なべ
母はめったに料理なんかしなかった。あまりうまくなかったから、そちらの方がたすかった。
ある夕暮れどき、コンロになべがかかっていた。グツグツとなにかが中で煮たっていて、コトコトふたを押しあげて音をたてていた。
いいにおいがした気がした。
ふたをあけてみた。
鼻と目にツーンとくる刺激臭。
泡だつなべの中一面にひらがる黒い毛のすじ。
なべの中で、なにかが一回転した。
目玉がなくて空っぽの暗闇しかない眼窩がこちらを見た。
鼻も口もとっくに溶けていた。
自分と同じ年頃の子どもだとなぜか確信した。
あわてて蓋を閉めた。
布団に潜り込んで考えないようにした。
母が夕ご飯だというから恐々と出て行くと、その日は外食だった。
子どもの頭を煮ることができるような大きいなべは、そもそもうちにはないことに気づいたのは数日後のことだった。
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