識を無視した大人の意見。

中学生の殺し合いってテーマが過激に感じるのは大人だからなんですよ。
リアルタイムの中学生って、実際はまだ子供で、自分たちをある程度、もう大人って思ってるじゃないですか?
だから、子どもが殺し合いって、いう感覚にならないんですよ。

個人的意見ですが、この作品はある種、子どもっぽいものだと思っています。あらゆる意味で対象年齢が中高生くらい向け。
これは批判とかではなく、人生においてそういうものが必要な時期ってあるんです。
中学生に向けたものを、大人の目線で批判するって、本当に的外れ。その的外れを正論だと思ってる人がたくさんいる。
そういう人って、結局、子どもを想うような言い方してるけど、子どものことなんてどうでいいし見てないんですよ。当事者意識がまるで見えてないのが証拠です。

ちなみに、当時は生徒目線で見ていましたが、大人になってから見るとキタノの方に感情移入してしまいました。
3年B組、クソガキ過ぎるやろ……これはBR法不可避

さてさて、中学3年生の頃の話に戻りますと、まあ当時、観ることが出来なくて荒んでいましたが、うちの親が観にいきまして。
その時、劇場でパンフレットとかカードゲームとかのグッズを買ってきてもらってそれを見て堪えていました。

※バトル・ロワイアルの公式解説本

確か、学校に原作小説と一緒に持って行ってクラスメイトとキャッキャしてましたね。
そんな問題行動を、当時の教師は特に説教するでもなく生暖かく見守ってくれてましたよ。
正しい、だってこういうのヘタに説教されたり取り上げられたら、余計にこじらせて人格に悪影響でるので。

いいですか? 規制を掲げる人たちよ。これが本当の“わかってる大人”ってやつですよ。
重ね重ね、人生には、そういう時期って必要なんです。

私が映画を観れたのは学校を卒業した春休みでした。

あの日、観ることが出来なかった、中学三年生たちへの制作陣のプレゼントです。「卒業おめでとう」というメッセージと共に。いやあ、粋な計らいです。

いいですか、もう一度言いますよ? 規制を掲げる人たちよ。これが本当の“わかってる大人”ってやつですよ。
生き残る価値のある大人になりましょう!

まあこの、規制騒動。
話題になったおかげで大ヒット作になったらしいので映画会社的には良かったようですが。
しかし、結果が良かったことと、規制が正しかったかは全く別の問題です。
この事案は、私の人格形成に大きく影響を与えることになります。
表現規制をこの世から消すを心に誓う、表現の断罪者と呼ばれた私はこの時、生まれたのです。


ちなみにこの「バトル・ロワイアル」についての想い。当時から今にいたるまで定期的に発言するんですが、なんか時期、場所問わず、必ず批判的なこと言われたり説教されるんですよね。
なぜ、好きな作品を語っているだけなのに……他の作品でもっと過激なこと言ってもあんまりないのに。
まあそれだけ無視できない、パワーのある映画ということなのでしょう。


さてさて、中学を卒業し、無事に映画を観て、高校に入学した後もしばらく自分の中で「バトル・ロワイアル」ブームは続きます。
原作の桐山和雄を意識してオールバックで登校して教師に怒られたり、イラストを描いたり。
ガメラシリーズのファンサイトとして作った私のホームページは、いつの間にか「バトル・ロワイアル」のイラストメインのサイトになっていました。

さて、それからしばらく時は経ち「バトル・ロワイアル2」の制作が発表されました。

上記にガメラ3の記事を貼っています。その中でも触れた通り、前田愛さん演じる比良坂綾奈は私のファム・ファタールでありミューズだったわけです。

今もそうかもしれないけど、当時のオタクというものは自分の好きなキャラクターに好きなかっこうさせたファンアートを描いたりしてたんです。

当時、10代の少年ボクは「バトル・ロワイアル」と「ガメラ3」にはまっていたので、比良坂綾奈はじめとしたガメラ等のキャラクターが銃持ったり軍服着てるイラストを描いていました。

そんな中、なんと「バトル・ロワイアル2」の主演、前田愛さんだと。、公式で軍服で銃を構えた綾奈(違うw)の姿が。歓喜の声を上げる。

※「前田愛 in バトル・ロワイアル2」より引用。

思い出すとあまりにもキモ過ぎる。まさにファインディング・キモ。

ただ、そういうキモさに満ちてる頃の方が創作意欲と行動力に溢れていた気がするんですよね。

当時は、このキモい激情を“パッション”と呼んでいました。
パッション……創作活動には必要な感情なんだよなぁ。

まあ、ここまでテンション上がっておいてなんですが、ここで大きな問題が。

この「バトル・ロワイアル2」……ほとんど記憶に残ってなかったんです。
いや1にこれほど思い入れがあり、主演は前田愛さんで、藤原竜也さんも私にとって好きな俳優さんで。ノベライズ版も持ってて。

入れ込まない方がおかしいんですよ、なのに記憶に残ってなかったんです。おかしいやろぉ……。

大人になって、というか先日、約20年振りくらいに「バトル・ロワイアル2」を見返しました。

上記の理由だし、世間的に評価が良くないのもあり、身構えて観ていましたが、いや、見返すと凄く良かったです。全然、記憶と印象違う。今の邦画だとこういう映画撮れないんじゃないでしょうか?

同時になぜ、当時、それほど自分に刺さった作品にならなかったかが、理解できました。

まず1とテイストがあまりにも違う。1は原作ありですが、2は映画の続編でまったくルールも雰囲気も違います。
これが、「バトル・ロワイアル」のファン的には肩透かしと言うか、ちょっと違うぞと思ったのではないでしょうか。
時間が相当経って、単独の映画として観たらその辺は気にならず1本の映画として面白く見れました。

そしてもう一つが、時事ネタが多い。
当時、アメリカのテロとか戦争が多く、それの影響とか風刺がかなり露骨に盛り込んでありました。
それが、リアルタイムで見た時はあんまり好きじゃなかったのかもしれません。
20年経てば、その辺り、もう気にせず見れたので。

ある種、フラットに1つの映画として観ると印象が全然違いました。
そう考えると、1より評価が低いのは時代に翻弄された側面が強かったかもしれません。

余談ですが、私の人生のバイブルにしている小説に「愛と幻想のファシズム」という作品があります(村上龍氏)。

実は深作欣二監督がこの「愛と幻想のファシズム」を藤原竜也さん主演で映画化するという話があったとか。しかし、テロなどをテーマにしている過激な作品だったため、時代背景もあり流れてしまったと。
それへの思いが「バトル・ロワイアル2」には込められている、という記事を読みました。

それを踏まえてみると、個人的には色々感慨深かったです。
七原秋也の演説シーンを見ながら、鈴原冬二の演説を思い出したりして。

ちなみに当時から、この映画。テロ賛美とか言われて批判されてましたけど、ちゃんと見ればテロの賛美なんて全然してないんですよね。

七原たちの言い分って全然理屈になってないし、それに対してちゃんとキタノシオリが「何言ってるか全然わかんなかったんだけど?」って突っ込んでる。
ちなみに、この時の前田愛さんの言い方が個人的に好きです。

今年の1月、新年会&友人の誕生会に「バトル・ロワイアル2」を見ながら焼き肉パーティーをして、その後1も見返して、この記事を書くに至っています。

自分にとっての「バトル・ロワイアル」は観ると精神状態が当時に戻って一時的にかなりハイになり、パッションが上がるんです。創作にとってドーピングみたいな意味を持つ映画ですね。





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