抜け道

母の里帰りについていくと、祖父母の家の近所の子どもたちは私を快く仲間に入れてくれて、一緒に「警察と泥棒」で遊んでくれた。

ケイドロ、ドロケイ、ドロジュン。一体どんな名で呼ばれていたか、よく思い出せない。

盆踊りの太鼓の音が耳に残っている。

車道から外れた場所に小さなお薬師さんが古い家に囲まれていて、そこを大抵警察署にした。そして捕まった泥棒たちをそこに留置した。

車道に囲まれたブロックの四方に、お薬師さんから小道が伸びていた。そして小道の左右にさらに小さな抜け道の入り口があった。

住人が家に入るための潜戸であることもあるし、塀が壊れて子どもしか通れないような隙間ができていることもあった。

その抜け道をどう使うかが勝負の決め手になった。泥棒は道無き道を縦横無尽に駆け抜け、警察は深追いは損だと入口と出口に張り込んだ。

どうしてだろうか、なぜだかあの抜け道が気になって仕方がない。

母の故郷を訪れるたびに、かつての祖父母の家の周りをさまよって、あの抜け道を探す。大した田舎でもないくせに変化から取り残された地方都市のベッドタウンには、相変わらず小さな潜戸や抜け道があった。壊れた塀の隙間はさすがになおされていたが。

しかし、一つだけ、見つからない小道がある。入口の見当はついている。ひどく痛んだ空き家だ。あの頃から空き家だった記憶がある。確かにこの辺りから入ったのだ。

しかし、どこにもそれらしいものはない。子どもの体でも入れる隙間も見当たらない。

ならば抜け道の反対の端を探そう、と思ってはたと気付く。あの抜け道がどこに繋がっているか、思い出せない。

あの頃一緒に遊んだ子たちに聞いてみようかとも思うが、名前どころか顔をも思い出せない。夏の長い夕暮れの闇の中に、薄ぼんやりと白い影が浮かぶだけだ。

困惑させられるのは、なぜこんなことにこだわっているかだ。なぜその抜け道がこんなにも気になるのか。そのことが気持ちが悪くて仕方がない。そしてますますあの抜け道のことが頭から離れなくなってしまう。

一体あの抜け道に何があるというのか。どこに続いているというのか。

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